【エッセイ】桜の美しさの向こう側
お昼休みに用事があり近くのコンビニまで出かけたんだけど、元気いっぱいの若者のグループとお年を召したグループがそれぞれ草むらの上にシートを敷いて桜を見ていた。今日って休日だっけ? いや、違うはず。でも平日でも厭わずこうやって遊びに出かけてる人達がいると、私の住んでいるような世界の片隅にも活気が宿る。
桜を見るとき、人々は桜の何処を見てるんだろう?やっぱりこの時期だからこそ生い茂る薄桃色の桜の花々だろうか。それとも桜がこの場所に在る経緯を想像しているんだろうか。もしかすると、人々が集まる場所にたまたま桜がちょこんと咲いている事もあるかも知れない。
東京の桜も充分に咲き、徐々にその下にピンクの絨毯を敷き詰め始めている。いつもあっという間に散っていく桜だけど散るからこそ美しい。そして桜をこの場所に植えた誰かさんについて想いを馳せると、そこに侘び寂びがある事に気づく。目で見える美しさと目に見えない美しさ両方を持つ木々だという事を忘れないようにしてもう一度散っていく花を見ると、今度は自分達がこの景色を守る番だと思えるかもしれない。
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