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手紙社リスト音楽編VOL.17「堀家敬嗣が選ぶ、”くだもの”な歌謡曲10選」

あなたの人生をきっと豊かにする手紙社リスト。17回目となる音楽編のテーマは、くだもの。“聴くべき10曲”を選ぶのは、手紙社の部員たちに向けて毎月「歌謡曲の向こう側」という講義を行ってくれている、山口大学教授の堀家敬嗣さんです。自身もかつてバンドマンとして活動し、幅広いジャンルの音楽に精通する堀家教授の講義、さあ始まります!

歌謡曲の果実

くだもの
農林水産省は、多年栽培する草木のなかでその果実を食用とするものを[果樹]と定義しています。園芸作物の生産振興を効果的に推進することを目的としたこの定義では、クリやウメといった作物は果樹の実となる一方で、そうした実りを収穫したその都度、旬の終わりとともに枯れてしまい、年ごとに種子や苗をあらためて植え、育てる必要のあるイチゴやスイカ、メロンなどは野菜として扱われます(*1)。とはいえ、これは果実もしくはくだものをめぐる私たちの語感にどれほどか齟齬をもたらすものでしょう。

たとえばクリの場合には、これを食すまでに棘の殻を剥き、熱をとおす調理の過程が介在すること、さらにはそこに蓄えられた水分量の乏しさなどが、これを果実と称することに躊躇を覚えさせます。加えて、栗の字には木が植えられており、木工材料としても古くから親しまれてきたこの植物については、[果樹]よりはもっぱら樹木として同調できるところは大きいはずです。

逆に、イチゴの場合には、愛らしい涙滴型の紅く薄い皮膚表面に歯を立てるやいなや果汁の漲るみずみずしさや、たちまち口腔に広がり鼻腔まで拡散する甘酸っぱい味覚そのものが、むしろこれを代表的な果実のひとつに挙げることさえ許容するでしょう。苺の表記における草の謂は、一年草の果実はすべからく野菜とすべきと設定する監督省庁による、管理上の便宜を優先させたあまりいかにも官僚的な姿勢を、冷笑であしらってみせます。

それゆえに、ここではひとまず、果実やくだものをめぐる語句や表現をごく常識的に味わってみることにします。

とはいえ、実際には、スイカやメロンといったウリ科の果実について、歌謡曲はこれを扱いこなせてはいないように思われます。おそらくそれは、なによりもまずその実の大きさに由来するところと考えられます。

そのうえで、ウリ科にはキュウリやズッキーニ、カボチャなど、まぎれもなくその実を野菜として食されるために栽培される園芸作物が含まれ、スイカやメロンにもそうした風味を感じさせる瞬間が存することは否定のしようもありません。要するに、スイカやメロンには、その根をたどって茎や葉へとつながる土の匂いが拭いがたく漂うのです。

スイカをめぐる表現の用例としては、《よしだたくろう・オン・ステージ!!ともだち》(1971)においてはじめて発表された〈夏休み〉(1971)に集約されるところとみて過言ではないでしょう。「麦わら帽子」や「たんぼの蛙」、「絵日記」や「花火」、「畑のとんぼ」や「水まき」、「ひまわり」や「夕立」、そして「せみの声」などと併置されつつ歌詞のうちに登場する「すいか」の語は、すでに喪失された少年期を象るよしだたくろうの「夏休み」に欠かせざる構成要素です。

市川実和子の《PINUP GIRL》(1999)に収録された細野晴臣の作曲による〈雲に隠れて〉は、はっぴいえんどの〈夏なんです〉(1971)を思わせもしますが、ここでも「スイカ」の味わいは、あくまでも「蝉時雨」の「夏の空」のもと、「静か」な「葉山の海」に近い「縁側で」こそ嗜まれるものと歳時記のごとく綴られています。

舌を痺れさせるような濃厚な芳香のゆえか、肌理の細かい果肉の高級感のゆえか、メロンはスイカよりも多分に果実的に扱われます。

〈メロンのためいき〉(1986)は山瀬まみのデビュー曲でした。しかしここでは、「蒼いメロンのためいきみたいなキッス」は実現しません。まだ熟していない若い「メロン」の青臭さはいかにも野菜のものだからこそ、たとえ「頬」にであれその実現は忌避されたのかもしれません。さらにここでは、口にできない「好き」の「言葉」さえが、「赤いイチゴを一粒ほお張るように」して「噛みしめ」られます。

むしろメロンは、その果実とはほとんど関係のない体裁で歌謡曲に援用されます。SUPER BUTTER DOGによる《grooblue》(2001)に収録された〈メロンパン〉でも、aikoが中心となって吹き込まれた〈メロンソーダ〉(2019)でも、もはや本来の果実とは無縁の加工飲食料品として、もっぱらその果実の色彩や形状にのみメロンは共鳴するところとなるのです。

リンゴ
果実をめぐる語句や表現をごく常識的に味わってみるにあたって、歌謡曲ともっとも親和的なくだものとは、おそらくリンゴをおいてほかにないでしょう。

たとえば、並木路子と霧島昇が歌唱し、敗戦した焼け野原の日本を勇気づけたという〈リンゴの唄〉(1946)は、戦後はじめてのヒット曲とされます(*2)。美空ひばりを不動のスターの座へと位置づけた〈リンゴ追分〉(1952)は、売りあげ記録を更新して当時の最大のヒット曲となりました(*3)。フランク永井は、この果実の産地の地域性を前景化し、それが土着的な産物であることを強調した〈リンゴ追分〉への返歌のような〈林檎ッコ〉(1959)を発表しています。

『旧約聖書』のエデンの園における創世の物語は、リンゴを禁断の果実としました。その挿話から、この果実はしばしば愛の象徴として援用されます。Charaの《baby bump》(2018)に所収の〈赤いリンゴ〉では、「赤いリンゴ」は「くちびる寄せて噛」むことのできる「愛」のかたちです。〈りんごのうた〉(2003)の椎名林檎は、「わたしのなまえ」のとおり「りんご」の立場から自己言及的にこの「つみのかじつ」について描写しています。
郷ひろみと樹木希林の〈林檎殺人事件〉(1978)でも、「殺人現場」に「落ちていた」のは「真赤な林檎」でした。「アダムとイブが林檎を食べてから」というもの、「男と女の愛のもつれ」による「殺人事件」は「跡をたたない」ようです。

岡本舞子は〈愛って林檎ですか〉(1985)で正式にデビューしました。「甘いだけではなさそなキス」のことを「うっかり知ってしまっ」た「私」は、この「重たいもの」、「姿の見えない 不確かなもの」である「愛」の「形をたど」るとき、「酸っぱ」く、「色づくとハートに似て」、しかし「サクリと割れて泣」く「林檎」のそれに思い至ります。

