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手紙社リスト音楽編VOL.19「堀家敬嗣と部員が選ぶ・5W1Hの曲」

手紙社

あなたの人生をきっと豊かにする手紙社リスト。19回目となる音楽編は「5W1Hの曲」と題して、山口大学教授の堀家敬嗣さんが選ぶ10曲と、手紙社の部員が選ぶ10曲を紹介します。ということで今回も、まずは部員さんが選ぶ10曲を紹介しましす。その後、いつものように堀家教授のテキスト、堀家教授が選ぶ10曲と続きます。歌謡曲の歌詞に見られる、いつ(When) · どこで(Where) · 誰が(Who) · 何を(What) · なぜ?(Why) · どのように(How)、という問いに対しての、部員と教授の回答は……?

手紙舎部員の「5W1H」10選リスト

1.〈圭子の夢は夜ひらく〉藤圭子(1970)
 作詞/石坂まさを,作曲/曽根幸明,編曲/原田良一

「私赤く咲くのは芥子の花 白く咲くのは百合の花 どう咲きゃいいのさこの私 夢は夜ひらく」

今聴くと完全にアウトな曲なので、令和の設定で考えました。

この主人公はおそらく不登校かひきこもりで、ずっとスマホを手元に握り、昼夜逆転の生活を送っています。毎日ゲーム、アニメ、動画配信のなかにいるマー坊やトミーという「推し」と触れ合うことが唯一の楽しみ。ネオンのように輝く液晶の中の世界が、虚構の世界であることは、本人が一番わかっています。

もっと成長したら、やっぱりあの頃「推し」に助けられたと思うのでしょうか? 夢は夜ひらくと思っているのなら、まだ救いがあるのでしょうか。

新宿の花園神社にはこの歌碑があるそうですが、令和の今も、居場所のない若者が集うのは、歌舞伎町(東宝ビルの横。ここに集まる未成年をトー横キッズと呼ぶ)なんだなと思うと切ないですね。 
(選者・コメント:手芸部部長)

2.〈お元気ですか〉清水由貴子(1977)
 作詞/阿久悠,作曲・編曲/三木たかし

子供の頃大好きだった曲。ギターを弾きながら普段着で歌う姿がとてもかわいらしく印象的でした。お亡くなりになったのを聞いた時は驚きました。

「お元気ですか 幸せですか」で始まるこの曲。おそらく遠くへ行ってしまった恋人? に語りかける歌詞。手紙を出しても出しても返事が無かったのでしょう。体を心配しながら連絡を待つ「私」。2番の冒頭では「お元気ですね 幸せですね」にかわります。ここではもう恋人との終わりを既に悟り、諦めたのだろうと感じます。それでもどこかであなたからの連絡を待ち…会いにきてくれるかもしれない…と期待を捨てきれない…つらい女心ですね。相手の人に「はっきりしてやってくれ!」と怒鳴りに行きたい気持ちです!

最後の「きてください」の”さい"の部分で若干変調しますよね。この音のおかげでちょっとマイナー調で暗いムードになってしまった曲にさわやかな空気が流れて「私」が救われたような…未来へのリスタートを予感させるような…そんな気がします。今回改めて聞いて気づいたのですが、ハーモニカで奏でる前奏の最後のメロディ…「遠き山に日は落ちて」の"ま〜どいせ〜ん〜"のとこと同じですよね! 親しみやすく懐かしいメロディはそういうところから感じるのでしょうかね…。
(選者・コメント:kyon)

3.〈大都会〉クリスタルキング(1979)
 作詞/田中昌之・山下三智夫・友永ゆかり,作曲/山下三智夫,編曲/船山基紀

この曲のwhoは、裏切ったのは誰か? と言うことなんですが、私は「バンドのメンバー」だと思いました。一緒にバンドで食ってくって言ったよな! 裏切って就職しやがって! という状況で、大都会でバイトに明け暮れながら、果てしない夢を追い続けた青年の歌かなぁと思いました。売れて良かったですね♪
(選者・コメント:ぬりえ)

