【感想】蜜蜂と遠雷 タイトル考察
読みやすさ:★★★★
上下巻あり、ややボリュームがありますが平易な文章なので真夏の麦茶のようにゴクゴク読めます。クラシックピアノの代表曲が数多く登場します。知らない曲はAlexaに流してもらいながら読むと、より没入感を増して読むことができました。
タイトル考察
私は「蜜蜂」を風間塵、「遠雷」を「将来多くの人に評価される才能」と捉えました。
「蜜蜂」と「雷」。どちらも自然音です。「蜜蜂」は触媒として花を咲かせる役割をもちます。また、登場人物である若き天才「風間塵」と深く関係します。「風」と「塵」の「間」という限りなく儚い名前を持つ彼は世界的なピアニストに師事してもらいながらも養蜂家である叔父の手伝いをするピアニストです。そのような風変りな経歴であるがゆえに自然への感覚的な理解が常人よりも遙かに高く、且つ超絶技巧も身に着けているため、コンテストの選考委員でも考えられないような表現力を持ちます。
「雷」は作品で何度か登場します。一番多いのが「万雷の拍手」です。演奏を聴きに来た聴衆が感動すればするほど拍手が大きな拍手が起こり、ピアニストたちはその万雷の拍手を夢見てピアノを弾き続けます。拍手の大きさが観衆の感動量を表します。
もう一か所登場するのは風間塵が第三次予選前に聞いた「冬の雷」です。
塵はこの後、灰色の雲の隙間から光を探す描写になるのですが、結局光は見つかりません。この光景はそのまま塵の心情描写と重なります。塵のピアノ表現についても同様の課題がありました。亡くなった世界的師匠であるホフマンから「狭いところに閉じ込められている音楽を広いところへ連れ出す」約束をしていました。どうすれば連れ出すことができるか。これを踏まえて塵が三次予選でコンテストとして、塵はホフマンを想いながら型破りな演奏を行います。あくまでホフマンは塵にとっての触媒であり、遠雷そのものではないのかな。自信ないけど。さらに、この演奏を聴いたコンテスタントである英伝亜夜に気付きを与え、亜夜がさらに驚くべき表現力のある演奏をしたことを受け、審査員の三枝子は風間塵を「他の演奏者の個性を引き出す」「ギフト」と認識します。対して同じ審査員であるナサニエルは風間塵の演奏を聴き、とある感傷に浸っていました。
今まで抱いたことのない感情を持たせる演奏を彼は「災厄」の可能性があると認識しているようですが、ナサニエルが自身の「遠雷」を知るのが怖いのでしょう。自身の本能に気づいてしまうと、今まで積み重ねてきたことがひっくり返る可能性があるのかもしれません。
風間塵が奏でる音を触媒として、聴衆は本能に従って演奏を続ければ、いつか遠い未来で「万雷の拍手」を起こせるのでしょうか?風間塵も、ナサニエルもコンテスタントも、そして読者も。人の数だけ違う人生があるため、人によっては続けることが困難かもしれません。しかし、環境に負けずに何でもいいから本能に従って続けてさえいれば、いつかきっと多くの人から万雷の拍手を頂ける存在になるでしょう。その遠雷を見れるようになった状態の人たちのことを私たちは「天才」と呼ぶのかもしれません。
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