ピンク・レディーの楽曲には〈ピンクの林檎〉(1977)があります。〈愛って林檎ですか〉の作詞家によるその陳腐な習作のごときここで、「私」は「林檎を食べ」てしまったせいで「恋」を知ります。「ピンク」とは、ピンク・レディーの色であるのはもちろんのこと、愛ではなくあくまでも「恋」の色であり、そのうえこの「ピンクの林檎」すなわち「恋」を「口にし」たために「ふらふらに酔っている」彼女たちの、頬や身体の火照りの色であるかもしれません。

野口五郎の〈青いリンゴ〉(1971)は、その「青」さを果実の未熟さゆえとも品種のゆえとも明言することはありませんが、少なくともこれが「涙の初恋」を謳う以上、熟れきらない酸味や硬度の側に吸引されることは不可避です。《詩色の季節》(1982)の小泉今日子による〈林檎のきもち〉(1982)の場合には、「青い林檎」は「青い季節」にも置換され、「恋の入口」を探索する「甘くすっぱい 私の想い」と等価となります。その「青」さを糊塗すべく、彼女は「口紅つけ」もします。

〈ガラスの林檎〉(1983)は松田聖子が歌唱した意欲作ですが、「何もかも透き通ってゆく」はずの「ガラス」にあってもやはり、「林檎」であるからには「せつなさの紅を注」されずにはいません。これらの言葉を綴った松本隆は、〈それはぼくじゃないよ〉(1971)の歌詞を大瀧詠一に提供しています。ここで「林檎」は、「翻」る「きみの髪」に煽られた「におい」として存在します。にもかかわらず、この「林檎」をめぐる直接的な与件ではない色を聴き手が感覚しうるとすれば、それは、「茜いろの朝焼け雲」と「ほっぺたの紅」、「うす紫の湯気」などが「林檎」の語の登場を準備し、これに共振するからです。

オレンジ
いわゆる柑橘系の果実も歌謡曲に援用される機会の多い樹種です。

ただし、はっぴいえんどによる〈はいからはくち〉(1971)での「蜜柑」や、彼らの〈春よ来い〉(1971)における「お雑煮」を「みかん」に置換したようなニュー・サディスティック・ピンクによる〈さようなら〉(1973)を除き、歌謡曲がミカンに言及することは稀です。

おそらくこれは、ミカンが土着的な産物である一方で、その代替としての類縁種が豊富に輸入されている事実に起因するところと考えられます。つまりここでも、土の匂いは巧妙に忌避される傾向にあるわけです。

オレンジからは、ミカンにはない欧風の芳香がします。山川啓介の作詞による久保田早紀の〈オレンジ・エアメール・スペシャル〉(1981)では、「よく熟れたオレンジの冷たい重さ」を「さっくりとかじっ」た「私」の「心」に、まさに「酸っぱい恋しさ」が「ひろが」ります。この「恋しさ」をこそ、彼女は「1000マイルも遠く」にある「光降る国」から「あなた」に届けようと願うのです。

SMAPの〈オレンジ〉(2000)にあって、「天気雨」の「粒」を「オレンジ」に染めたのは「今日の夕日」でした。《小さな丸い好日》(1999)に収録されたaikoの〈オレンジな満月〉についても、夕陽の名残りの光が昇りはじめの「満月」を「オレンジ」に染めていたのかもしれません。さらに、「小さな丸い好日」の語句は、単に平和で慎ましい良日の謂ばかりでなく、宙空の太陽と果実としての「オレンジ」との形態的な類似をも示唆します。キャンディーズが発表した〈オレンジの海〉(1977)での「水平線のオレンジ色」とは、ほどなくあたりの「空」に「一番星」の認められることから、やはり海に沈む夕陽が染めたものとみなすことができるでしょう。

〈オレンジ色の絵葉書〉(1983)は冨田靖子の楽曲ですが、この「絵ハガキ」の「オレンジ色」は、むしろ「胸のPost」の色に呼応するものであって、そこではすでにこの果実の球体状の形態は捨象され、それゆえ本来の果実とはおよそ無関係です。

松本隆もまた、太田裕美の《手作りの画集》(1976)では、〈オレンジの口紅〉において「青い波」や「白い海岸道路」との対比のなかに「オレンジ色の口紅」を位置づけています。大滝詠一の〈カナリア諸島にて〉(1981)で「薄く切ったオレンジをアイスティーに浮かべて」みた松本は、〈♡じかけのオレンジ〉(1982)についてはもっぱらその色に「ペティコート」を彩らせるにすぎません。

松本隆にとってこの果実の彩りはどこか人工的かつ強烈なもので、ごく「薄く」輪切りにしたうえで「アイスティーに浮かべ」るくらいがほどいいのでしょう。だから彼の「黄昏」も、空一面その彩りに覆われるよりはむしろ、類縁種の色彩を借りて「オレンジ・ライム」に暮れていくことを好みます。松田聖子による傑作アルバム《風立ちぬ》(1981)を舞台に、作曲に旧知の鈴木茂を招いた〈黄昏はオレンジ・ライム〉のなかで、「ライムをひと絞り」した「グラスに映」った「夕陽」の「オレンジ」色は、いまや「ライム」に希釈されて「グラス」を透過し、この「不思議に泣け」るような「黄昏」のときはまさしく「オレンジ・ライム」に染まるのです。

甘味の濃厚なオレンジから酸味の輪郭が鮮明なレモンまで、その味覚の具合いに応じて、あと味に爽快さや清涼さを叶えてくれるため、柑橘系の果実はそうした感覚を欲する喉に注がれる飲料としばしば関連づけられ、またこれらを歌詞に織り込んだ楽曲がその広告に採択される機会も少なくありません。

実際に、「君は光のオレンジ・ギャル」と謳う太田裕美が歌唱した〈南風-SOUTH WIND-〉(1980)は、「君は光のオレンジGAL。」を惹句とした果汁入り飲料「キリンオレンジ」の CMソングでした。なお、この楽曲のあとを受けた久保田早紀の〈オレンジ・エアメール・スペシャル〉の惹句は、「光降る国へオレンジGAL。」とされました。

レモン
竹内まりやによる〈Dream of you〉(1979)は、炭酸飲料「キリンレモン」のCMソングとして、この商品の惹句であった「レモンライムの青い風」を副題と歌詞にそのまま援用しています。その「風」の爽やかさを商品名にあわせた果実単体のものとせず「レモンライム」と綴ったのは、ことによると「ライム」の語をもって炭酸水のほろ苦さを表現し、「レモン」の酸味との「不思議なハーモニー」を提案する意図があったのかもしれません。まったく同一の惹句を継承したepoの〈PARK Ave.1981〉(1980)は、その歌詞に「レモン・ライムの 青い風」と表記しています。