4.〈恋の予感〉安全地帯(1984)
 作詞/井上陽水,作曲/玉置浩二,編曲/安全地帯・星勝

今回のお題を見た時にそういえばこの曲も答え出てないよなと思いました。恋の予感がただかけぬけるだけですし。

1番♬「なぜ なぜ あなたはきれいになりたいの? その目を 誰もが 見つめてくれないの?」
2番♬「なぜ なぜ あなたは『好きだ』と言えないの? 届かぬ想いが 夜空にゆれたまま」

これから考えると男性は歌に出てくる女性が好きで、女性側も気持ちに気づいてはいるけれど、どちらも相手から告白されるのを待っている気がします。『どうぞどうぞ』じゃないけど駆け引きしてるんじゃないかなと。だけど誰かをどんなに待ってもあなたは今夜も…と結論が出ないまま一日が終わるのでした。
(選者・コメント:れでぃけっと)

5.〈あなたを・もっと・知りたくて〉薬師丸ひろ子(1985)
 作詞/松本隆,作曲/筒美京平,編曲/武部聡志

♪「Ah もっともっと あなたを もっともっと 知りたい 今何してるの? 今どこにいるの? そして 愛してる人は 誰ですか?」いゃあ 薬師丸ひろ子さん 可愛いー この曲、可愛いー。いまいちどみなさんに是非ともきいていただきたい! もうねー、あなたのことがね、大好きなんですよ。この曲にでてくる女の子はね。大好きすぎて困っちゃうっていう歌です。

マイ アンサー
Q.今何してるの??
A.オシロにログイン
Q.今どこにいるの?
A.調布だよ
Qそして 愛してるひとは だれですか?
A.💕君だけだよ💕

はい ご馳走様です。誰に言われたいかなぁーなんて 考えちゃったりして 妄想の暴走がとまりません。みんなのアンサーもききたいなぁー。みんなで大喜利したいです!
(選者・コメント:HAPPY弥生)

6.〈スノースマイル〉BUMP OF CHICKEN(2002)
 作詞・作曲/藤原基央,編曲/BUMP OF CHICKEN

マフラーを巻いて冷たい空気を吸い込む静寂の初冬。そんな風景もまた人生の醍醐味ですね! 初めて聴いた時。アルペジオの響きと歌詞とメロディーが合わさって、歌の情景がスッと目に映りました。空気感や温もりもさえも感じる歌って素敵です。でも、その目に映る情景は憧景。君のいない道を1人歩いているのだと気づいた時の言いようのない郷愁。一気に変わる景色! スノースマイルって少し寂しげ。なんだか温かいコーヒーを無性に飲みたくなるんです。
(選者・コメント:たざわ<専務>)

7.〈アイデンティティ〉サカナクション(2010)
 作詞・作曲/山口一郎,編曲/サカナクション

直ぐに浮かんだWhy? の曲がこちらでした。タイトルより、サビの「どうして〜」の方が定着しているこの曲は、周りにうまく合わせているうちに、本来の自分を忘れ、ある時ふと「アイデンティティが無い」と気づき、自分を見つめ直し、自分を取り戻していくストーリーです。どうして突然アイデンティティが無いと気付いたのか、答えは出てきませんが、きっと主人公は、ショーウィンドウの前など、姿の映る場所を歩いて自分の姿が意外だったのでしょう。私は幽霊がいると思ったら、青ざめた自分だったことが何度もあります。
(選者・コメント:ことみ)

8.〈高嶺の花子さん〉back number(2013)
 作詞・作曲/清水依与吏,編曲/back number・鶯谷好位置

♬「君から見た僕はきっと ただの友達の友達 たかが知人Bにむけられた笑顔があれならもう 恐ろしい人だ」

歌詞に出てくる知人Bって誰だろう? 主人公の僕の友達が知人AだとしたらBは僕ではなく違う人なんだろうな。そう考えるとこの女性はとても魅力的で、誘惑するのが上手いのかなと思いました。

back numberの曲の中では「高嶺の花子さん」「SISTER」が何故か好きです。特に高嶺の花子さんは名前だけは知っていて、聴いてみたら主人公の焦れったさがまさに自分です。恋人になる人はこんな人なんだろうなと妄想していたら「駄目だ何ひとつ勝ってない いや待てよそいつ誰だ」とか「偶然と魔法の力で僕のものになるわけないか」と諦めたり。だったらダメもとでさっさと告白したらいいじゃんと思うのですが、だから高嶺の花なんだろうな。
(選者・コメント:れでぃけっと)

