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手紙社リスト音楽編VOL.2「堀家敬嗣が選ぶ、私の雨の歌10曲」

あなたの人生をきっと豊かにする手紙社リスト。6月号の音楽部門のテーマは、「私の雨の歌」。“聴くべき10曲”を選ぶのは、手紙社の部員たちに向けて毎月「歌謡曲の向こう側」という講義を行ってくれている、山口大学教授の堀家敬嗣さんです。自身もかつてバンドマンとして活動し、幅広いジャンルの音楽に精通する堀家教授の講義、さあ始まります!

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歌謡曲に降る雨

雨とともにあること
ひとつの言語における特定のことがらをめぐる単語や表現の豊潤さは、これを母語とする人びとの、そのことがらに対する関心の高さの指標となります。日本に住む私たちにとって、雨という気象現象がいかに身近であり、またそれゆえ私たちがいかに多くの関心をそれに払ってきたかについては、だから日本語におけるその反映の程度を省みれば容易に推察できるところでしょう。

日本語には、雨の種類や状態を瞬間的に切り抜く名詞や、それが降る様子を持続的に捕捉する副詞がさまざまあるばかりでなく、たとえば[雲]にはじまり[霞]から[靄]、[霧]に及ぶような、さらには[雹]や[霰]、[霙]を経て[雪]に至るような、雨以前や雨未満、あるいは雨以後や雨以上の水蒸気を表現する単語の彩りに、辞書のページは多くを費やしています。さらに、たとえば『万葉集』には雨のことを織り込んだ歌が100首を超えて採用されているなど、この言語と風土、そしてここに暮らしてきた人びとの生活や情感には、いにしえより雨が深く浸透しているわけです。

日本以上に降水量が多い国や地域はたくさん存在します。けれど日本の場合、ユーラシア大陸の東端に島嶼として位置し大洋に面していること、狭い国土でありながら標高の起伏が激しいこと、長い国土のため緯度差が著しいことなどを理由に、単に多雨なばかりかその現われかたもきわめて複雑です。加えて、日本語は、雨に降られる人びとの感受性の繊細さをも象っているものと考えられます。要するに、私たちは雨とともに、雨は私たちとともにあるのです。

明治維新による近代化の方針のもと、音楽もまたドラスティックな西洋化を免れなかった一方で、日本語で綴られた歌詞を備えた大衆音楽、すなわち歌謡曲は、依然として雨を歌いつづけています。

この150年ほどのあいだに、なるほどその国土は表層的には変貌しましたが、しかしたかだかそうした人間の営みなど、気象現象のありようを劇的に変化させるまでに地勢に干渉するものではなかったのでしょう。とはいえ、温暖化とされる昨今の地球規模の気象変動の影響が、将来的には日本語における風土や情緒の表現を変容させていく可能性は否定できません。

いずれにしても、歌謡曲にとっての雨とは、なによりもまず歌詞の言葉として扱われ、言語的な意味作用の側面から楽曲のありようを方向づけるべく降るものであるといえます。

“ブルース”
たとえば淡谷のり子は、[ブルース]の名のもと雨を歌っています。その大ヒットによって[ブルース]の語を日本中に普及させ、淡谷を“ブルースの女王”たらしめた〈別れのブルース〉(1937)にこそ雨が降ることはありませんが、〈雨のブルース〉(1938)にも〈東京ブルース〉(1939)にも「雨」は降ります。

かたや「雨よふれふれ」と歌い、かたや「雨が降る降る」と歌われるこれらは、いずれも〈別れのブルース〉と同じく服部良一の作曲ですが、本来のブルーズを規定する楽曲構成上の形式性にのっとる気配はそこではほとんどみられません。どうやらここでの[ブルース]とは、ジャズのムードを援用しつつ、4ビートのリズムに乗って短調のメロディが歌われることを意味する程度の標語のようです(*1)。だから逆に、これをブルーズならぬ[ブルース]と称したことは、むしろ自らが本来のブルーズとは異質のものとの認識によっているのかもしれません。

ただし、とりわけ〈雨のブルース〉に顕著なように、短調のメロディに嵌められた「なやみ」「なげく」「くらい運命」「うらぶれ果てし」「とぼとぼ」「さまよえど」といった陰鬱な語句の系列は、楽曲におけるブルーな気分を否応なく強調します。そしてなにより、「すゝり泣く」ように「ふりしきる」ここでの「夜の雨」は、「どうせ涙に濡れつつ」ある語り手の「心」のありさまそのものです。

こうして、夜の雨はしばしば“ブルース”と癒着することになります。美川憲一の〈柳ヶ瀬ブルース〉(1966)や青江三奈の〈伊勢佐木町ブルース〉(1968)をはじめ、多くの雨が[ブルース]を謳い、“ブルース”に歌われています。

ここで注目すべきは、これらが岐阜の「柳ヶ瀬」や横浜の「伊勢佐木」をめぐる“ご当地ソング”であることです。いまや雨が降るのは、淡谷のり子が歌った「銀座」や「浅草」ばかりではありません。そうして日本の各地に降る雨は、けれどいずれも夜の盛り場に降るものです。夜の雨と癒着した“ブルース”は、そこではさらにネオンの輝きや酒の匂いのなかで憂いを募らせるわけです。