〈黄昏はオレンジ・ライム〉を松田聖子に提供した鈴木茂は、ほどなく堀ちえみのデビューにも加担し、〈潮風の少女〉(1982)を編曲したのち、〈真夏の少女〉(1982)では作曲にも従事しています。ここで中里綴の歌詞は、「あなたに逢いに行く時」の「身体の中まで フレッシュ」な様子を、「冷たい レモンのジュース」をまさに「ひと息 飲みほした気分」に喩えています。

飲料水の香料にも応用されるこうしたレモンの酸味の爽やかさは、初々しい恋のそれに重ねられてきました。

みナみ・カズみのころの安井かずみが訳詞を担当し、ザ・ピーナッツがカヴァーした“翻訳ポップス”である〈レモンのキッス〉(1962)においてすでに、「あまい」もしくは「甘いレモンのキッス」は、「フレッシュで かわいくて」、それでも「恋をした 女の子」には、ほんの「ちょっぴり」ではあれ確かに「すっぱい」のです。

筒美京平の作曲家としての処女作は、のちに子門真人に改名する藤浩一が吹き込んだ〈黄色いレモン〉(1966)です。師匠であるすぎやまこういちの名義を借りて発表され、〈バラが咲いた〉(1966)の曲調を思わせるこの作品では、「あの娘はすっぱい 恋をし」て、どうしても「黄色いレモンに 涙がこぼれ」ずにはいません。それでもなお、「青空」のもと爽やかに「あの娘は涙で 笑」うのです。

〈三色れもん〉(1982)は、小泉今日子のデビュー盤のB面を飾った楽曲です。ここでは、「初めて」の「不思議な気持」、その「泣きだしたいほど」の「可憐な気持」が、「甘ずっぱい れもんの気持」と形容されています。大瀧詠一の《NIAGARA CM Special Vol.2》(1982)に収録された〈Lemon Shower〉の歌声は須藤薫のものです。飲料ではなく、明治製菓の飴菓子のCMソングとして制作されたこの小品では、糸井重里の言葉をもって、「やさし」く「しのびよる」その「すっぱ」さが「恋のスパイ」にかけられます。

なるほど、たとえば伊藤ゴローが原田知世の歌唱を迎えた〈レモン〉(2010)のように、「檸檬色」が「あまい思い出」の磁場となることもありえるでしょう。ことによると午後の少し傾いた陽射しを反映したものかもしれない「檸檬色の雲」が、「大好きなメロディー」に「閉じ込め」られた「思い出」のなかから、「五月の風」のもと「あなた」の「白いシャツ」や「白い帽子」を抽出します。

つまりそこでの「檸檬色の雲」とは、おそらく、「あなた」の「白」さの鋭敏な尖りについて、これが発酵して甘味が増強される反面で酸味の側が大きく緩和されてまろやかとなるような、いわば堆積した時間の形象化です。換言すれば、意識のうちに抽出されるそうした「思い出」のあれこれは、この「雲」のプリズムに「檸檬色」を濾過されたうえで、「白」く「あま」いものとして出来するにちがいありません。

他方で、レモンの酸味が凝縮されるとき、それは苦渋にも似た舌触りをあと味に残します。

さだまさしの〈檸檬〉(1978)にあって、「青春達」の「姥捨山」とされる「この町」では、果実としての「檸檬」それ自体はもちろん、「白い石の階段」や「蒼い空」、「金糸雀色の風」や「快速電車の赤い色」など、さまざまな色彩が交錯します。「使い棄てられ」てしまった「愛」でもあるだろうそれらは、いま「聖橋」から「放」られた「喰べかけの夢」すなわち「檸檬」と等価です。そうして「時の流れ」へと「捨て」られた色彩群は、もろとも足もとを通過する「各駅停車の檸檬色」に「かみくだ」かれ、「川面」に「静かに堕ち」ながら「波紋の拡がり」のうちに「消え去」るのです。

米津玄師がものした〈Lemon〉(2018)も、「苦いレモンの匂い」について、「胸に残り離れない」ような、さらにはそのせいで「あれから思うように」は「息ができない」ような、ある種の「心」の「傷」として措定します。

モモ
リンゴが西洋における神話的な果実であるとすれば、東洋におけるそれはモモに相当するでしょう。リンゴが禁断の果実とされた一方で、モモは原産地である中国では仙木とされてきました(*4)。たとえば、玉帝から仙果である蟠桃の番人に任ぜられながら、これを盗み喰いして阿弥陀如来仏の掌のうえで懲らしめられたのは、『西遊記』の孫悟空でした。その功労として阿弥陀如来仏が西王母から賜ったのもまた、大株の蟠桃です(*5)。陶淵明が著した「桃花源詩幷記」においては、仙境の発端は他の樹種のひとつも混じることのない桃花ばかりの林でした(*6)。

陶淵明の世界観を動機として、さだまさしは台湾の旋律を借りて〈桃花源〉(1978)を発表します。ただしここではそれは、モモよりはむしろ「野苺色した夕陽」に映える「黄金」の「稲穂」に埋もれた「あなたの里」の、「なんにも変りはない」日常の景色です。なお、〈桃源郷〉と題した同名異曲を、Galileo GalileiやももいろクローバーZ、さらにはRADWIMPSも、それぞれ2011年と2016年、および2021年に発表しています。

槇原敬之による〈桃〉(2001)での「桃」は、「高い場所に実を付け」る「柔らかいもの」と強調されます。手に届きづらく脆いがゆえのこの貴重さは、けっして「一人では感じられなかった気持ち」として「君の言葉」によって「僕の中で実る」のだから、「君」と「一緒に」あることをもって「桃」はいっそう熟成し、「もっともっと甘く香る」のです。《さざなみCD》(2007)に所収のスピッツの〈桃〉でも、「取り替え」た新しい「電球」に呼応して「明るく」照らされた「唇」にようやく浮かぶ「桃」の「色」味には、「柔らかな気持ち」と「甘い香り」を付随させずにいられません。

果肉のみならず産毛に覆われた皮も含め、芳香や色調などさまざまな位相について、種殻を除いたモモの実はきわめて優しく柔らかい肌理を呈しています。なにより、淡白にして上品なその食味は、ほかの材料の差配でいかようにも方向づけが可能な菓子の素材としても秀逸です。

