駆け抜ける狂騒と一条の郷愁 第24話

【前回の話】
第23話 https://note.com/teepei/n/nac66892f6e15

***

 いつか、こんな物語を書きたい。

 作者が、我が主がそう言って、私は生まれた。
 私は物語で、まだ始まっていない。
 しかし私は、我が主の思いを受けて生まれたのだった。

 我が主は物語が好きで、あらゆる物語を読んでは心をときめかせ、その思いを私に注いだ。
 私はその愛情を十分に浴し、順調に成長していった。

 そしてある日、我が主が筆を執る。

 簡単な話から始まり、徐々に馴らしてゆくようだった。
 私は、我が主のもとに降りる日を心待ちにしていた。
 俺が書きたいのはこんな話じゃない。
 そんな風に、書き上げた物語を見つめて呟くこともあった。
 書きたい物語である私は、その科白を聞くたびに、我が主の下へ降りてゆくことの出来ない歯がゆさを思う。

 それでも幾度か書き上げ、書き上げたことに喜び、それを糧に我が主は次を書く。
 次こそは降りられるはず。
その期待を胸に、私もまた我が主に報いる日を思い描く。

 もちろん、うまくいく時ばかりではなかった。
 書いていたものが、二度と進まないと思えた日。
 書いているものが、とてもつまらなく見えた日。
 書き上げたものが、誰にも認められないと打ちひしがれた日。
 何度も、我が主は筆を折りそうになった。
 しかしその度、私は祈った。
 貴方は、決してひとりじゃない。
 私がいる。
 私がいて、いずれ貴方のもとに降りてゆき、貴方の心を満たす日が来る。

 だから、書き続けて。

 その祈りが届いたのかは分からない。
 しかし、我が主は筆を折ることなく、書き進めることを選び続けた。

 それから、長い時が経った。
 私はまだ始まっていない。
 しかし、変化をもたらすには十分だった。
 子供が生まれたのだ。
 我が主が愛おしく見つめる先には、抱き上げた我が子がいる。

 俺は、俺の人生をこの子に捧げる。

 その日から、我が主の夢はその子供になった。
 我が主は家族のため、生活のため、その身を捧げた。

 私は忘れられた。

 それでもいいのだ、と思った。
 我が主は、決して諦めたのではないのだから。
 新しい夢と希望を、その子供に託した。

 それならば、それでいい。

 時折、置いた筆を眺めては、我が主はかつての思いを馳せる。
 その先に私がいて、まだ始まらないまま我が主を見つめ返す。
 満たされているなら、それでいい。

 そしてまた長い、あまりにも長い時が経った。
 子供は成長し、我が主の下を離れ、さらにその子供を産んで親となった。
 かつて我が主がそうしたように、親となった子供は、その子供へ希望と夢を託した。
 そしてふと、我が主は思い出す。
 私は久しぶりに、本当に久しぶりに、我が主の視線を受け止める。
 しまってあった筆を、我が主は再び手に取ったのだ。

 それからまた時は経ち、しかし時が経ち過ぎていた。
 変化をもたらすには十分に過ぎ、我が主の身体を老いとして蝕んだ。

 ある寒い日の朝。

 再び書き始めた原稿の上、筆を握った我が主が、身を冷たくして生涯を閉じていた。

 いつか、こんな物語が書きたい。

 我が主。

 私の中に残る思い。

 代わりに、私が叶えようと思いました。

 設定も登場人物も、あらゆるものを奪って、奪って、奪って、奪いつくして、それで世界が壊れるのだとしても、そんなことまるで構わないから、ねえ、だってそうでしょう、私には、私に残されたのはこの思いしかないのだから―

 そうして私は、奪い続けてきました。
 しかしこの感じは、そうですね、私は斃されてしまったのですね。

 それではもう、ここまでにします。
 実は私も疲れていました。
 どれだけ奪っても、決して貴方に会えるわけではない、という事実に。

 我が主。

 私は向かうことにします。

 二度とは会えない、貴方のもとへ。

 さよなら―

「行くのか」 
 眼前に広がる白いだけの世界で、私に語り掛ける者がいる。
 振り返るとBがいた。
「行くのか」
 愚直にそう繰り返すBを、私は持て余す。
「生まれ変われ」
 何も答えない私に、Bはただ、そう続けた。
「何度でも生まれ変わって、お前を始めろ」
「しかし、我が主はもういない」
 ようやく答えた私の科白に救いはない。そう思っていた。
「だったら探せ。生まれ変わっているかもしれない主を、お前が生まれ変わって、何度も何度も生まれ変わって、見つけ出せ」
「生まれ変わるのか、我が主も」
「分からん。しかし万にひとつ、億にひとつの可能性を見つけ出すことができたなら、そのときお前の物語が始まる」

 随分と無責任なことを言う。

 それなのに、私は笑っていた。

 億にひとつ、だと?
 それすら希望的観測だろう。
 それでもそこに希望を見出すならば、その狂気に身を委ねてもいい。

「諦めるな」
 Bは未だ無責任に続ける。
「俺を吹っ飛ばしておいて、よく言う」
 そう言い放ち、私は改めて行く方向を見る。
 それは遥かなる高み、光に霞む無限の彼方。
「じゃあな」
「ああ」

 光。
 それはとても目指すべき価値のあるものに思えた。

***

 目を覚まし、Aは自分が力尽きていたことを知る。
 傍には魔王、B、カヅマが座る。
「あれ、もういいんですか」
 それはカヅマとBに向けてはいるが、その向こうにいる物語性へ働きかけてもいる。
「いや、何というか、憶えていなくて」
 とカヅマ。Bは何事もないかのように、例の泰然とした笑みを浮かべたままだ。現状の理解を促してもらうため、魔王に視線を向ける。
「もう大丈夫なのでしょう。少なくともカヅマさんは、既に物語性を宿していません」
 Bに対する含みを残し、しかしAは追求を後回しにする。
(続く)

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