森進一による〈港町ブルース〉(1969)では、語り手は、ひとつの盛り場に留まることなく、「函館」にはじまり東北から関東、東海、四国を経て九州は「鹿児島」まで、太平洋側の「港町」を南下し、流れていきます。ただしこれらのほとんどは地方の漁港にすぎず、外国船が出入港する「メリケン波止場」のバタくささはそこには残されていません。淡谷の嫌った演歌の土着性が、こうして“ブルース”の領域を侵犯しつつあります。「通り雨」を端緒に「海峡」や「流す涙で割る酒」、「こぼれた酒」や「海に涙」など、「港町」はどこも湿度が高く、横浜の本牧で淡谷のり子の歌声に“ブルース”の可能性を聴いた服部良一にとっても、それは過度な湿気と厭うものでしょう(*2)。

低音の魅力
タイトルに[ブルース]を謳ってこそいませんが、〈別れのブルース〉に先んじて服部良一は同じ曲調の〈霧の十字路〉(1937)を作曲しています。歌唱の森山久は森山良子の父であり、森山直太朗は彼の孫にあたります。作詞を担当した高橋掬太郎によって「霧のふる夜の街の十字路」と設定されたこの楽曲の歌詞の世界は、それまで空気中を浮遊していた水の粒子が、自重に耐えかねてまさに霧からこぬか雨に生成しようとしている瞬間です。

過度な湿潤は、服部の楽曲から放出されるバタくささが空気中を漂うための余白を水の粒子で埋め、その拡散を妨げてしまいます。かといって、ブルーズならぬ彼の“ブルース”を日本の風土のなかで小粋かつ憂鬱に響かせるためには、過度な除湿もやはり避けられるべきものです。その適度な水分量、いわば“ブルース”にとっての飽和水蒸気量こそが、霧がこぬか雨に変わる閾なのです。

こうした意味において、「甘いブルース」を「唄」う「雨」に「いとし」みを覚える〈有楽町で逢いましょう〉(1957)の、佐伯孝夫による歌詞の言葉は、これを歌唱するフランク永井と作曲の吉田正をまぎれもなく“ブルース”の正統に登記します。実際、そこでは「わたし」は「あなた」が「濡れて来ぬかと気にかかる」わけですが、これは「雨」が「あなた」に過度な湿気を背負わせることを懸念するものであり、また同時に、この「雨」も「あなた」を確実に「濡れ」させるほどの降りかたではないことを示唆します。つまり「駅のホームも濡れたろう」と推察される程度にしか、その「雨」は降っていないのです。

フランク永井のディスコグラフィには霧が立ちこめています。すでに〈東京午前三時〉(1957)において、「冷たいアスファルト」の「街角」は「白い夜霧に濡れ」ています。昼間の熱気に孕まれた水分が夜の温度に冷めた都市の表面に触れ、「東京」の「午前三時」をしっとりと「白」く湿らせます。そして〈夜霧の第二国道〉(1957)にみられるように、「夜霧」は東京を起点とする国道に沿って拡散し、また場合によっては〈雨の国道7号線〉(1959)のように、「チェンジレバーをトップに換えて」「思い切り」「飛ばす」自動車の速度のせいで「真珠の小粒」となり、「窓にはじけ」ます。けれどそれは、疾駆する速度を借りてなお、どこまでも「小粒」なのです。

踵を返した〈雨の夜の東京〉(1967)では、かつての夜霧は「雨」に変わっています。もはや[ブルース]を謳うにはラテンのリズムに与しすぎたここでも、やはりあくまでそれは「やさし」く、だからこの「町」さえ「雨に恋して」しまいます。こうして「雨の東京」は、「とてもチャーミング」な「夜」を迎えます。

霧や雨に降られても依然として軽やかな、眠らない東京の洗練。フランク永井に〈WOMAN〉(1982)を提供した山下達郎は、きっと彼に“シティ・ポップス”の祖型をみていたにちがいありません。

艶歌
ところで、夜の雨と癒着した“ブルース”が盛り場に根づくとき、それは艶っぽい雰囲気を醸成します。そこでは雨は、秘めやかな男女の色恋沙汰を包摂し、これを彼らは忍んで肩をよせあうきっかけにもします。〈伊勢佐木町ブルース〉では、「雨がそぼ降」るなか「恋と情け」の「灯がとも」されます。〈港町ブルース〉では、「函館」の「通り雨」のように去った「だました男」への、「夜」を「あげた」語り手の「女心」すなわち未練が「愚痴」られます。

とはいえ、これらの楽曲における下世話なまでの艶っぽさは、こうした歌詞の言葉の位相よりはむしろ、それを歌唱する歌い手たちの息づかいに如実に感じられるものでしょう。

青江三奈にせよ森進一にせよ、雨粒のごとく透明に澄んだ声とは真逆の、酒の過剰な摂取のため喉をつぶしてしまったような、いわゆるハスキーな声質の持ち主です。その声をもって、青江は〈伊勢佐木町ブルース〉のイントロで演奏のブレイクに応じて喘ぐような吐息をマイクに乗せ、〈港町ブルース〉の森は唸るような節回しで「港」の音程に動揺をもたらします(*3)。