事実、竹内まりやの〈不思議なピーチパイ〉(1980)では、「その度」に「ちがうわたし」のありようを「みせて くれる」からこそ、「恋」したときの「気分は ピーチパイ」に喩えられます。そのとき「わたしの気持は 七色に溶け」、それは「私の身体を バラ色に染め」るのです。

〈ピーチ・シャーベット〉(1983)は、松田聖子が《ユートピア》のために吹き込んだ楽曲です。松本隆が作詞し、杉真理が作曲したここでは、「あなた」からの「やさしいささやきもない」せいで「私」には「甘いことわり方」を実践する余地もなく、ただ「時さえ溶け出しそう」になる「八月」の「陽射し」のもと、ふたりして互いに「ピーチ・シャーベット」を「挟んで見つめる」よりほかないでしょう。

歌謡曲が着目するのは、とりわけこの果実の視覚上の曖昧な淡さです。

《HOSONO HOUSE》(1973)に収録された〈恋は桃色〉において、細野晴臣は「ここがどこなのかどうでもいいことさ」とうそぶいてみせます。なるほど、「壁は象牙色」で「空は硝子の色」もしくは「空は鼠色」の、この「見覚えのある街」にあって、かろうじて「赤いお月様」の輝きを反映して「恋は桃色」にわずかばかり染まるにすぎません。

角松敏生による《Summer 4 Rhythm》(2003)の〈桃色の雲〉の場合、「桃色の雲」とは、「君」の「飴色のピアス」を「気まぐれに光」らせて「沈」みつつある「夕陽」の名残りです。さらに、「抱かれるたび」に「素肌」が「夕焼けにな」ったのは、高橋真梨子の〈桃色吐息〉(1984)の「女」でした。その都度、そこで彼女が「こぼ」す「吐息」は「金色」となり「銀色」となり、そして「桃色」の、ときに「きれいと言われ」もする「華」となって「咲」くにちがいありません。

サクランボ
松浦亜弥が歌唱した〈桃色片想い〉(2002)では、「桃色」は「知らぬ間に しちゃって」いた「片想い」の「恋の色」であり、そこから「両想い」を「目指す」あいだの愉楽の一「季節」のものです。自分ひとりで勝手に「マジマジ」したり「キラキラ」したり「キュルルン」しながら、少しずつ「あなた」へと「近づい」ていく過程を空想するこの「ファンタジー」の「色」は、したがって、おそらく「あなたには 見え」るはずのない「夢」のものでもあるわけです。

そうした「この想い」について、どうあっても「君に」、「あの娘に」、つまるところ「ミス・ピーチ」にいつでも「届けていたい」と欲し、「チャンスはもう、今日だけ」なのだからいまこそ「届け…」と願ったのは、100sの〈ミス・ピーチ!〉(2009)でした。

空気公団の《あざやか》に所収の〈桃色の絨毯〉(2005)には、「扉を開けた途端」に「風」が「穏やかな花吹雪」を誘い、ひらりと「あなたの肩に止ま」った「花びら」に聴いた「和音」の広がりが、なお「薄色の文字を」も「投げ」かけてくる共感覚的な瞬間が記されています。ただしこの歌詞の描写に関しては、題名における「花」の色がモモのものではなくサクラのそれであるとも考えられます。

まさしく桜と桃とをもって表記される果実、それがサクランボです。

さだまさしは、《美しき日本の面影》(2006)の〈桜桃〉において、「桜桃」と、これを「そっと口に運ぶ君」が呈する「桜色の唇」とを合致させたうえで、「いつか」再び「ふたり」の「春の奇跡」としてこの果実の「実る」ように祈ります。「貴方から借りた太宰」の「頁を捲」ることでその命日に取材したのは、〈桜桃忌―おもいみだれて―〉(1981)の永井龍雲でした。

ゴールデン・ハーフなどにカヴァー盤が存在する〈黄色いさくらんぼ〉(1959)の原曲は、スリー・キャッツが吹き込んでいます。「お色気ありそで」、でも「なさそ」な「若い娘」のことが、ここでは「黄色いさくらんぼ」に喩えられます。〈さくらんぼ〉(2003)の大塚愛は、「隣どおし」で「愛し合う2人」である「あなたとあたし」を「さくらんぼ」とみなしています。

一見したところサクランボの謂であるかのようなスピッツの〈チェリー〉(1996)は、実際にはサクラのものだろう「春の風に舞う花びら」に言及するばかりです。他方で、なるほど「サクラが咲いている」YUIの〈CHE.R.RY〉(2007)の「景色」は、けれどそれよりも、たとえ「苦手」な「絵文字」であれ「ほんの一行」であれ、ほかならない「キミからの言葉」をもってはじまる「何気ない会話」のほうを優先されてしまいます。なぜなら、そのほうが「果実」はより「育ち」、いっそう「甘くなる」からです。

英詞をもってミッキー吉野の旋律をなぞる〈君は恋のチェリー〉(1977)で、Godiegoは「Cherries were made for eating」と謳います。これを歌唱していたタケカワ・ユキヒデの作曲による北原佐和子の〈スウィート・チェリーパイ〉(1982)では、「SWEET CHERRY PIE」について「あなたと食べ」るときには「どんな味か」と思案する「私」は、しかしいつのまにやら自身の姿を「あなた」に「食べ」られるそれに重ねて「甘くなりたい」と望まずにはいません。なお、《thaw》のくるりは〈チェリーパイ〉(2020)で「甘い甘いチェリーパイをよく噛んで喰」いもします。

〈恋のスウィート・チェリー〉(1981)はシャネルズの楽曲です。そこでは、「逢いたくて」も「逢えず」、もっぱら「帰らない ほほえみだけが」ただ「胸に浮か」んでくる「my love」に対して、「Sweet Cherry」と呼びかけられます。プリンスが監督した映画作品『プリンス/アンダー・ザ・チェリー・ムーン』(1986)に着想をえたものと思しき少女隊の〈チェリームーンで踊らせて〉(1988)は、やはり「My Love!」と呼びかけつつも、「Cherry Moon」の語句では単に赤味を帯びた満月のことが指示されているにすぎないようです。

ブドウ
ブドウもまた、その果汁を救世主の血になぞらえる『新約聖書』の記述などから、どれほどか神話的な果実であるといえるでしょう。

久保田早紀が発表した《天界》(1980)に収録されている〈葡萄樹の娘〉において、「葡萄樹の葉陰に立」った「少女の顔」に「心は魔女」の「あの娘」は、まるでその果実種のように「また一人若者」を酔わせて「もて遊」び、彼はその「魂を失く」してしまいます。