9.〈ひまわりの約束〉秦基博(2014)
 作詞・作曲/秦基博,編曲/秦基博・皆川真人

「どうして君が泣くの まだ僕も泣いていないのに」

映画『STAND BY ME ドラえもん』主題歌としてよく知られた曲です。別れの時が来て悲しいから泣いている、というのが答えなのはもちろんですが、僕だって泣きたいのに我慢しているのに、という気持ちと、君には笑っていてほしい、泣くよりも未来を見てほしい、という気持ちがこめられた言葉だなと。そして、今は一緒に泣いてもいいかな、というのも素直な気持ちかも。
(選者・コメント:はたの@館長)

10.〈何なんw〉藤井風(2019)
 作詞・作曲/藤井風,編曲/Yaffle

タイトルからして、何なのだ? どうして? なぜ? という問いで、歌詞にも何度も出てきます。wは苦笑、どうしようもないなって感じ?! 「それは何なん 先がけてワシは言うたが それならば何なん 何で何も聞いてくれんかったん その顔は何なんw 花咲く町の角誓った あの時の笑顔は何なん あの時の涙は何じゃったん」、すごい畳みかけ😁(それも岡山弁)。頭ではわかっても気持ちは抑えられないんだ、理性よりも感情で動いてしまうんだっていうのが答えかと。

MVでは、本人が黒い服を着て歩いていくそばを、白い服の人が付き添って良い方、正しい方へ導こう、気づかせようとしていて、自分の内なる声のよう。曲中で何なんと尋ねているのは、呆れ顔の白服(ワシ…私)で、でもそれを無視して転んだり傷ついたり後悔しながら、生きていってしまうのが人間(あんたと呼ばれている)で、しょうがないなぁと笑って終わる感じになっています。
(選者・コメント:はたの@館長)


答えのない問いを歌謡曲に問う

who/what
〈あんたのおなまえ何アンてエの〉(1964)において、トニー谷は、まさしく「あんたのおなまえ何ァんてェの」と問います。その問いを逐語訳的に英語に置換する場合、彼は“What’s your name?”と問うていることになります。なるほど、「ポリさん」にそう尋ねられた「迷子」は、自身を「ボクはナルちゃん」と紹介します。

ところが、「電車」で乗りあわせた「見たことある娘」に「あんたのおなまえ何ァんてェの」と訊いたとき、彼女はその名前ではなく、「あたしゃわかれたカアチャンよ」と答えています。つまり、ここでは名前ではなく、あくまでもその属性をもって返答されているわけです。したがって、この際には「あんたのおなまえ何ァんてェの」という問いは、“What’s your name?”ではなく“Who are you?”の意味に解されていることになります。

事実、「一家そろってハイキング」に出かけ、くたびれてようやく「我家」に帰宅したところ、家人が「不在」のはずの部屋で不意に遭遇してしまう「変な奴」には、「あんたはいったいどなたです」と尋ねずにはいられません。ここではまぎれもなく“Who are you?”と問われているのです。もちろん、たとえ「あんたのおなまえ何ァんてェの」と訊かれたところで、けっして正直に名前を明かすわけにはいかない彼は、「単なる空き巣でござんすよ」と自らの属性を卑下してお茶を濁します。

〈とん平のヘイ・ユー ブルース〉(1973)は、左とん平が「YOU」に問いつづける「WHAT’S YOUR NAME?」のコーラス部分と、「人生」を「しょぎょうむじょう」と諦めきれず、この虚しさを嘆きながらその責任の所在を探るヴァース部分とで構成されています。「おれをすりへらしてるやつ」について、「そいつはだれだ だれなんだ」と糾弾する彼は、会社かもしれない、世間かもしれない、家族かもしれない、家庭かもしれない、システムやしがらみ、運命かもしれないそれを、ここで「だれだ」と擬人化しているのです。