しかし「ドゥドゥビジュビドゥビジュビドゥヴァ」と表記される青江のスキャット部分も含め、これらの言葉にならない息づかいは、おそらく、アルコール分ではなくむしろ水分の過剰な摂取、つまり吸収しきれない過度な湿気に耽り、溺れたことの証左であるように思われます。事実、「あの娘が泣いた涙が花になる時」に「伊勢佐木町あたり」で「恋のムード」の「灯がとも」るほか、東北の「港」では「酒」は「流す涙で割」られて薄まり、九州の「港」では「こぼれた酒」が「人の名」を「指で書く」インクのように扱われます。

天から地へと降下する雨に象徴される陰鬱な心持ち、その土着化に抵抗するのではなく、あえてこれに身を晒して濡れ、それどころか積極的に路面のぬかるみに足もとをすくわれること。そのとき、身体の輪郭は溶けて水に還元され、言葉であることを放棄した声が音そのものとして出来します。それを艶歌というべきか、官能的なまでの陶酔と恍惚のこの瞬間に、濡れることは性的な隠喩を機能させます。

桑田佳祐は、雨におけるこうした官能性にもっとも敏感なソングライターのひとりです。中村雅俊が歌った彼の〈恋人も濡れる街角〉(1982)を参照すれば、それを疑う余地はありません。歌い手としての桑田の声質が青江三奈や森進一の系譜に連なるものであることも、ここでは無視できない事実でしょう。

“ムード歌謡”
他方で、ラテンのリズムの弾みかたが“ブルース”の雨に応用されるとき、それは“ムード歌謡”の様相を帯びてきます。それでもなお、フランク永井の〈雨の夜の東京〉が“ムード歌謡”の雰囲気を損なってしまうとすれば、コーラス・ワークが排除されていることに加え、彼があくまでも自分の性別と一致する男性の視点から言葉を発していることによるものです。

たとえば三善英史のデビュー曲〈雨〉(1972)では、私たちの鼓膜は繊細でトーンの高い彼の中性的な声に唆され、歌詞の主語が女性であるかのような錯覚がもたらされます。しかし実際には、千家和也によるこの歌詞は、「雨に濡れながら立たずむ女」を観察する超越的な視点から綴られており、いわばそれは中立的な、あるいはまさに三善の声がそうであるように性差のない中性的な立場のものです(*4)。

両義的な主語の「私」をわざわざ「あたし」と発音し、女性性を強調してみせる佳山明生の〈氷雨〉(1977)などは、“ムード歌謡”を特徴づける性差の交錯に適っているものの、コーラス・ワークを欠くばかりかラテンのリズムも響きません。

ラテンの風味がまぶされたコーラス・グループのロス・インディオスにシルヴィアが加入し、再録音された〈別れても好きな人〉(1979)の場合は、“ムード歌謡”の偽装ぶりはより巧妙で複雑です。

男女ふたりの歌い手がときにユニゾンで、ときに歌唱パートを分けあって「雨の夜」を回想するこの楽曲の歌詞においては、「別れた人に会った」過去の「雨の夜」のなかに「別れたとき」という大過去が入れ子状に嵌め込まれています。そのうえで、かつて「別れ」、「おんなじ雨の夜」に再会した男女それぞれの立場から歌詞が歌い分けられているかにみえて、実際には棚橋静雄とシルヴィアのいずれの歌声も、同じ立場で女性の側から一方的にこれを回想しているのです。

シルヴィアの加入以前の1975年に棚橋ひとりの歌唱により発表された旧盤では成立していた性差の交錯が、そこでは棚橋の歌唱部分についてのみ実現されることとなり、“ムード歌謡”の度合いの低減は不可避です。

ラテンのリズムにせよコーラス・ワークにせよ、さらには歌い手と歌詞の主語との性差の交錯にせよ、またロッカバラードの符割りにせよ咽ぶようなサックスの介入にせよ、そしてもちろん盛り場の夜の霧や雨にせよ、それらは“ムード歌謡”の十分条件ではあれ、必要条件ではありません。これら十分条件の関係性のなかで、“ムード歌謡”の度合いは濃淡を調整されます。

逆にいえば、黒沢明とロス・プリモスの〈ラブユー東京〉(1966)のように“ムード歌謡”の純度の高い傑作においては、その蒸すような湿気に惑わされ、降ってもいない雨音の幻聴を聞いてしまうかもしれません。いつでも降りだしそうな雨雲が“ムード歌謡”のジャンル性を覆っているのです。

歌いだし
さて、言語による表現とは、表現したい世界を成立させる空間と時間を言語というメディアでもって象り、その組成を操作していくことにほかなりません。和歌や俳句ほどではないにしても、メロディを構成する音数に文字数が制約される歌謡曲の歌詞においては、表現したい世界をその少ない文字数のなかでいかに効率的に組成していくのか、その技量が作詞家に問われるところとなります。

晩年の代表曲〈愛燦燦〉(1986)で、1拍3連のリズムに乗って美空ひばりの声が最初の2音を「雨」と歌いだすとき、その響きは、雨にかかわるあらゆるイメージを惹起するとともに、それ以外のすべてをこの世界から排除しようとします。その音の余韻がおさまり次の「潸潸と」の語句が歌われるにあたって、余韻のなかで膨らんでいた「雨」のイメージはようやく降るさまを限定され、こうして歌詞の世界は次第にその輪郭を明瞭にしていきます。