「ワイン飲み過ぎ」たことを口実に「同窓会のあと」で「あなた」に「手をひかれるままに」いつかの「森」に足を運ぶ松田聖子の〈葡萄姫〉(1999)などは、ことによるとそうした存在かもしれません。というのも、「低い葡萄の棚をくぐり抜けた」その「丘の上」とは、かつて「二人」が「葡萄の粒を口移しした想い出の場所」であって、この「秘密めく場所」でいま彼女は「あなた」とともに、「可愛い奥様に叱られる」懸念さえ生じる親密さのもと「あの頃の幼さ」を「愛し」んでいるからです。

《HATACHI NO AI》(1974)の小林麻美は、「二十歳が待ち切れ」ずに「始めた甘い生活」、つまるところ「お飯事だとからかわれ」るような「どこか背のびな純愛」のことを、〈ぶどう色の経験〉の表題のうちに一定の実りとして謳っています。山口百恵による《17才のテーマ》(1976)に所収の〈葡萄色の雨〉の「ふたり」は、「アパート借り」ることはおろか、まだ「一緒の部屋で」ほんの「ひと晩ぐらい 過して」さえもいません。そんな「ふたり」を、「やけに美しい 葡萄色の雨」が「濡」らします。ここでは、雨滴のひとつひとつのありようがつながってブドウの房となるはずです。

それらのブドウの色彩は、いわゆる赤ブドウとされる品種のものにちがいありません。武川行秀の名義で発売された〈グレープ・シード〉(1983)の歌詞も、Godiegoの〈君は恋のチェリー〉の場合と同様に英語で綴られています。ひと粒の「grape seed」を春の温んだ大地に埋め、夏をとおしてその蔓が育つさまを愛で、秋に摘んだ果実で友人たちを饗する旨が語られ、これを大地の、地球の恩恵と神に感謝するとき、「grape seed」の形状はその「fruits」の球状や「earth」の球形との相似となり、そこに世界創造のすべてが凝縮されるわけです。

「君」に「cherry」と呼びかけ「愛してるよ」と告げた「俺」は、SHERBETSによる〈グレープジュース〉(2000)の住人です。《AURORA》のこの楽曲で、「幼くて 行き先もわからない」まま「旅に出よう」とする彼ら「二人」の「小さなバッグにはグレープジュース」が収まっています。

もちろん、赤ブドウばかりでなく、歌謡曲には白ブドウも登場します。

カジヒデキの《MINI SKIRT》(1997)には〈MUSCAT〉があり、ゆずには〈マスカット〉(2018)があります。〈MUSCAT〉では「君」は「僕のマスカット・エンジェル」とされますが、ただし彼女の側が「マスカットみたいにもぎ取って投げ」た「ツースリーからのミラクルな」ものがなにか、詳らかとはなりません。こうしたなにかに仮に「空振り」したところで、「泣いてちゃダメ」と励ますのがゆずです。誰もが「みんな」、「黄緑」で「甘酸っぱ」くて「まん丸で」、「たわわに実」って「箱詰めされる前」の、「よりどりきみどり」の「マスカット」の果実ひと粒ずつであることが、ここでは声高に謳われます。

そのような「つぶぞろいのブドウ」から「あなたの手でひとつぶ」だけ「もがれ皮をむかれ」て、いまや「まる裸」の「この実はあなたのモノ」と宣明する平原綾香の〈マスカット〉(2016)は、《LOVE》のために玉置浩二から贈られた作品でした。そうして「あなたが頬ばっ」てしまうこの「わたし」こそは、まぎれもなく「甘いマスカット」なのです。

イチゴ
女性アイドルの存在性は、しばしばイチゴの果実をもって形容されます。

ライブ盤やベスト盤を除き山口百恵の最後のアルバムとなった《This is my trial》(1980)に、杉真理は〈想い出のストロベリーフィールズ〉を提供しました。歌い手自身が横須賀恵として作詞しているこの楽曲のなかで、「灰色の森をぬけ」た向こうで「大人にな」った彼女は、しかし「ひとりで居るこの部屋」で「オレンジの腕時計」を「逆まわし」させ、「金色の干し草」が「夕焼けに輝」いていた「あの頃の二人」に想いを馳せずにはいられません。「もうもどれない」そこで「もうもどらない」色彩の褪せた「ストロベリー」は、もっぱら「銀色」に煌めくばかりです。

ここで「はじめてのくちづけ」を交わした山口百恵の楽曲に対して、松田聖子の場合には、「いちご畑で」なら「私」のことを「つかまえていいわ」と唆し、自ら「そっとキスをし」た「赤いいちごの実」を「あなた」に「投げてもいいわ」とうそぶきます。《風立ちぬ》(1981)に収録されたこの〈いちご畑でつかまえて〉は、松本隆が作詞し、大瀧詠一が作曲しています。

松田聖子の〈ハートのイヤリング〉(1984) の作曲者であるHOLLAND ROSEは、それに先んじて伊藤つかさの《タッチ》(1982)に〈ストロベリー・フィールド〉を供与していますが、これは佐野元春の筆名です。ここで「私」は、「あなたが 大人になる前に」、「あの日のように」この「苺畑で」ただ「もう一度だけ」、「私と一緒に」かつて「見た夢」を、「愛をつかまえて」と願います。

こうして、ザ・ビートルズの音楽の響きにも共鳴しつつ、女性アイドルの場処としてのイチゴ畑に《NIAGARA TRIANGLE VOL.2》(1982)の面々は集ったわけです。なお、サニーデイサービスもまた、「こんな街」、「こんな場所」にもかかわらず、「お前と生きる」なかで「知らない感情」や「知らないだれか」、「永遠の翼」と「苺畑で逢えるといいね」と希望を探る〈苺畑でつかまえて〉(2016) を発表しています。

堀ちえみの《Strawberry Heart》(1984) において、「どこか遠くを見つめ」て「消えそうな感じ」がする「あなたの瞳」の佇まいに「ジョン・レノン」のそれを重ねることで、〈ストロベリー・ハート〉はザ・ビートルズの音楽の響きをいっそう直接的に援用してみせます。その「私だけのあなたの瞳」に集約される彼の佇まいそれ自体が、すでに彼女の「sweet」な「ストロベリー・ハート」なのです。

「苺ノ紅ヲ見ル度ニ」必ずや「耳ノ底カラコボレテ落チ」てくる「アノ娘ノ愛シタアノ唄」。さだまさしがそう歌唱したのは、まさしく〈苺ノ唄〉(1982) でのことです。そしてこの「紅」の色のみを頼りにイチゴを騙る以上、木之内みどりの〈氷イチゴの頃〉(1976)での「氷イチゴ」にもやはり、「今日も涙の味」こそ感じられるにせよ、イチゴのそれを味わうことはいつまでもできないでしょう。