なるほど、そう叫ぶ彼の脳裏には、「おふくろ」や「おんな」、「仲間」や「女房」など、一定の名称のもとに彼と関わってきた人物、一定の個人の影がちらついているのかもしれません。あるいは特定の上司や上役、なんならいつまでも姿を現わしそうにない「神」の仕業に、いったい「だれなんだ」と苦悩しているとも考えられます。

しかしおそらく、「そいつ」すなわち「YOU」とは、それらの誰でもありうるとともに、彼らをめぐるすべての関係性のことでもあります。そして「おれ」の「人生」が、そうした関係性のもと「すりへっちまって みじかくなった」彼もろともひとつの全体として変化を止めない持続である以上、「おれをすりへらしてるやつ」、「そいつはだれだ だれなんだ」と問われるならば、それはほかでもない彼の「人生」そのものだと答えるべきでしょう。

要するに、「人生」それ自体こそが「おれ」を「すりへらしてる」のだから、いわば彼は、鏡を見ながら、そのなかに囚われた自身の鏡像を指さして「WHAT’S YOUR NAME?」と詰問しつづけているわけです。もちろん、鏡のなかの厚みなき鏡像に名前などありません。

what/how
荻野目洋子の〈六本木純情派〉(1986)は、「迷子たちの六本木」で遭遇した「街のピンナップボーイ」と形容される「知らない子」に対して、「Who are you…」と問いかけます。

ところで、これが返答を期待した問いかけでないことは、文末の「…」のうちに要約されています。実際に、「いいひと」であり「Lonesome Boy」でもある彼は、だがもっぱら「どこかあのひと」と「似てる」ことをもって、かろうじて「私」の認識において「あなた」としての同一性を確立します。つまりここでの「Who are you…」とは、「あのひと」との偏差を「あなた」として検知するものであり、できる限り「you」が「あのひと」と近似し、願わくばそれと合致することを望みつつも、そうではありえないがゆえの落胆が、あらかじめ「…」のなかには組み込まれているのです。

そもそも、ここで「あなた」が「あのひと」であったなら、彼女はあらためて「Who are you…」と問う必要などなかったでしょう。この発問とは、したがって、「you」があくまでも「あなた」にすぎず、けっして「あのひと」ではないことの確認として、その残酷さに直面せざるをえない彼女の失望を表明するものです。「知らない子」に“What’s your name?”と問うほどの積極性を、「見かけだおし」の彼女は持ちあわせていないのです。

たとえば〈BROKEN GENERATION〉(1983)の伊藤さやかが「どうしたらいいの?」と尋ねるときにも、日本語と英語のあいだのこのような非対称性が露呈します。これを逐語的に英語に置換すれば“How should I do?”となるはずですが、けれど「自由がない」一方で「何かやらなきゃ」という強迫観念に縛られた彼女が発する「どうしたらいいの?」とは、おそらく、なにかをするための方法や手段をそうして問うものではないでしょう。

要するに、いまなすべきことそのものが彼女にはわからず、それがなにかを彼女は訊いているわけです。すなわち彼女は、“How should I do?”ではなく“What should I do?”と自問しているのであり、このような機微を介した異言語間の理解の成否は、もっぱら文脈に依存せざるをえません。

広瀬香美が歌唱した〈ロマンスの神様〉(1993)では、「目立つにはどうしたらいいの」と尋ねることで目的をめぐる情報が補完され、これをもって、“How should I do for standing out?”とも“What should I do for standing out?”とも理解することが許容される余地を担保します。他方で、西城秀樹の〈この愛のときめき〉(1975)などは、「どんな風に 愛したら」、「どんな風に ちかずけば」と問う仕方で、“how”の語感を明確に日本語に置換してみせます。

+ever
“who”や“when”、“where”や“what”は、それぞれ語尾に“-ever”を纏うかたちで制約が解除され、可能なひとを、時間を、場所を、ものを、この“-ever”によってことごとく回収してしまいます。