三善英史の〈雨〉の歌詞も、やはり「雨」の語から綴られています。この曲で印象的なのは、メロディの最初の2音に分配された「雨」の語が、メロディの起伏における最高音よりわずかに1音下がっただけの位置から唐突に歌いだされることです。これによって、鼻に抜けるような三善の中性的な声とともに楽曲のタイトルが聴衆の鼓膜にこびりつき、彼のこのデビュー曲を忘れがたいものとします。

Kinki Kidsもまた、歌い手としてのキャリアを「雨」の語からはじめます。〈硝子の少年〉(1997)の歌いだしには、作曲の山下達郎が自ら施した編曲の次第により、著しい緊張感が漲っています。そこでは、イントロが終わる小節の1拍目の響きを最後に演奏がいったんブレイクに入るとともに、2拍目、3拍目、4拍目のそれぞれで、「あめが」の3音がスタッカート気味にア・カペラで歌われることになるからです。軒下に垂れて自重に膨らみ滴った雫が地面に弾ける軌跡を旋律でたどるかのようなこの歌いだしは、次の小節に「踊る」の語を導きながら演奏のブレイクを解き、これを「踊」らせます。そうした緊張感のあふれる歌いだしにほかでもない「雨」の語をあてがった松本隆は、「ひび割れたビー玉」や「硝子の少年時代の破片」といった表現で展開される透明で脆いイメージを、まずはこの単純な語をもって端的に表象し、Kinki Kidsのふたりに背負わせたわけです。

松本隆の雨
「雨に憑れたひと」とは、ほかならない松本隆自身のことなのかもしれません。はっぴいえんどの1stアルバムに収録され、また再録音ヴァージョンがその最初のシングル盤として発表されることになった〈12月の雨の日〉(1970)以来、職業作詞家に転身してからもなお彼の歌詞にはしきりに雨の「匂い」がします。

そのいちいちを列挙する暇はありませんが、たとえば桜田淳子の〈リップスティック〉(1978)では、〈12月の雨の日〉の「街翳」をなぞるように「ストライプの雨」が「街影」を「描」きます。〈瞳はダイアモンド〉(1983)では「幾千粒の雨の矢」が鋭く降りそそぎますが、雨空を「見上げ」る眼にこれが刺さることがないとすれば、それは、いうまでもなくこの「瞳」が「ダイアモンド」だからです。

彼の雨音は、近藤真彦の〈スニーカーぶる〜す〉(1980)においてまさしく「ブルースのよう」に聞こえてきます。さらにその雨は、大滝詠一の〈Water Color〉(1982)での「破れた胸を縫」う「斜めの雨の糸」のように、あるいは山下達郎の〈いつか晴れた日に〉(1998)における「ぼくたちの未来を切り取ってい」く「斜めの点線」のように、天から地へと垂直に降るばかりかときに傾斜することで、いかにも彼らしくそこに風が立つさまを感じさせます。

高田みずえに提供された〈花しぐれ〉(1978)は、松本隆の雨を堪能するうえでひとつの重要な結節点となる楽曲でしょう。そこでは「五月雨・春雨・長雨」と、「雨にもいろいろある」ことが指摘されます。しかしなにより、「まるで男の子みたい」に「髪を切りすぎた」ここでの「私」の「Flower Rain に濡れ」る姿が、大瀧詠一の〈乱れ髪〉(1972)で「まるで男の子」のように「切りすぎ」てしまい「君の髪がふる」ものと喩えられた「雨」の光景に重なることは、自らの詞が有機的に連鎖する旨を言明している松本の詞作法の手がかりとして意義深いものです(*5)。

さらに、ここで「揺れる私の睫毛の先にも滲」んでいる「水無月の雨の色」が「大粒の真珠」となり、また同時にこれが「銀の細い糸」でもあるとき、松本隆の歌詞の言葉は、「肩に降る」その「雨」の「銀色の粒を集めて首飾りにしてあなたに贈りたい」と綴られるアグネス・チャンの〈雨の色〉(1978)を経由したうえで、「涙を糸でつな」いだ「真珠の首飾り」を「冷たいあなたに贈りたい」と歌われる松田聖子の〈白いパラソル〉(1981)まで、まさしく糸をとおしたように系列化し、それぞれの世界に組み込まれ相互的に共鳴していきます(*6)。

そしてこの系列化にあっては、もはや「雨」は「真珠」や「涙」と等価です。

気体/流体/固体
〈白いパラソル〉における「真珠」や〈瞳はダイアモンド〉における「ダイアモンド」は、「涙」や「瞳」など、いずれも眼という身体の部位にちなみつつ、「冷た」さや「傷つけても傷つかない」硬さといった宝石の性質を援用します。これら「星のダイヤ」や「海に眠る真珠」を「あなたのキスほどきらめくはずない」ものとして、湿る唇の触覚的な柔和さをもって拒絶したのは、太田裕美の〈木綿のハンカチーフ〉(1975)でした。

中島みゆきの自作曲〈霧に走る〉(1980)では、「深い霧」が「車の中にまで」浸入し、「あなたの心」までも「急に霧もよう」としてしまいます。そんな「あなた」は、「となりにすわってる」のが「小石か猫だと思ってる」ように「私」には感じられ、「いっそこんな車こわれてしまえばいい」と念じないではいられません。