松田聖子による歌声を借りた松本隆が、「ペーズリーの海へ」と「時の舟」を漕ぎだして「旅立」ったすえに到達する「オレンジの河とイチゴの町」、この、「永遠に平和」で「争いのない国」の空間と時間の幸福さを「Strawberry」に喩えた〈Strawberry Time〉(1987)を作曲した土橋安騎夫は、〈RASPBERRY DREAM〉(1986)のREBECCAの鍵盤奏者でした。《空の飛び方》(1994) に所収のSpitzの〈ラズベリー〉では、「ラズベリー」は「ねじれた味」がします。

杉真理は、《THIS IS POPS》(2014) で黒沢秀樹を誘って〈君はクランベリー・ソース〉を吹き込んでいます。「チキン」すなわち「意気地なしのダメな奴」であり「冷めたロースト・ビーフ」である「僕」に、「クランベリー・ソース」である「君」の「味を付けて」もらうべきところ、「Berry」を[bury]とたがえて「その愛を」うっかり「イチゴ畑」のなかに「埋め」られやしないかと彼は懸念します。また、〈Lemon〉のかたわらで「パンケーキ」のための「クランベリーのジャム」を「作ろう」とするのは、米津玄師の〈クランベリーとパンケーキ〉(2018) です。

バナナ
ラズベリーやクランベリーはともかく、ブルーベリーは相応に普及し、その流通は歌謡曲でも恒常的になってきました。

坂本龍一が全面的に加担した飯島真理の《Rosé》(1983) には、〈Blueberry Jam〉があります。ここでの「Blueberry Jam」とは、「ビン詰めにされ」て「手渡」される「ムラサキ色の夢」です。「ムラサキの夜が明け」て「Breakfast」ともなれば、「ふかふかで白い」パンに「ひろ」げられたこの「夢」を「ほおば」った「あなた」は、きっと「あふれる想い」の味を感じるにちがいありません。しかし西村知美の〈Blueberry Jam〉(1988) にあっては、「少女が大人に変わった」ときの「甘い甘いくちづけ」と等価であったにもかかわらず、いまや「Blueberry」の「青いジャム」には「失恋の味がし」ます。

そんな「ブルーベリー」を「秘密のパイ」に添えるのは、《いいね!》(2020) に収録されたサニーデイサービスによる〈OH!ブルーベリー〉です。

ハナレグミが歌唱した〈ブルーベリーガム〉(2017) の旋律は、彼の《SHINJITERU》のためにキリンジの堀込泰行が提供しています。「甘くて酸っぱくて」、そして「膨らまない」この「ブルーベリーガム」は、毎度の「さようなら」を声の「かわり」に告げるものです。というのも、それを「言葉に出せば」、どうしても「恋し」さゆえに「帰れなくな」ってしまうからです。さらには堂島孝平にも、〈ブルーベリー・サンセット〉(2013)があります。《A CRAZY ENSEMBLE 2》のこの楽曲では、「遠くの夕闇」の「明日をさえぎるほどに重く紫色」であることをその果実になぞらえています。

四季のある日本の風土において、果実は時間の推移が招く[旬]の概念を強く意識させるものです。換言するなら、そうした気候では栽培が困難な果樹の実りとして、たとえば常夏の南洋から時期を問わず輸入されてくるくだものなどには、むしろ季節感を欠くがゆえの異国の風味が濃密に漂わずにはいません。

その典型はバナナでしょう。旬のないこの果実を、私たちはいつでも味わうことができます。

もしそんな「バナナが無い」ときには、だから「なんとなく おちつか」ず、「不安」に怯えずにはいられないわけです。〈バナナが好き〉(2018)は、矢野顕子の《ふたりぼっちで行こう》で客演したYUKIとの共作です。いつでも「ある」はずのものがここに「無い」ことの「不安」は、それさえあれば「なんとなく 心配ない」ことの裏返しでもあります。《HoSoNoVa》(2011)の細野晴臣は、美空ひばりを踏まえつつ、「南風」が「芭蕉の花」の「香り」を運んでくる〈バナナ追分〉を発表しています。

全編が筒美京平の作曲からなる小泉今日子の《Betty》(1984)の最後を飾る〈バナナムーンで会いましょう〉では、「バナナ」の語は「細い三日月」の色かたちを反映しています。うしろゆびさされ組の〈バナナの涙〉(1986)における「バナナ」とは、どうやら「男の子」の謂のようです。

パイナップルもまた、そうした果実のひとつです。

田代みどりによるカヴァー盤〈パイナップルプリンセス〉(1961)での「私」は、「ワイキキ生れ」で「ウクレレ片手」の「緑の島の お姫様」です。にもかかわらず、彼女の「彼氏のポッケにゃ チョコレート」を、この「パイナップル・プリンセス」自身の「ポッケにゃココナッツ」を収めてしまうでたらめさは、まぎれもなく漣健児の手練です。それどころか、《Pinapple》(1982)に所収の松田聖子の〈パイナップル・アイランド〉(1982)にあっては、もはや歌詞の言葉のうちにパイナップルは語の響きを確立できないまま、なぜか「ココナツ色の風」ばかりが吹き抜けます。

MOON RIDERSの実質的なデビュー盤《MOON RIDERS》(1977)に収録された〈マスカット ココナッツ バナナ メロン〉でも、合いの手の女声コーラスを除けば、やはり歌詞の言葉には「おいしいバナナ」と「冷たいメロン」が謳われるのみです。ここではおそらく、「僕」に「食べ」られる「果実」が「君」の隠喩として機能することが重要なのであって、その「果実」の名目などいくらでも置換可能なのでしょう。

果実
実際に、〈パパイヤ軍団〉(1977)のピンク・レディーは、枝からポトンと落ちそう」なくらい「食べごろ」な「私たち」のことをひとまず「パパイヤみたいな女の子」と自称しつつ、「来て来て私を食べに来て」と誘惑しています。これが〈君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。〉(1984)の中原めいこならば、「君たち」を「キウイ・パパイア・マンゴー」などと形容したうえで、「果実大恋愛」を「咲かせ」ようと煽ってみせるにちがいないのです。

木之内みどりには、《硝子坂》(1977)のために準備された〈フルーツ〉があります。「私たちの恋」を「風に実を結」んだ「フルーツ」に喩えるこの歌詞において、いずれ「青い林檎かじ」って「楽園を追われ」かねないその「恋」の「水々しさ」は、「はかな」い「レモン」であり「はじらいのオレンヂ」であり「涙の味」の「グレープ・フルーツ」であるような、いわば「季節」の都度「いろとりどり」に「はなや」ぐ「果実」のものとなります。

