駆け抜ける狂騒と一条の郷愁 第16話

【前回の話】
第15話 https://note.com/teepei/n/n11c65a1fe2d0

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「さあ、朝ごはんにしましょう」

 魔王の居候が始まり、七日目の朝である。

 巨体の割には思いのほか器用で、炊事や洗濯をこなす。家の前に作られた畑には、どこからか探してきた種やら苗やらを畝に植え込んだ。
 魔法でどうにかなりそうでは、というところも、魔法を使うとそれなりに消耗するものもあるので、と手間を惜しまず、唯一火だけは魔法に頼る。料理は温かく、そんなものは知り合いの家でしか食べたことがないと思うが、その経験さえ設定でしかないと思うと虚しい。

「いただきます」

 目玉焼きとパン、それに葉物の盛り合わせ。質素だが、火加減は絶妙であり、新鮮な葉物は丁寧に刻まれていた。生活には見違えるほどの変化があり、しかしそういうことでもない気もする。

 ごちそうさま、と平らげた後、食器を洗うのは男の役目だった。というよりも、食器を洗うぐらいしかすることがない。居候だからと家事全般を魔王がこなし、傍らで何もしないのもどうかと思い、負い目を和らげる程度に食器洗いを担う。


 手伝わせてください、と言ったものの、取り敢えずは相手の希望に沿って匿うぐらいのことしかできない。そして、それはいつまでなのか問うたところ、はっきりとは分からないと言う。それ以上に出来る事などなく、毎日がそれなりにすぎていくだけだった。

 連中について尋ねた事があった。奇妙な風体をした三人組であり、そのうちひとりは比較的マシな容貌で、それは魔界的な意味ではあるが、緑色の皮膚をしたカエルの魔人だった。他二人は男と同じ人間で、一人は隻腕の男、もう一人は若い女。彼等は魔王に進言したのち消えていった。
 物語の穴。
 それを見つけて彼等は物語の間を移動しているという。しかしその発見は容易でなく、男の右腕は物語の穴のために失われたそうだ。そこまでして彼らは何を手に入れようと言うのか。

「己の存在が記述であると気付いたときから、彼等は生身の肉体を手に入れることを目的として活動しているそうです」

 と魔王は言う。
 そして、記述であると気づいた時と物語の穴の最初の発見の時期は同じであり、それは何かしらの力の作用があったとのことだった。

 そんな彼らに促された結果、魔王はこうして男と暮らしている。そしていつまで続けるのか分からない、というのは、彼らに指示されたものの、その内容の示す意味が分からない、と言い表すのが正解だった。


 洗い物が終わり、家の中に戻ると魔王が何やらゴソゴソと蠢いている。

「何をしているのですか」

 そう呼びかけると、ああ、これですか、と魔王が頭を上げる。

「庭に家庭菜園を作ったでしょう。そうすると色々面倒を見るために長居するじゃないですか。ちょっと休憩しようとするたびに家の中に戻るのも面倒くさいものですから、椅子でも作ろうと思いましてね、木を切り出せるものを探しているのですが、何かありますか」

 本当に魔法には頼らないつもりなんだな、と感心にも似た気持ちを抱き、ああ、それなら、と家の裏手の物置から鋸を持ってくる。ありがとうございます、と手に取った後、ふと気づいたようにして、すみません、つい、厚かましい真似をしてしまって、と詫びる。男としては生活の改善が促されるわけであり、文句を言う筋合いがなければ、むしろありがたいわけである。魔王にしては謙虚が過ぎ、ふと存在に疑念を抱いてみるも、その容姿には疑義の余地がない。

「三人組が言うには、まだ物語が始まったばかりであることに起因するのではないか、とのことでした」  
 魔王らしくない性格の現状について、そんな解釈が充てられていることを魔王自身が述べていた。
 つまり始まったばかりの物語の中で、魔王は終点としての位置付けを与えられたまでであり、仔細の設定はこれから肉付けされるだろうという。それではこれからの設定如何では、ある日突然性格が豹変する事があるのかを問えば、それはあり得るでしょう、かなりの確率で、なんせ魔王ですからね、それなりの性格も求められるでしょう、と何でもないことのように答える。
 魔王的な性格。
 それは勘弁してほしいと、男は切に願う。

「A氏の性格はおそらく安定したままですね。物語の干渉をこれ以上受けず、その性格は紛れもなくA氏の自由の下にあるわけです」

 続けて言われたそんなことを、男は思い出す。
 よく言えばそうとも捉えられるが、放置されている観は否めない。
 魔王は男を、A氏と呼んだ。名前を問われ、当然あるはずと思っていたものは存在しない。その事実に驚愕する間もなく、暫定として名付けられたその名は奇妙な定着を見せた。
(続く)

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