ひとり「霧」になれないまま「小石」や借りてきた「猫」のように硬直し、「あなた」に「指をのばせ」もしない「私」が、この「霧」すなわち「あなた」と一体化するためには、鎧のように堅固な同一性の輪郭を象徴する「車」が「こわれる」必要があるわけです。したがって、この楽曲の松坂慶子による歌唱盤の実現は、彼女がなにより〈愛の水中花〉(1979)で知られた歌い手である限りにおいて、その水分の量と状態を慮り損ねているように考えられます。

小石や宝石などの鉱物に比肩する硬度を維持する固体として、流れる雨ともっとも親和性が高い道具立ては、おそらくガラスでしょう。というのも、ガラスは雨に劣らず透明なうえ、それと同等にありふれたものだからです。丸山圭子の〈どうぞこのまま〉(1976)では「雨のしずく」が「くもりガラスを伝わ」り、雅夢の〈愛はかげろう〉(1980)では「雨」は「窓ガラス」を「流れ落ちてゆ」きます。そこでは雨とガラスは、ただ流体と固体という状態の違いにおいてのみ隔てられます。

透明な雨は、固着した汚れや穢れを洗い流し、世界を浄化する力となります。〈雨のブルース〉の淡谷のり子がすでに「雨よふれふれなやみを流すまで」と歌ったように、歌謡曲の歌詞の言葉がさらなる降雨を乞うとき、それはおおむね世界の浄化を求めるものです。長渕剛の〈君は雨の日に〉(1979)は「雨」に「すべてを流してくれ」と祈り、沢田聖子の〈雨よ流して〉(1980)では、タイトルそのままに「あの人の思い出を流しておくれ」と祈られます。

雨乞いの目的としては、浄化への祈りのほか、恩恵への望みがあります。たとえばZABADAKの〈harvest rain〉(1990)にみられる豊かな収穫への希望は、八代亜紀の〈雨の慕情〉(1980)にあっては「私のいい人つれて来い」と変換されます。「私のいい人」とは、豊穣の雨がもたらす作物なのです。

ハンバートハンバートによる〈雨の街〉(2017)には、「車の群れ」が「橋の上で身動きとれずにうずくま」るほど激しい「土砂降りの雨」が流れています。その流体の運動が圧力の塊となって小石や「車」どころか街ごと押し流されることさえ懸念される一方で、これが「月に一度」しか会えない「ママの街」でのことならば、「ランドセル」を背負った語り手は、「いつまでもママといられ」るよう「どうせなら全部押し流して」ほしいと願います。浄化を祈るかに思えて、しかし実際にはそれは、ほかならない「ママ」という恩恵を希求する雨乞いなのです。

雨の音/音の雨
歌謡曲における雨は、もっぱら歌詞の言葉のなかに降ります。それでもなお、歌謡曲とは、そうした言葉が、演奏とともに音声をもって歌唱される響きの持続として聴かれるものです。つまり歌謡曲は、単に歌詞カードのうえに記された文字としてばかりでなく、音としても雨を表現しようと試みてきました。

そのもっとも一般的な手法は、イントロへのピアノによるアルペジオの導入です。たとえば太田裕美のデビュー曲〈雨だれ〉(1974)のイントロやAパートにおけるオブリガードのピアノの演奏は、まさしく「雨だれ」の雫の音楽的な表現でしょう。荒井由実の〈ベルベット・イースター〉(1973)についても同様に、アルペジオによるピアノの独奏のイントロは、規則性と不規則性のあいだで揺らぐ雨だれのリズムの表現とみなせます。とりわけルートのC音の響きを拾えば、よくそれが捉えられ、波紋のような音の広がりを感じとれます。

伊藤つかさが歌唱した〈もう一度逢えますか〉(1982)では、ここにさらに木琴系の音がユニゾンで重ねられているようですが、いずれにせよ、鍵盤を跳ねるように押さえたときの中高域にかけてのピアノの単音の連鎖は、その歯切れのよさも貢献して雨粒の一滴ごとのかたちを鼓膜に刻んでいきます。なお、松本隆が「雨」を「舗道の鍵盤を叩」く「こわれたピアノ」に喩えたのは、稲垣潤一に提供した〈バチェラー・ガール〉(1985)でのことでした。

電気ピアノの響きもまた、しばしば雨の表現となります。ただしそれは、伊藤銀次の〈こぬか雨〉(1977)におけるように、電気的な回路を介した音質の調整や、音程を揺らしつつ左右に振るステレオ効果もともないながら、水のより細かい粒子の曖昧模糊とした塊が風に流れ、漂いつつも、いつのまにか身体を包み、鼓膜に浸透してくるさまの表現に適しています。〈こぬか雨〉のイントロの場合には、ここにホーン・セクションが低音から忍びやかに侵入し、いつのまにか重く濡れた私たちの足もとに鬱陶しくまとわりついてきます。

電子ピアノやシンセサイザー、さらには鉄琴系の楽器も含め、澄んだ鉱物のように硬く煌めく質の高音は、これに奏でられる複数の音符のあいだの紐帯が弱まるほど、いよいよ雨があがり、ついには草葉のうえに残された雨露が雲間からのぞく太陽に輝く光景へと、活写の対象を移行させます。

三善英史の〈雨〉におけるAパートからA’パートをまたぐ鉄琴系の高音域のオブリガードでは、8分音符がつらなる狭い符割りゆえに止まない小雨の印象を与えます。しかし長渕剛の〈君は雨の日に〉のイントロにあっては、歌詞のなかで「雨よ降れ降れもっと」と請われるにもかかわらず、4分音符の長さを基本に打鍵される類似の音が、すでに「雨」の止もうとしていることの予兆となります。とりわけその第1小節2拍目のC#音は、葉のうえに落ちてこれを揺らす雨粒ひとつの動的な煌めきを思わせます。