大場久美子が発表した〈フルーツ詩集〉(1979)の「私」が、「淋しさ」とともに「あの人」との「フルーツ・パーラー」の「想い出」をたどるとき、「レモン」を端緒として、「プラム」や「マスク・メロン」、「オレンジ」や「ライム」をもって彼女の世界が再構築されはじめることは不可避です。

石原裕次郎の〈狂った果実〉(1956)をはじめ、ザ・ワイルド・ワンズの〈青い果実〉(1968)や山口百恵の〈青い果実〉(1973)、アリスによる〈狂った果実〉(1980)、そしてサザンオールスターズによる〈真夏の果実〉(1990)など、しばしば歌謡曲は、人間の身体的な成長、あるいはむしろ肉体的な、とりわけ生殖をめぐる有性的な成熟の如何を果実のそれになぞらえてきました。

それらの土台には、1939年の盤におけるビリー・ホリディの歌唱で知られる〈奇妙な果実〉があるはずです。事実、ここでも果実はまぎれもなく肉体の謂で採用されています。ただしここでの奇妙さとは、果実が人間の肉体の比喩となるのではなく、肉体の側がポプラの樹に吊るされ、その葉や根もとに血を滴らせたこの黒人の屍が、あたかも果実のように南風に揺れていることにあります。

たとえば石原裕次郎の〈狂った果実〉には、成熟の行方にある爛熟と腐敗の臭気が、「海の香にむせ」び「潮の香も匂う」なか漂っています。「夢」や「くち吻け」も「消えゆく」ように、「狂いつゝ」も「熟れてゆく赤い実」、その「太陽の実」もまた、「燃え上がり」、やがて「散つてゆく」ものとされます。

ところが、ザ・ワイルド・ワンズの〈青い果実〉は、「果実」に「フルーツ」とルビを振ることによってこれと等価の「二人の世界」を「ふるえ」させ、その振動をもってこれが「幼く青いまま」に「小枝をはなれ」、さらには「この森とわかれ」ることも辞しません。この姿勢そのものがここでの「青」さなのです。山口百恵の〈青い果実〉の場合には、たとえ「いけない娘」などと「噂されても」かまわず、「あなたが望むなら」ば「何をされてもいい」と訴える「別の私」が、「躰の隅で」不意に「目を覚ま」します。未熟ながらもこれが彼女の最初の果実のかたちとなって、それまでの自身を死に追いやるとともに、彼女はまさしく「別の私」へと「生まれ変わる」のです。

アリスの〈狂った果実〉の「俺」にとっては、その成熟の過程でなにかが「狂」い、もはや彼の「夢」は「絵空事」となってしまったようです。「生まれてきたこと」それ自体は「悔やんでない」などとうそぶきながら、「かじりかけの林檎」のごとき不全感、その「中途半端」さに、彼はひとつの「狂った果実」として生きることを躊躇しつつあります。なお、それを「空っぽの大人」と称し、かつて「嘲笑って軽蔑し」ていたにもかかわらず「気づけば」そう「なっていた」自分について、果肉なき「砂の果実」とみなし、「生まれて来な」くても「よかった」ものと自虐してみせたのは、坂本龍一が中谷美紀を迎えて実現した〈砂の果実〉(1997)でした。

サザンオールスターズによる〈真夏の果実〉の歌詞は、桑田佳祐の言語感覚がほとばしるそのもっとも卓越した結実です。「めまいがしそうな真夏の果実」であるそこでの「恋」は、「泣きたい気持ち」が「涙」や「雨」や「波」を招集し、まるで「マイナス100度の太陽」に曝されたかのようにいまなお「身体を湿ら」せます。そうして「今でも心に咲」きつづけ、けっして「忘れられない」あの「夏」の「面影」、それは、いつまでも「この胸」を「巡」ってついえることのない「涙の果実」にほかなりません。

いうまでもなくこれは、そのように生まれてしまったことの原罪ゆえに蕩尽されていく石原裕次郎の〈狂った果実〉が背負った退廃の太陽、あの地獄の一季節の、海と溶け去ってしまった落日の陰画が放つどこまでも眩く湿った贖罪の耀い、すなわち永遠のことです。

*1 農産局果樹・茶グループ,「農産局/野菜・果樹・花き/果樹のページ/果樹とは」(https://www.maff.go.jp/j/seisan/ryutu/fruits/teigi.html),『農林水産省』所収, 農林水産省.
*2 永嶺重敏,『「リンゴの唄」の真実 戦後初めての流行歌を追う』, 青弓社, 2018, pp.121-165.
*3 マイケル・ボーダッシュ,『さよならアメリカ、さよならニッポン』, 奥田祐士/訳, 白夜書房, 2012, pp.88-91.
*4 有岡利幸,『桃』, 法政大学出版局, 2012, pp.1-38.
*5 『西遊記(一)』, 中野美代子/訳, 岩波書店(岩波文庫), 2005, pp.175-279.
*6 陶淵明,「桃花源詩幷記」, 『中國詩人選集 第四巻 陶淵明』所収, 一海知義/注, 岩波書店, 1958, pp.141-150.

堀家教授による、私の「くだもの」10選リスト

1.〈それはぼくぢゃないよ〉大瀧詠一(1972)
 作詞/松本隆,作曲/大瀧詠一,編曲/ちぇるしい

はっぴいえんど時代にソロとして発表された大瀧の1stアルバム《大瀧詠一》所収。前年にシングル盤〈恋は汽車ポッポ〉のB面として発売されていた〈それはぼくじゃないよ〉をもとに、いくつかの楽器パートの追加や差し替え、ヴォーカルの再録音などを経た更新版。シングル盤の制作期限の直前に届いたため未消化だった松本隆による歌詞も節回しを含めあわせて推敲され、「それはぼくじゃないよ それはただの風さ」が「それはぼくぢゃないよ あれはただの風さ」と歌われる。大瀧の傑作曲のひとつ。

2.〈恋は桃色〉細野晴臣(1973)
 作詞・作曲・編曲/細野晴臣

はっぴいえんど解散後に細野が発表した1stアルバム《HOSONO HOUSE》所収。大瀧の〈それはぼくぢゃないよ〉と同様に、駒沢裕城によるスティール・ギターが楽曲のカントリー風味を補強する。曲題は、ポール・モーリアが編曲した〈恋は水色〉に対する諧謔であるのはもちろん、はっぴいえんど時代に細野が作曲した〈暗闇坂むささび坂〉における「ももんが」の音韻を想起させずにいない。

