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【エッセイ】ナイトプール

たしか私が大学生成り立てだった頃、父と兄にこんな話を持ちかけられた。

「おい、東京に夜でも泳げるプールがあるらしいから行ってみないか?」

私は物珍しい話が好きなのであろうことか「行く」と返事してしまった。こうして私は父と兄にナイトプールへ連行された。

プールへ着くと、多くのカップル達が楽しそうに笑いあいながら浮いていた。当時の私はナイトプールの概念すら知らなかったこともあり、想像を超えた世界観に棒立ちになった。

「おい、泳ぐぞ。」

私は張り切る父と兄に無理くりプールへ連れられる。

ん?今泳ぐって言った?

ライトアップされたプールで泳いでいる人達は誰もいない。プールには入るけど、あくまでカップル達のムード作りの演出である事は幼かった私でもわかった。どう考えても泳ぐ場所じゃない。

すると突然バシャバシャ豪快なバタ足音が私の後方から聞こえてきた。見ると兄が思いっきりクロールしていた。兄よ、色々間違ってる。平泳ぎとかならまだしもよりによってクロールはマズイ。周りの女性客は化粧が落ちないように顔でバリアーしていた。ああ、皆さん申し訳ない。私は急いで兄の足を掴み、状況を教えた。しかし兄はスイミングの邪魔をした私に腹が立っていた。

「何で邪魔すんだよ!」

「クロールはマズイ。周りの女性客見てごらん。」

兄は状況を察し泳ぐのをやめたが明らかにつまんなそうな顔をした。きっと兄も父に「夜でも泳げる」と聞かされたんだろう。どうやら兄も被害者だった。

「みなさん、これから一時間飛び込みタイムです!飛び込みたい方はこちらで列を作って待機をお願いします!」

アナウンスが流れた方向を見ると列の先頭に腹の出た父が立っていた。これは一体何の嫌がらせなのか。私は見てるだけでも気持ちの悪い恥ずかしさを感じざるを得なかった。

父が何の躊躇もなく勢いよくプールへ飛び込む。水面に飛び込んだ父の体積分の衝撃波ともいえる水飛沫が飛び散った。周りは予め衝撃波を予測して距離を空けていたが、それでも顔にかかってしまう客もいた。

思いの外にも歓声が上がった。こんなに大きな冷笑を聞くのも人生中々無いだろう。飛び込んだ父が一直線に私たちのところまで泳いでくる。

「お前らもやれ!」

「絶対やだ!」

父と兄は周回して飛び込んでいたが、私は一時間ずっと必死にプールの角で身動きせずにじっとしていた。何もしたくなかった。

あれ以来私はナイトプールがトラウマとなった。この先も行くことはないだろう。

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