本を好きでよかった
幼い頃本を読むのが好きだった。
本は私を違う世界に連れて行ってくれる。
私を違う人にさせてくれる。
私に特別な能力がなくても、本を読んでいるときは私は何者かになれるし、
私が息苦しい学校にいるときも、私を遠くの場所に存在させてくれる。
大人になるにつれ本を読む機会が減っていった。
「忙しいから」「勉強をしないといけないから」
世界が広がるにつれて現実を見るようになった。
凄まじいスピードで情報が溢れている世の中で取りこぼさないように
するのに必死だった。
コスパを意識するようになった。
タイパを意識するようになった。
YouTubeは流し見で2倍速で見るようになった。
あの時好きだった漫画の続編を読まなくなった。
話題になっているアニメを見るようになった。
何が自分にとって大切か分からないうちに時間だけが過ぎていったように思う。
「情報を得た」という時間を経た記憶だけあって、何の情報を得たのか、それを見てどう思ったのか、何も覚えていなかった。
短期的な快楽で疲れて寝るだけ。
そんな毎日が忙しくて、私は時間がなかった。
スマホを触っている時間はあるのに本を読む時間がないなんて嘘だ。
本を読んでいるときは自分の好きなように時間を操れる。
その感覚が好きだった。
本をゆっくり読むのが好きだった。
速く読みすすめたい気持ちと、終わらないでほしい気持ちがせめぎあっている自分を幸せだと思っていたのだ。
でもそれをする余裕はなくなっていった。
重要度の高くない情報に追われて摩耗していった。
「いつか読みたい本」だけが増えていって
「面白かった本」は色褪せていった。
私は最近大きな旅に出た。
日本にはすぐに帰らない。
新しく読みたい本もあったけど
大切な本の言葉を自分の中に蓄積して自分の一部にしたくて
出発の前日に読み直した。
まるで答え合わせをしているようであった。
知っていた。
読んだことあったのだから当たり前だけど
自分が本から離れて、現実の世界で藻掻いているときに感じていたこと、
大切にしていたことがそこには書いてあったのだ。
迷いながら間違えながらも
大切にできていないと思って後ろめたくて、でも大切にしたかったことは
ちゃんと自分の中にあったことを知ることができた。
あの日読んだ本が教えてくれたこと、あの日読んだ本に私が感動したこと
それを今の自分が「価値がある」と思えることに「価値がある」のだ。
あの日その本を手に取って感動した自分と
感動したことを覚えて読み返そうとした自分は
私の人生において褒められるべきである出来事の中で上位に入ると思う。
そして本に浸る感覚、高揚感は私にとって何事にも代えがたいものだと再認識した。
本を好きでよかった。
本があってよかった。
数ある本の中でこんなにも自分を感動させて肯定してくれる本に出逢えてよかった。
この世界は偶然の連続である
偶然だから、愛おしい
本当に人生はからくりだらけだ
そして未来は不確定だ
何度も言葉を心で呟いて反芻させて自分の一部にするのだろう。
私に偶然出会ってくれたあなたも愛おしいし
わたしとあなたの未来がどうなるのか分からないから
人生って面白いのだと思う。
いつか本を書きたい。
いつか本屋を開きたい。
私の夢のひとつです。
あなたへの手紙は私の夢の一部です。
たったひとりの読者にとどけるメッセージなんて素敵だと思いませんか?
今日も読んでくださってありがとうございました。
てがみ屋 lxi
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