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「あの人」への手紙 五通目 、父へ

手紙寺発起人の井上が綴る、「あの人」への手紙です。





お父さん、早いものであなたが亡くなってから25回目の命日を迎えます。僕の中ではあなたの存在がますます大きくなっています。若いころは目指す存在であり、引っ張っていただく存在でしたが、今では父として相対化ができない、なんでも正直に話ができる存在として、自分の中でともに生きている感じです。
 
 お父さんは死ぬ数日前に、俺はしたいことは全部した、と言っていましたね。その頃は、そのために家族は苦労をさせられたと思っていました。しかし業を尽くして生きることに良い悪いもなく、あなたはあなたの人生を生き切ったのだと今では思います。「本当は〜をしておけばよかった」という後悔の姿でなく、生涯現役の姿を見せてくれたことに今では感謝をしています。

 しかしあなたは続けて、「ここで死んでも俺個人としては悔いはない。しかし悔いが残る」とも言っていました。話を聴いた当時は「俺個人としては悔いがない」という言葉が印象に残りましたが、今では「だけど悔いが残る」ということが気になっています。この言葉は生涯の課題として私に与えてもらったのものだと思います。これについては改めて話ができればと思っています。

 あなたが亡くなってから、私はあなたに手紙を書くようになりました。生きているときには手紙を書いたことはなかったのに、亡くなってからあなたとどうしても話がしたくなり、あなたと過ごした病院の待合室や喫茶スペースで、あなたを感じながら届かない手紙を書くようになりました。

 そういえば、あなたは泥酔して帰ったときには床に伏せったまま1時間でも2時間でも亡くなった祖父と大きな声で話をしていました。亡くなったあとに会話が始まるのはあなた譲りなのかもしれませんね。

 しかし大切な人と腹を割って対話をしたくなるのはその人がいなくなってからということがあるのでしょう。そしてそれがお墓が必要とされる理由の一つだと思います。

 祖父の話が出たので、あなたと祖父のことについてもいくつか書いてみます。

 あなたは寺を継ぐ前には東京でいくつかの事業を行っていました。歌の上手かったあなたはいくつかの歌謡大会で優勝し、テイチクレコードの新人歌手オーディションでも優勝してデビューしたり、持ち前の社交性を活かして当時華々しかったナイトクラブで司会者として、生バンドやダンサーの前で一際輝いているあなたの写真を見たことがあります。

 しかし、あなた自身がしていた事業では思うような結果が出ず、借金返済で行き詰まったときに、あなたは北九州の祖父のもとを訪ねました。もう東京には戻らないで寺を継ぐと祖父に約束し、借金を清算してもらいました。しかし、あなたはすぐに東京に戻るために寺から最寄りの犀川駅の始発電車に乗り込みました。そして、そのようなあなたを案じて、ホームで泣きながらあなたの姿を見送る祖父を見たのでした。

 東京に戻り、前のような生活に戻ったあなたが、これまでの生活に区切りをつけたのは、たくさんの迷惑をかけても自分を愛してくれた祖父を亡くしたことと、それに先立ち、祖父が亡くなる4ヶ月前に誕生した私も影響しているのだと思います。息子の誕生、そしてまだ生きると思っていた祖父の死が大きな転機となり、あなたは僧侶養成の専修学院の夜学に通って僧侶の資格を取ったのでした。

 その後、母とともに首都圏に誰でも集うことのできる寺を建立したいと願い、下町に小さな道場を開き、さらには寺院、霊園を建立していきました。
しかし、私の眼に映るあなたは、あまりにも私が思い描く住職のイメージとはかけ離れており、こんなのは僧侶ではないと思っていました。中高と全寮制の学校に行っていた私が、2か月に一度くらい家に帰るたびに、すでに母と離婚しガランとした家であなたと衝突することも度々ありました。

 また、あなたが新しく付き合う女性や、その取り巻きに囲まれて利用されているように見えたあなたにも反発を覚えていました。いや、あなた個人であるならばそこまでの反発はなかったのですが、住職としてそれでは問題があるではないかと言う義憤のような気持ちだったのかもしれません。

 大学進学を控えた私は、あなたにキリスト教の大学の神学部に進むと宣言しました。その理由は信仰心ではなくあなたを困らせたかったのです。私がお寺を継がず、神学部に進むと言えば、苦労して開いたお寺がつぶれるから困るだろうと思ったのです。また、或るときは、私が死んだら一番困るだろうと思い、窓ガラスを素手で叩き割ったこともありました。血が止まらない腕を差出し、「これでおれは死ぬんだ」と悪態をついたのでした。血が止まらない私を車で病院に連れて行く道中にも私は、「あなたも死ぬのが怖いんだろう」と悪態をつき続けました。その時、あなたはふっとハンドルを離しましたね。そして、惰性で反対車線に入り込み、前から車が来ているのに、あなたはハンドルに手を伸ばそうとしませんでした。私は結局あわてて、自分でハンドルを戻したのでした。

 何度かそのようなあなたに反発をして、寺を継がずにグレてやろうかとも思いましたが、あなたはそれを聞いても動ぜずに、グレるからには日本一のヤクザになれ、と言われておしまいでした。それでも私があなたを否定できなかったのは、あなたには裏表がなかったからです。

 表では清らかなお坊さんの顔をしていながら、裏ではまったくの別人、というような人ではなかった。表も裏も同じで、繕うこともしませんでした。裏表もない凡夫としてどうしようもない自分を曝け出すあなたを理解していくにつれ、体面を繕い偽善な自分が見えて、余計にあなたに反発したのだと思います。あなたが亡くなって25年経っても、あなたのお父さんほど私を受け止めてくれた、理解してくれた人はいなかったと言う信徒さんの声が今でもあります。

 だいぶ長くなったので今日はこれでやめます。
 次回も続けて父に手紙を書いてみたいと思います。


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井上 城治 | 手紙寺 発起人
1973年生まれ。東京都江戸川区の證大寺(しょうだいじ)住職。一般社団法人仏教人生大学理事長。手紙を通して亡くなった人と出遇い直す大切さを伝える場所として「手紙寺」をはじめる。趣味は、気に入ったカフェで手紙を書くこと。noteを通して、自分が過ごしたいカフェに出会えること
を楽しみにしています。


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