〈風の谷のナウシカ〉(1984)で安田成美が「愛しあう人は誰でも」と歌う場合、これは“whoever is in love”と訳されるでしょう。《DA・DI・DA》(1985)に収録された松任谷由実の〈たとえあなたが去って行っても〉には、「苦しいときはいつでも」との文句があります。これならば、英語では“whenever I’m in pain”とされるはずです。Cö shu Nieの《PURE》(2019)では、〈inertia〉の歌詞のうちに「あなたがいる場所ならどこでも」と綴られています。これも“wherever you are”と変換されうるでしょう。《LOVE it》に所収の〈スマホ〉(1984)において、「欲しいものならなんでも」と歌唱したのは西野カナでした。まさに、“whatever you want”の謂です。

誰でも、いつでも、どこでも、なんでも。接尾辞“-ever”とは、すなわち“-でも”にほかなりません。唯一の解答を期待した疑問詞のもと提起される問いに対して、特定の事項に拘泥することなくすべての可能性を解答として許容し、これをもって疑問詞の一神教的な機能を無効化したうえで、問いそのものを脱臼させ、宙吊りにすること。換言すれば、“-でも”をともなう限りにおいて、誰、いつ、どこ、なに、これらをめぐるあらゆる問いは、あらゆる答えを享受する寛容さを保持するのです。

誰でも、いつでも、どこでも、なんでも、あらかじめ答えがそこに準備されていることの安堵。それは、生きることの根拠として答えを求めずにはいられない不安症の歌謡曲に、私たちに、人生への楽観をどれほどか可能にします。

ただし、なぜ生きるのか、どのように生きるのかについて、“-ever”はなにひとつ答えを持ちあわせていません。私たちの人生をめぐるもっとも肝心なこれらについては、だからどうしても私たち自身が問いつづけ、私たちにとって固有の答えを見出さなければならないのです。そしてそのための随伴者として、歌謡曲は私たちの鼓膜を震わせ、私たちの心に浸透してくるのかもしれません。


堀家教授による、私の「5W1H」10選リスト

1.〈あんたのおなまえ何アンてエの〉トニー谷(1964)
 作詞/青島幸男,作曲・編曲/赤星建彦

インチキ英語に細い口ヒゲ、目尻のあがった伊達メガネとマラカスがわりの算盤を駆使しながら、実母が長唄の師匠だったという東京銀座生まれのトニー谷の、たとえば〈よしこの節〉や〈どんたくお見舞い〉のような俗謡の趣きをマンボ調のリズムに搭載したこの楽曲の魅力は、ホーン・セクションの映えもさることながら、なんといっても彼の歌唱にある。のちに赤塚不二夫が“イヤミ”のキャラクターを造型するとき、その着想源としたのが、インチキ英語に細い口ヒゲ、目尻のあがった伊達メガネとソロバンを駆使する彼の胡散臭い存在感だった。しかしもっぱらこれを言葉の枠に嵌め込むことに終始する青島幸男の歌詞に対して、むしろ旋律の外側で叫ばれる奇声や、とりわけ最後の「ふざけんな この馬鹿 アッチイケ」の抑揚にこそ、それは表出する。「あんたのおなまえ何ァんてェの」のほか、「こゝはどこだ」、「あんたはいったいどなたです」などが問われる。

2.〈とん平のヘイ・ユウ ブルース〉左とん平(1973)
 作詞/郷伍郎,作曲/望月良道,編曲/深町純

「祇園しょうじゃのかねのこえ」にはじまるヴァース部分は、やはりラップというよりは語りとするべきか、それとも叫びというべきか。「しょぎょうむじょう」の「人生」を「俺」に強いる「やつ」、「そいつはだれだ」、「おまえはだれなんだ」と問う「このブルース」は、疑いなく日本のブルースを代表する傑作である。同様に傑作といっていい愛川欽也の〈死ね死ねブルース〉がファンク的であるのに対して、こちらは冷徹なストリングスがあくまでもソウルフルに響く。