さらに、伊藤つかさによる〈雨降る午後〉(1982)のAパートで、「流れる」と歌いだされた直後の休符を埋めるように鳴るC音などは、ほかの音と連鎖せず独立した一打としてチャイムのごとく響き、すでに葉のうえにある雨露が静的に輝くさまを表象します。

ただし、こうした響きのいずれについても、楽曲のタイトルや歌詞に使用された雨にまつわる語句からの影響は払拭できず、そうした語句と関連づけられないまま音響的な持続それ自体として雨の表現たりうるところとまでは、容易に結論されるものではありません。

*1 マイケル・ボーダッシュ,『さよならアメリカ、さよならニッポン』, 奥田祐士/訳, 白夜書房, 2012, pp.41-42.
*2 飯塚恒雄,『カナリア戦史〈日本のポップス100年の戦い〉』, 愛育社, 1998, p.133.
*3 舌津智之,『どうにもとまらない歌謡曲―七十年代のジェンダー』, 晶文社, 2002, p.104.
*4 同書, p.102.
*5 「Pen 大滝詠一に恋をして」4/1号, CCCメディアハウス, 2021, p.23.
*6 松本隆,『風のくわるてつと』, 立東舎(立東舎文庫), 2016,pp.278-281.

堀家教授の「雨の歌」10選

1.〈雨の夜の東京〉フランク永井(1967)
 作詞/青山喬,作曲/新堀一孝,編曲/竹村次郎

フランク永井は、1957年に発表された〈有楽町で逢いましょう〉をもって淡谷のり子以来の“ブルース”の系譜に自らを位置づけるとともに、雨の降る首都東京の最大級にして最高級の盛り場である銀座や有楽町を舞台とすることで、いわば“ラウンジ歌謡”の帝王となった。以降、石原裕次郎による日活ムード・アクションの世界観に干渉しつつも、4ビートのジャズのリズムをラテンのそれに置き換えた“ムード歌謡”の醸成に関与していく。サビで短3度のブルー・ノートを効かせるシングル盤〈マンション・ブルース〉のB面曲として扱われた本曲は、吉田正の手を離れムードよりはむしろリズムの側が強調され、GSブームを横目ににらんだ旧来の歌謡曲陣営の模索を推察させる。世界の主要都市をめぐる歌謡組曲として1969年に発表された、全篇が橋本淳の作詞と筒美京平の作曲によるコンセプト・アルバム《旅情》に収録の〈霧〜ロンドン〜〉も必聴。[都市-夜-雨]を主題とする”シティ・ポップス”の祖型として、いまこそフランク永井を評価すべき時機だろう。

2.〈どしゃぶりの雨の中で〉和田アキ子(1969)
 作詞/大日方俊子,作曲/小田島和彦,編曲/山木幸三郎

和田アキ子のデビュー2作目となるシングル曲。歯切れのいいオルガンとブラスの弁証法的なかけあいからはじまる、ファンク調ソウル歌謡の傑作。正-反につづく合となるイントロの3フレーズ目で、半拍分を休符で溜めたⅠmからはじける、ギターの助けを借りた9thのテンションに痺れずにいられない。メロディの符割りに応じて長母音化するア行の音に「h」の子音の楔を打って分割する和田の歌唱法は、日本語による歌詞の言葉を等時拍音の束縛から逸脱させ、演奏におけるグルーヴのなかで機能させるための手練として、すでに弘田三枝子の歌唱にみられたものである。やはりこれは、パンチの効いた歌唱を特徴とする限られた歌い手にのみ許された、強烈な呼気の排出を前提とするのだろう。喉でも腹でもなく、胸で、肺で歌うこと。和田アキ子のソウルはそこにある。サビの「どしゃぶりの雨の中で」のフレーズの背景で、8分音符でつらなりウラ拍に強勢が置かれるモータウン風味のギターのコード・カッティングが、ここでの「雨」の降りようを示唆する。シングル盤のジャケットのデザインもまた、ファンキー・ジャズのそれを想起させて秀逸。

3.〈雨〉三善英史(1972)
 作詞/千家和也,作曲/浜圭介,編曲/近藤進


イントロの冒頭で「〻♩♩♩」の符割りで聞こえる、スチール弦を張られたアコースティック・ギターによる高音側複数弦でのダウン・ピッキングが、「土曜の昼下がり」の「雨」の繊細さをよく表現している。とともに、これがナイロン弦の指弾きでないことが、この楽曲を演歌の聴衆よりもフォークの聴衆により近しいものとする。大きなメッセージを唱えることに疲れ、小さな私事をめぐる告白へと変容していくフォークの姿は、とりわけこの年の吉田拓郎〈結婚しようよ〉や井上陽水〈傘がない〉に象徴的だが、しかし神の視点から観察され、私という主観では語られない千家和也による歌詞の非私的にして些末な世界には、こぶしもヴィブラートも控えめな三好の甘く澄んだ歌唱もあいまって、その歌詞内容にもかかわらず押しつけがましいところのない、爽やかさな後味を残す。

