駆け抜ける狂騒と一条の郷愁 第14話

 第二部 ある物語


 目を覚まし、さて、何をしたものかと男は思う。

 昨日、村の若者がひとり旅立った。
 彼は選ばれし者だった。何によって選ばれたのかは考えるまでもなく、思考はそこで停止している。選ばれたのが自分でないことを悔しがる若者もいて、彼はなかなか優秀で村でも一目置かれる存在ではあったが、選ばれたのは彼ではなかった。その選ばれる、選ばれないについてのひと騒動が最近起こった村の大きな出来事であり、それが終わった今、さて何をすべきか。先ほど起きしなに考えたのは、そういうことだった。

 とりあえず顔でも洗おう。

 村のはずれに位置する家は、小川に近いことが利点だった。顔を洗いに小川へ、と扉を開けると人がいた。人、とは言ったものの、それは人の形を成しているだけで尋常ではない。自分とは明らかに異質な由来を持つ何かであった。まず皮膚の色が青い。そして本来白いはずの目の部分が黄色く、赤い髪を後ろになでつけていた。隣村の、ならず者で言わせた輩が同じような髪型をしていて、もちろん良い印象などない。しかし目の前の存在は、ならず者を大きく上回る。何が、と言われれば大きさであり、強靭そうな体つきであり、立派なカイゼル髭であり、と羅列してみたものの肝心な何かは言い表すことができず息を呑む。大きな体を暗色の外套で包み、下に垣間見えたのは鎧だろうか、黒く硬質な艶を持ち、見覚えのない素材である。胸元には金で縁取られた赤い石が煌めいていた。
「あの、どちら様で」
 ようやく誰何をひねり出し、呑んでいた息が吹き返す。
「初めまして。私は、魔王と申します」

 丁寧に自己紹介されたからには無碍にもできず、ひとまず中に案内した。とは言え、入ってすぐに食卓と椅子である。案内し甲斐もなく、相手の大きな体に椅子は軋み、食卓はより小さく見えた。そしてひとまず中に入れたものの、どうしていいか分からない、というのが男の感想だった。魔王を見ているだけの時間が過ぎる。
「何か」
「いや、意外とヒトに近い風貌だなって」
 そうではないだろう、言うべきことは他にもあるはずだ。しかし男には実感が湧かず、湧くはずもない。
「あの」
「はい」
「昨日、うちの村の若者が、あなたを討伐するために旅立ったのですが」
「ああ、ええ、伺っております」
 まあ、やっぱり魔王なんだろうな、と思いつつ、すでに討伐の情報まで把握していることに感心する。
「それで、なんでここに」
「ええ、それなんですがね」
 と、魔王が手を組み、身を乗り出した。食卓が軋み、もはや悲鳴とも言える。
「いや、本当に突然押しかけてしまい申し訳ありません、実は、先ほどの私を討伐する話、それを伝えに来た連中がいましてね、その連中がここに避難しろと、そう言ったものですから」
 もちろん男には話が見えず、避難と言われても魔王を匿うわけにはいくまい、勇者との最終決戦が我が家で繰り広げられたらひとたまりもない、と必要もない心配ばかりが浮かぶ。
「いや、おっしゃりたいことは分かります、私のような者を匿うとなれば、それは村の方々にも体裁が悪いでしょうし、だからもちろん、ばれないように最大限努力します」
 あてにならない努力は期待を持てず、そもそも村での体裁以上に気にすべきことがあるはずだ、と思いながら、いや待て体裁は大事だ、確かに魔王だもの、ただでさえいい歳をした男の独り身で、誰も口にしないが浮いている気もしていて、魔王がいるとなれば村八分もいいところだ、と日頃うっすらと積もっていた不安が堰を切ってしまう。
「いやいや困ります、努力と言ったって、あなた、どうしても目立ってしまうでしょう」
「いや、魔法があるので。魔法で人間に化けるので」
 なるほど魔王だからそれくらいの芸当は可能だろう、と納得の解決策に安心する。
「しかし、いくら何でも勇者から避難する、というのは、立場上どうなんでしょうか」
「いや、避難するのは勇者から、ではないのです」
 結局話が見えず、男は当惑の表情を隠さない。察した魔王がやや顔をしかめ、深く息をつく。おそらく事情が複雑で、その説明には骨が折れるのだろう。ため息から、男はその労苦を推し測る。
「その、どう言えばよいのか、とにかくありのままお伝えするしかないのですが、私の討伐について言及した先ほどの連中に話は戻りまして、彼らが言うには避難する相手は『物語』だそうです」
 推し測ったものが遥かに及ばない。何を言っているのか分からず、そもそも同じ言語を話していなかったのではないか、魔族だしな、と軽い錯覚なのか逃避なのか分からない症状を引き起こす。
「混乱するのも無理はありません、話している私自身でさえ違和感が残るのですから」

(続く)
【次の話】
第15話 https://note.com/teepei/n/n11c65a1fe2d0

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