3.〈この愛のときめき〉西城秀樹(1975)
 作詞/安井かずみ,作曲・編曲/あかのたちお

前奏におけるコーラス隊の歌声と西城秀樹本人による歌唱部分との対照がついにサビを共有するこの楽曲の構成は、むしろコーラス隊による前奏をAパート、西城のみの歌唱部分をBパート、そしてサビはこれらを正と反として措定した合に相当するものと理解すべきだろう。つまりコーラス隊の合唱と西城の独唱とは、まぎれもないゴスペル的な呼応関係をもって、「どんな風に」すれば彼の一方的な「愛」が「ふたりのもの」として共有され、「うまくゆく」のかを音響的に体現していく。こうした仕組みは、作曲者がそのまま編曲者であってはじめて十全に展開されるはずである。

4.〈ウォンテッド(指名手配)〉ピンク・レディー(1977)
 作詞/阿久悠,作曲・編曲/都倉俊一

〈ウォンテッド(指名手配)〉の鳴りにおける重心の低さは、まさに“ハード・ロック”のそれであった。異なる楽器におけるユニゾンによるリフの伴奏もこれを強調した。だが「好きよ」からの泣きの旋律では、リズムが16ビートに変わり、ピンク・レディーのふたりの細く薄いファルセットがからみあうなか、駆けあがるストリングスもろともこの重心は持ちあげられ、楽曲をにわかに歌謡曲化する。こうして、「あいつは何処にいるのか」を問う凶暴さとは無縁の感傷的な内省がそこに広がる。

5.〈勝手にシンドバッド〉サザンオールスターズ(1978)
 作詞・作曲/桑田佳祐,編曲/斉藤ノブ・サザンオールスターズ

ザ・ピーナッツが歌唱した〈恋のバカンス〉の路線を狙って作曲され、本来はもっと緩やかなテンポだったというこの楽曲は、しかし斉藤ノブの提案により録音のとおりのスピード感を獲得するに至った。サビの「今 何時?」のフレーズで知られるところだが、Aメロでは「それにしても涙が 止まらないどうしよう」と「いつになれば湘南 恋人に逢えるの」の文言が同じ音符に乗って歌われている。前奏で「ラララーララララララー」と合唱された旋律が、桑田の歌声で「心なしか今夜」の歌詞をあてがわれて回収される瞬間こそが、歌謡曲としてのこの楽曲の真の聴きどころであって、サンバ調を強める以降の「ラララーララララララー」のくだりとの対比のなかで、その感慨はより胸に響く。

6.〈哀愁でいと〉田原俊彦(1980)
 作詞・作曲/Andrew J. DiTaranto・Guy Hermic,編曲/戸塚修

レイフ・ギャレットによる〈New York City Nights〉のカヴァー。ここでは「君」が「誰かに誘われ」て「Yellow GT」に「乗り込」んでいく。このころ、これほど歌謡曲的な楽曲がアメリカで発表されていたことに驚く。歪んだエレキギターによるリフなど基本的なアレンジは原曲を踏襲しているものの、ただしクリアなエレキギターによるカッティング、ストリングスの用法、特にドラムスのリズム・パターンが明確にディスコ調を意識させる原曲に対して、ドラムスの音量を抑えた田原の音源の場合、彼の歌唱力を隠蔽すべくワウをかけたようなコーラス・ワークのほか、とりわけ4拍子の偶数拍に強勢を置くアコースティック・ギターのストロークが印象的であり、のちに田原を前景化させる踊りのための楽曲というよりも、青春歌謡の側面を訴求した編曲となっている。サビの歌詞に英語的に響く「Bye-Bye 哀愁でいと」とあらかじめ綴ったこともさりながら、これを“バィ_バィ_アィシュッ_ディ”と歯切れよく発声させた歌唱指導の秀逸さが光る。

7.〈酸っぱい経験〉多岐川裕美(1980)
 作詞/三浦徳子,作曲・編曲/小笠原寛

フィル・スペクター式の音の壁を引用しつつ、シルヴィ・ヴァルタンの〈La plus Belle pour Aller Danser〉や〈Irrésistiblement〉、ミシェル・ポルナレフの〈Tout, Tout pour Ma Chérie〉といった、いわゆるフレンチ・ポップスの流れをも組み込み、歌謡曲のひとつの様式を体現する楽曲。事実、ここで「あなたおいくつと ひやか」されるのは「モンシェリー」である。この多岐川裕美は、たとえば《Our Connection》で文芸の女神を演じるいしだあゆみがきどったジェーン・バーキンのような、歌う女優の姿勢に認められる表現の観念性を、その肉感性においてより通俗化し、それゆえさらに歌謡曲に接近させる。すなわちこの楽曲は、和製〈Quoi〉にほかならないわけだ。