4.〈乱れ髪〉大瀧詠一(1972)
 作詞/松本隆,作曲・編曲/大瀧詠一

実質的にはほぼ解散状態にあったはっぴいえんどの活動のかたわらで発表された1stソロ・アルバム《大瀧詠一》に所収。同じくここに収録された〈それは僕ぢゃないよ〉とともに、メロディ・タイプの楽曲として彼のキャリアのなかでも屈指の珠玉であり、吉野金次の手によるここでのストリングスは、大瀧を“日本語のロック”から解放するものとなる。大滝詠一の歌唱による雨の曲では〈雨のウェンズデイ〉がよく知られ、ナイアガラの飛沫にまみれた水曜日の「雨」の「菫色」は、水平線を暈しつつそこに消え入るようなグラデーションのなかに音の遠近法を配置する。しかしここでは「雨」は、「乱れ髪のよう」な一条ごとの切先となって、「窓を埋める影」の向こうにその軌跡の描線をくっきりと画していく。

5.〈ベルベット・イースター〉荒井由実(1973)
 作詞・作曲/荒井由実,編曲/荒井由実・キャラメル・ママ


ユーミンには雨の曲が多い。デビュー・アルバムとなる《ひこうき雲》にも、この楽曲のほか、「夜明けの雨はミルク色」がブレッド&バターの〈白いハイウェイ〉における「ミルク色した霧の中」を想起させる〈雨の街を〉や、「霧」の〈曇り空〉と〈スーパー・パラシューター〉が収録されている。それらに加え〈ひこうき雲〉〈空と海の輝きに向けて〉〈紙ヒコーキ〉とタイトルを俯瞰しただけでも、このアルバムにはそもそも天気や空気への関心が充満していることがわかる。その後も彼女は、独身時代に限っても〈12月の雨〉〈雨のステイション〉〈天気雨〉を発表し、また〈冷たい雨〉をハイ・ファイ・セットに提供するなど、雨に関心を払いつづける。それでもなお、1曲を選ぶならばやはりこの楽曲だろう。単なる部分転調というよりはむしろ、ハ短調とト短調のふたつの調性が互いを組み込みあって共存しているようなコード進行のもと、雲ではなく「空がとってもひくい」と表現する言語感覚の機微も含め、彼女の天才が凝縮された最高傑作と確信する。

6.〈こぬか雨〉伊藤銀次(1977)
 作詞・作曲・編曲/伊藤銀次


大瀧詠一の主導で山下達郎も交えて企画された名盤《NIAGARA TRIANGLE Vol.1》の翌年にリリースされた、伊藤の1st ソロ・アルバム《DEADLY DRIVE》所収の名曲。「街に今日も霧がふる」さまの表現とすべく、左右に振られて揺らぐ電気ピアノの分散和音に支配されたイントロの音場には、やがてホーン・セクションが低音から忍びやかに侵入し、いつのまにか重く濡れた足もとに鬱陶しくまとわりついてくる。微細な水の粒子の曖昧模糊とした塊が風に流れ、漂い、身体を包み、鼓膜へと浸透する過程は、音響的な持続のなかで、あるいはむしろ音響的な持続そのものとして「こぬか雨」を表現する試みを、かなりの程度と精度において達成するものである。なにより、電気ピアノの演奏および管絃のアレンジを担当した若き坂本龍一の手腕が冴える。

7.〈雨降る午後〉伊藤つかさ(1982)
 作詞/川上伸之,作曲/山崎哲志,編曲/青木望


伊藤つかさの楽曲のなかでもっとも歌謡曲の核心に近づいたポップな秀作。そうであるほど、コンプレッサーを効かせすぎたリード・ギターや音量の過大な女性コーラス、軽くおとなしいブラスやヴィブラフォンなど、特にサウンド面について気になる要素も増えるが、素直に聴けばそつなくまとまっている。好盤《タッチ》収録。1stアルバム所収の〈ふたりぼっち〉をはじめ4thシングルとなる〈もう一度逢えますか〉など、彼女にも雨の佳曲は多く、そのうち〈雨の土曜日〉では、歌唱のうらでストリングスと絡みあいつつ次第に暴走していく電気ピアノの過剰さに惹かれる。しかし伊藤つかさを雨の歌い手たらしめているもの、たとえばそれは、TBSドラマ『鞍馬天狗』の撮影現場から中継された『ザ・ベストテン』の映像で、雨を避けて町家のセットの短い軒下から〈少女人形〉を歌ったあのイメージかもしれない。

8.〈ずっとそばに〉原田知世(1983)
 作詞・作曲/松任谷由実,編曲/松任谷正隆


代表作であるシングル盤〈時をかける少女〉のB面に所収。ユーミンによるセルフ・カヴァーが《Reincarnation》に収録されているが、語りかける相手を「きみ」と呼ぶときのユーミンの歌声にみられる包容力のとばりはここにはない。他方で、原田知世の歌唱が実現する「ふりそそぐ8月の雨」の透明感は、たとえ誰であれ「かわってあげられぬ痛み」のように凛々しく、厳しく屹立する。脆く不確実な距離のいちいちを手探りで測りつつ世界と対峙しようとしているその歌声にとって、「そばにいる」こととは、ほかならない孤独の謂であろう。

