ポケモンだって経験値で強くなる。

金曜日になると「えっもう金曜なの」が口癖になっている。あっという間に時が過ぎている気がする。
1年の長さが年々短く感じるのは母数が増えるからだと何かで聞いた。33歳の私の1年は33分の1。娘は8歳なので8分の1。そう考えると娘の方がずっと1年が長く感じているのだろう。思えば私も小学生のときは夏休みが長過ぎて死ぬほどダラけていた記憶があるけれど、親の目線になると娘の夏休みは終わるのが早いな〜と思う。
時間の長さの感じ方という例では、どこか知らないところに旅に出たときには行きより帰りの方が早く感じる人が多いらしい。なんとなく分かる。20歳初めての海外でロンドンに行ったときはお尻がなくなるんじゃないかと思うくらい長くて辛かったはずなのに、帰りはすごく早く感じたのを覚えている。自分の知らない場所に行くときは行った経験がないので長く感じるが、そこから帰るときは行った経験があるので頭の中で大体の予測が出来て、行きよりも早く感じるのだという。
経験値を持ってるか持ってないかで時間の長さの感じ方が違うのだとしたら、毎日追われるように同じ生活を繰り返している私にすぐに金曜日がやってくるのも理由がつく。最後に新しいことに挑戦したのって何だろうと考えてみたけど、本当に思い浮かばない。終わってる。
人は知らないことに対する恐怖心が必ずある。それをワクワクして知ろうとしたり、挑戦するかしないかでその人の経験値が決まる。結婚して初めて区役所に行ったときは何階の何科に行けば良いか事前に調べまくって緊張しながら行ったが、今となってはふらっと行ってウロつくスタッフ捕まえてどこに行けばいいですか?と平気で聞けるようになった。経験が人を強くさせた例である。
大きな挑戦はしていなくても、大人になってからでも細かな場面で色々な初めてを経験する。それは旅行やアクティビティに限らず、初めての人との交流や対人関係においても。それをひとつひとつきちんとこなしていくことで人としての厚みとか余裕が生まれてくるのだろうと思う。
それに加えて経験は想像力も高められる。自分と同じではない考えや立場の人であっても、その人の目線に立って想像することでまた新しい視点に気づけることだってある。今流行りの多様性ってやつだ。(多様性を振りかざして好き勝手やっている人間は心から嫌いだと思うこともひとつの多様性だと思っている。)
もうすぐゴールデンエイジになる娘に色々な経験をさせてやりたいと思いつつ、子供の頃の自分を思い返してみれば漫画ゲームテレビ音楽で学生時代は埋めつくされていた。それが子どもの頃はなんとなくつまらなく思えていたかもしれないけれど、今はそのおかげで色々な年代の人と話せる話題があったり共感できる部分を見つけられたりするので、結局は他人から用意された経験をするよりも自分の興味のあることを子どもの頃から、そして大人になってからでもする方が大事なんじゃないかと思う。
まず今年は手始めに綺麗な海で泳ぎたいという娘の願望を実現してあげようと思う。そのお願いの前後には、おまたの脱腸を治す手術で娘ひとりで入院手術をする初めての経験が待ち構えているのだが、まだ本人はひとりで入院することになってることは知らない。言って手術しないなんてことになるのは恐ろしいので、可哀想だがギリギリまで言わないでおこうと思う。娘よ、真夏の大冒険をしてまたひとつ強くなれ!母は応援しているぞ。

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