8.〈STAR LIGHT〉光GENJI(1987)
 作詞/飛鳥涼,作曲/チャゲ&飛鳥,編曲/佐藤準

半裸のローラースケート集団という異形の少年たちは、登場からすでに哀しみに彩られていた。その3/4がAmで綴られるAパートをはじめ、「夢は FREEDOM FREEDOM」と謳うサビにあってなお、この旋律の背後にはAmが奏でられ、歌詞の言葉に込められたはずの少年たちの希望を、その前途を暗澹たる響きで覆う。Amの短3度を長3度に変えてつながるBパートでは逆に、「ほんの少しだけ」、「涙の数さえ」などと、無力感をともなう悲観的な語句が並ぶ。とりわけ、同主調のもと短調から長調へと転調し、リズム感を弱めて緩やかな寛ぎを提示する大サビにあって、問われること、それは、「どうして こんなに苦しいの」か、である。こうして、音の響きと言葉の内容とがいちいち齟齬をきたすように仕組まれたこの楽曲について、この齟齬こそが歌謡曲に固有の切なさをもたらすことは理解できなくもない。だが、彼らの哀しみは、その切なさをも凌駕し、いまなお鼓膜を揺さぶりつづける。

9.〈Don’t wanna cry〉安室奈美恵(1996)
 作詞/小室哲哉・前田たかひろ,作曲・編曲/小室哲哉

小室哲哉のもっとも顕著な功績とは、ブラック・ミュージックの影響を隠さない音楽を歌謡曲の主流としたことだろう。もちろん、個別的な楽曲を省みれば、従来もそれは歌謡曲にさまざまなかたちで関与してきたが、しかしこれほどまでにあからさまにその要素が歌謡曲の中心に据えられることはなく、ましてそうした楽曲がこれほど多くの聴衆を獲得したこともなかった。歌謡曲がブラック・ミュージック化したのではない。彼は、安室奈美恵を介してあくまでもブラック・ミュージックを歌謡曲化したのである。ただし、「何で待っているのかって」問われて「気がついた」こととはなにか、それは依然として詳らかではない。

10.〈grace〉藤井風(2022)
 作詞・作曲/藤井風,編曲/Yaffle

NTT docomoのCMとタイ・アップしたこの楽曲の、最新の装いを施されたいかにも“売れ線”のサビの旋律が繰り返しテレビから流れ、そればかりか藤井風自身がCMに出演するとあっては、彼の制作陣がいよいよ本気で勝負にきたどころか、むしろここに彼らの焦りを邪推することもできる。「何が出来るか」との自問に、「愛」の名のもと「出来ないこと」は「何もない」と自答する藤井風の、大衆音楽の演者としての才能は疑うべくもないが、必ずしもこれは歌謡曲の作曲者としての才覚と合致するものではなく、このことが藤井風の現状に対する制作陣の困惑を生んでいるように思う。この楽曲の発表とその仕方は、歌謡曲の側からすれば喜ばしいことではあれ、藤井風の音楽性にとっては、ことによると不本意にして不幸なものとなるかもしれない。当のサビの旋律は、バーティ・ヒギンズの〈カサブランカ〉を想起させる。

番外.〈Quoi〉Jane Birkin(1985)
 作詞/Serge Gainsbourg,作曲・編曲/Guido et Maurizio De Angelis

「Quoi」は“なに”を問うフランス語の疑問詞。ここでの歌謡曲の定義に収まらないため番外とした。


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文:堀家敬嗣(山口大学国際総合科学部教授)
興味の中心は「湘南」。大学入学のため上京し、のちの手紙社社長と出会って35年。そのころから転々と「湘南」各地に居住。職に就き、いったん「湘南」を離れるも、なぜか手紙社設立と機を合わせるように、再び「湘南」に。以後、時代をさきどる二拠点生活に突入。いつもイメージの正体について思案中。

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