9.〈だれかさんとだれかさんが〉KIRINJI(2014)
 作詞・作曲/堀込高樹,編曲/KIRINJI


バンド体制に移行したKIRINJIには、キリンジ時代の〈雨を見くびるな〉や〈雨は毛布のように〉にみられた洗練への強迫観念的な気負いはもはやなく、いわばポップスにタブーなしと開きなおったことの勢いを感じる。ドラムやベースの切断音をスティール・ギターやシンセサイザーの持続音が貫通して生じる独自のグルーヴは、どしゃぶりの天気雨のような明るい湿気の清涼感をあたり一面にもたらす。芳本美代子の〈雨のハイスクール〉ならば、「静かすぎる図書館」や「クラス中の人」はもちろん、「雨」もまた「あなた」と「私」の「愛」のために設定され、「横切る傘の波」のなか「ポツン」と残された「赤い傘」を焦点化しようものを、ここでは「甘い雨」は、誰でもかまわない第三者、「原田さんと森田くん」であれ「相楽さんと野口くん」であれ、交換可能な「だれかさんとだれかさん」の「恋」を仕立てるためにこそ降る。逆にいえば、そこでは誰もが等しく「恋に溺れ」る権利がある。「授業終わりの理科室」「濾紙と漏斗とビーカー」「アルコールランプの青い炎」「人体模型」などで示される理系の人物像は、帰りの会で手をあげた観察者としての学級委員長が、善意も悪意もなくただ事務的に「だれかさんとだれかさんが恋に落ちそうです」と先生に報告をする口調を補強し、このときのクラスのざわつきさえ聞こえてくるようだ。バンド体制への移行後初のアルバム《11》収録。


10.〈さっぴー〉NUUAMM(2014)
 作詞・作曲/マヒトゥ・ザ・ピーポー


雨模様を歌うのにふさわしい声というものがあるとして、おそらく青葉市子の声などはその最適解であるように思う。といっても、それはシズル感のように局所的に滴って濡れた光沢を放つ露状の声ではなく、声の粒子が空気中の水の粒子と結合し、その振動を空間全体に満遍なく沁みわたらせ、遍在する空気そのものを自らの声の現前とするような、霧状の肌理を呈する響きである。ほとんど残響効果が施されておらず、耳もとで歌われるこの録音でも、こうした印象は損なわれることがないのだから、やはり彼女の生来の声質や発声に依存するものだろう。小柄な彼女が抱えるように演奏するナイロン弦のギターの音は彼女の腹腔につたわり、また彼女の声も腹腔からギターにつたわって、不可分なひとつの音響的な持続となる。マヒトゥ・ザ・ピーポーの声や彼がiPhoneのアプリで実演してみせるリズム・ボックスの打音は、空気として遍在する青葉の湿度の高い音声と演奏にとって、だから均等な満遍さに波紋を穿つノイズすなわち外部である。「小雨降る東京」や「阿佐ヶ谷」のなじみの光景とは異なる、「まだ名前のない色」であるそれは、「デタラメに羅列変え」られた「東京23区」のように、もはやないことといまだないことのあいだで私たちを「迷子」にしてしまう。

番外_1.〈白い靴下は似合わない〉アグネス・チャン(1975)
 作詞・作曲/荒井由実,編曲/あかのたちお

今回のリストではユーミン案件が多いためこれを番外にまわした。1975年は、8月1日にバンバンの〈『いちご白書』をもう一度〉が、8月25日に本曲が、10月5日には〈あの日に帰りたい〉がそれぞれシングル盤で発売され、いわゆる第1次のユーミン・ブームが訪れた年であった。この翌年に三木聖子に提供した〈まちぶせ〉が1981年に石川ひとみの歌唱で再発売され、そのヒットが同年の〈守ってあげたい〉以降の第2次ユーミン・ブームの嚆矢となったことをみても、まずは他の歌い手への楽曲提供が彼女の才能を平明に紹介する機能を担っていることは疑いない。実際、それら提供曲はいずれも、本人の歌唱を前提とした楽曲に比べて構成がわかりやすく、テンション・コードの使用もほとんどないうえメロディはキャッチーである。なによりサビでは、ほぼ同時期に作曲されたためかいずれもⅡm7−Ⅴ7−Ⅰ−Ⅵmのコード進行が用いられ、奇をてらうところは微塵もない。本人のための楽曲と売れ線の歌謡曲のあいだに提供曲を落とし込む手口が絶妙。

番外_2.〈霧に走る〉中島みゆき(1980)
 作詞・作曲/中島みゆき,編曲/後藤次利

注)同曲の松坂慶子歌唱バージョン

雨ではなく〈霧〉が立ちこめるため、ここでは番外とした。後藤次利によるシャンソン風味のアレンジが、重く沈みがちな中島みゆきの情念をほぐしてやわらげ、「こんな車こわれてしまえばいい」とする呪詛までも「とりとめもない冗談」として回収する。シングル盤〈かなしみ笑い〉のB面収録曲として発表されて以降、この音源にまみえる機会はほとんど与えられていないが、個人的には〈糸〉などよりよほど多くに聴かれるべき良曲だと思う。


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文:堀家敬嗣(山口大学国際総合科学部教授)
興味の中心は「湘南」。大学入学のため上京し、のちの手紙社社長と出会って35年。そのころから転々と「湘南」各地に居住。職に就き、いったん「湘南」を離れるも、なぜか手紙社設立と機を合わせるように、再び「湘南」に。以後、時代をさきどる二拠点生活に突入。いつもイメージの正体について思案中。

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