3.〈林檎殺人事件〉郷ひろみ 樹木希林(1978)
 作詞/阿久悠,作曲・編曲/穂口雄右

樹木希林をしたがえた郷ひろみが派手な振りつけのもと歌唱する姿は、阿久悠の歌詞もあいまって、これがピンク・レディーの楽曲群の変奏であることを強く印象づける。むしろキャンディーズの作曲家として知られる穂口雄右も、ここでは都倉俊一のピンク・レディー調を意識しつつ、しかし彼女たちのものよりは構成を複雑に、しかも△7の響かせかたなど“シティ・ポップス”的な編曲を施し、こうしたあたりがいまなおこの楽曲を飽きのこない豊かなものとしている。安藤裕子と池田貴史によるカヴァー盤は、よりファンクの側に傾斜する。

4.〈南風-SOUTH WIND-〉太田裕美(1980)
 作詞・作曲/網倉一也,編曲/萩田光雄

松本隆と筒美京平によるあの〈木綿のハンカチーフ〉より以上に太田裕美の存在性に適合してみせ、それゆえ彼女の歌唱が達成しえた最良の成果であるように思う。長調からサビで平行調の短調に転調するあたり、逆に短調からサビで平行調の長調に転調する田原俊彦の〈悲しみ2(TOO)ヤング〉とのあいだに陽陰の関係性を維持する。ともに詞曲をあわせて担当した網倉一也の名前を歌謡曲の歴史に埋もれがたいものとする、まぎれもない名曲。

5.〈黄昏はオレンジ・ライム〉松田聖子(1981)
 作詞/松本隆,作曲・編曲/鈴木茂

松本隆が全曲を作詞した《風立ちぬ》は、同名のシングル曲を含め大瀧詠一がプロデュースしたA面ばかりが注目されがちだが、実際には鈴木茂のプロデュースによるB面の完成度が驚異的であり、それゆえこのアルバムを単なる趣味の領域に留めておかない。シングル盤として発表された〈白いパラソル〉がそのまま組み込まれているにもかかわらず、ここにあってはそれは、他の収録曲との関係性のなかで著しく感傷的かつ感動的に変容する。とりわけ、その直前曲に相当する、鈴木の自作となる〈黄昏はオレンジ・ライム〉の情緒が、シングル盤においてあれほどまでに安価で淡白だった〈白いパラソル〉の軽い響きに、真空地帯のような空虚な孤独さの底なしの重みを背負わせる。

6.〈愛って林檎ですか〉岡本舞子(1985)
 作詞/阿久悠,作曲・編曲/山川恵津子

アニメーション番組の主題歌の歌唱をもってすでにその歌声を露出させていたものの、これがアイドル歌手としての岡本舞子の公式のデビュー曲となる。なるほど、当時14歳にしてすでに、いわゆる歌唱力に卓越した彼女には、たとえ「死」の文字を綴ってもこれを表現しきれるところと、おそらくは作詞家としてのキャリアの急激な下降期にあたり阿久悠は期待していたように思う。事実、次のシングル曲となる〈ファンレター〉にもまた彼は「死」の文字を綴る。彼女もそれに十分に応えているように感じられる。それでもやはり、彼女のデビュー曲には、この盤のB面に押しやられた〈恋にエトセトラ〉であるべきだったといまなお考える。

7.〈RASPBERRY DREAM〉REBECCA(1986)
 作詞/NOKKO,作曲/土橋安騎夫,編曲/レベッカ

“グループ・サウンズ”から20年、BOØWYの〈わがままジュリエット〉やKuwata Bandによる〈Ban BAN Ban〉などとともに、日本の大衆音楽において“ロック・バンド”という表現形態がついに定着したことの感慨をもって聴かれるべき楽曲。

8.〈真夏の果実〉サザンオールスターズ(1990)
 作詞・作曲/桑田佳祐,編曲/サザンオールスターズ,小林武史

アジアで、そしていまや北米でも、大貫妙子や山下達郎らが“シティ・ポップ”の名のもとに発見されつつある。しかしながら、かつて坂本九の〈上を向いて歩こう〉さえ発見した彼らであっても、桑田佳祐に到達することはけっしてないだろう。彼らの鼓膜の肌目にとって、桑田の、それゆえ歌謡曲の湿度はあまりに息苦しいものであって、むしろそれだからこそ、私たちは彼の楽曲を愛し、わけても〈真夏の果実〉を日本の大衆音楽史の頂点に燦然と輝く傑作中の傑作とみなすのである。

9.〈砂の果実〉中谷美紀(1997)
 作詞/売野雅勇,作曲・編曲/坂本龍一

作曲家としての坂本龍一がもっとも積極的に歌謡曲に加担していた時期の佳曲。それを実現するにはやはり、中谷美紀の存在が必要だったのだろう。場合によっては森田童子にもつうじるような売野雅勇の時代錯誤的な歌詞に対する当惑がないわけではない。泣きに泣くギターは佐橋佳幸の演奏。

10.〈ブルーベリーガム〉ハナレグミ(2017)
 作詞/永積崇,作曲/堀込泰行,編曲/永積 崇,YOSSY,icchie,伊賀 航,菅沼雄太

永積崇の歌声の魅力は、もちろんその声質にある。そのうえで、この声質の生かしかたをよく理解した気負わない歌唱がその魅力を存分に引きだす。このあたりは、《SHINJITERU》のためにこれを作曲したキリンジの堀込泰行もよくこころえていて、軽やかで爽やかな旋律にわずかな酸味を施しつつ、まさにブルーベリーのような楽曲が仕立てられる。

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「レモンライムの青い風」が吹く竹内まりやの〈Dream of you〉での加藤和彦と、「レモン・ライムの 青い風」が吹くepoの〈PARK Ave.1981〉でのepoは、この同じ文句に別の旋律をあてがいながら、それぞれを聴いた場合にいずれもこれ以外の答えなき正解であるような印象を与えてみせる。また、太田裕美の〈南風-SOUTH WIND-〉の先行に、久保田早紀が自身の作曲をもって肉薄してみせた〈オレンジ・エアメール・スペシャル〉など、広告業界と音楽業界、および放送業界がもっとも創造的に競合し、結合していたころの豊かな産物。こうした関係性が、翻って楽曲そのものをも豊かに響かせもする。ゆえに番外とした。

文:堀家敬嗣(山口大学国際総合科学部教授)
興味の中心は「湘南」。大学入学のため上京し、のちの手紙社社長と出会って35年。そのころから転々と「湘南」各地に居住。職に就き、いったん「湘南」を離れるも、なぜか手紙社設立と機を合わせるように、再び「湘南」に。以後、時代をさきどる二拠点生活に突入。いつもイメージの正体について思案中。

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