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【ショートショート】遺言

オレのオヤジはもう長くない。歩けなくなってから、もう時期十年経つ。記憶はもう昨日の事も全く覚えていないどころか孫の顔もわからなくなっている。点滴を打ちたいのに針を刺すための血管は、今まで刺してきた針達によってボロボロになっているためどこに刺せば良いか分からず、看護師達は途方に暮れている。
「今日が峠かと。」
担当医からそう聞き、悲しみと開放感の両方が同時に押し寄せる。

オレは妻の明美と娘の聡美と共にオヤジのいる病室に居る。オヤジは苦しそうに顔を歪めている。これがオヤジとの最後の会話になる。

「オヤジ。」

オレはオヤジに問いかけた。

「欲しいものはあるか?」

「普通こういう時は食べたい物聞くでしょ?」

と明美が怪訝な顔をして呟く。確かにそうかもしれない。だが、もしオヤジに欲しい物があるなら、それを買って棺の中に入れようと思っていた。

オヤジは今までよく頑張ってくれた。高校を出た後、トラックの運転手として深夜もカッ飛ばして金を稼ぎながらも質素倹約に勤めてオレを大学にまで入れてくれた。そんな強かったオヤジがここまで弱り苦しい姿を晒していることに、オレは最期に何かしてやりたいという気持ちが強くなっていた。

すると、オヤジが呟いた。

「カミノケ…」

「えっ」

確かに、オヤジは髪の毛と言った。確かにオヤジは髪が無くつるっ禿げで、そのツルツルした頭に育毛剤を塗布していた。まさに焼け石に水だったが、ここに来て髪の毛を欲しがるなんて。いや、聞き間違いかもしれない。

「オヤジ、本当に欲しいものは何だよ!」

オレは声を荒げて聞き返した。

「チンチン…」

「えっ」

「ボーボー…」

確かに、オヤジはチンチンボーボーと言った。

「お義父さん、パイパンなの?」

明美が驚きながらも答える。

「バカヤロー、パイパンな訳ないだろう!きっと、さっきの髪の毛にかかってんだよ!」

オレは口調を荒げながらも自分でも意味がわからない事を言っていた。さっきから何なんだ?本当にオレの問い掛けに対して答えてるのか?オヤジは何か夢でも見てるんじゃないか?

「お義父さん、何か食べたいものある?」

今度は明美が聞いた。

「スッパイ…」

「…」

「オッパイ…」

「えっ」

「イッパイ…」

「…」

明美と聡美は絶句している。流石にオレもオヤジに囁くように呟いた。

「ムリに決まってんだろうが…何なんだよさっきから…」

ピーーーーーー

心電図が止まりブザーが鳴る。今まで誰よりも頑張ってきたオヤジにしては誰よりもしょうもない最期のように感じた。


葬式の時、棺には花の代わりに大量のカツラに囲まれたオヤジの姿があった。

「いいんですか、本当にこれで。」

親族に尋ねられたオレはこう答えた。

「いいんです、それがオヤジの遺言ですから…」

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