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エリック・ティールマンス/灰野敬二/高岡大祐 LIVEのこと(2023.10.23)

ベルギーの最高峰即興ドラマーEric Thielemans(エリック・ティールマンス)が久々の来日公演、そのうちの1日は氏がかねてより熱望していた灰野敬二をメンバーに入れたトリオ編成(エリック・ティールマンス/灰野敬二/高岡大祐)でのセッションLIVEとして2023年10月23日(月)、東京・四谷三丁目「CON TON TON VIVO」で実現した。
このLIVEを観に行くにあたり一つ頭の片隅にあったのは「現在、中東やウクライナで起こっている人間の愚かさの象徴たる殺し合いについて、何かメッセージを発するのかどうか」だ。しかし音で表現することは容易ではないだろう、とも思いつつ。これについては後述する。
また、オチの片方を先に書いてしまうと、今年見た即興LIVEで一番良かった、控えめに言うならTOP3は間違いない、そういうセッションだった。

四谷三丁目駅から徒歩3分ほどの「CON TON TON VIVO」

セッションは2ステージ。それぞれ35分、45分弱ほどだった。この手のセッションにしては比較的冗長にならずギュっと濃縮された演奏だったと思う。1stセッションは良い意味で抑制の効いた、かといって初顔合わせとは思えないスムーズな触感、これは多分にティールマンスの力みのないドラミングに起因するのか、とにかく自然体で三者とも奇をてらうことのない聴き応えのあるセッションだった。灰野は椅子に座った状態でエレクトリックギターSGと数個のコンパクトエフェクター、アンプはJCに繋ぎメリハリのある、そして背後のティールマンス、サイドの高岡とで音で会話しているかのようだった。高岡のTubaもティールマンスのドラムスと同じくらいのテンションで、時にエフェクターのツマミでエレクトリックな変化ある音色も交えつつ、三者が対等なバランスのセッションだったと思う。
休憩を挟んだ2ndステージは、1stでお互いの感覚を掴んでこなれたか、ティールマンスの手数も増えて、高岡も時折立ち上がってTubaを客席に向けて強めに吹いたり、一段テンションが上がった。灰野は1st同様に、繊細と大胆、冷静さと激情が織り交ざったギターを奏でつつ、1stに比べてVocalをとる時間が増えた。

そう、ここで私は気付いた。冒頭で「楽器で発せられた音だけで受け手が”ソレ”を認識するのは難しいのでは」という趣旨を書いたが、「歌」という手段があるのを忘れていた(勝手に歌無しだと思い込んでいた)。歌というべきかヴォイシングと呼ぶべきか。あらかじめ用意された歌詞が書かれた紙を譜面台に置いてい歌っていた。終演後にその譜面台にめくれたペーパーの裏から文字が透けて見えたが、かなり大き目の文字で数行書かれている、というものだった。2ndステージの途中からではあったが、私は全意識を耳に集中させて歌詞を聴き取ろうと努めた(1stステージではボーっと聴きすごしてしまった)。灰野の歌詞の聴き取りにこれほど積極的になったことは今までにない。

まず耳に飛び込んできたフレーズが「不平等条約に」だった。直感的に「”ソレ”に関係することに違いない」と思った。もしくは、私がそう解釈したがった。続けて「今宵の、ここで起きていることが含まれるのか?」とくれば、やはりそうかな、と。「今宵の、秘密の内緒話は声が小さくない」といった趣旨も。何となく、考えれば思い当たることもありそうか。

間を置いて今度は「この大地に産み落とされた叡智は、若過ぎた」と聴こえた。これとて、客観視点ではあるが現在の状況を表現しているとすれば、なるほど深いな、と思う。何が、誰が悪い/良いという短絡的な二元論では語れないのだから。

演奏のテンションが徐々にヒートアップした終盤に「我々を審判するのは、右脳、左脳?右、左?右翼、左翼?」「これでどれだけの組み合わせができる」「そんなモノ」糞喰らえと言ったかどうか、自分の思い込みかもしれないが、そういう〆だったと思う。

冒頭の文章を再掲する;

このLIVEを観に行くにあたり一つ頭の片隅にあったのは「現在、中東やウクライナで起こっている人間の愚かさの象徴たる殺し合いについて、何かメッセージを発するのかどうか」だ。

私は、その「何か」のメッセージはあったと思う。それは灰野の歌にのみあったのか?ティールマンスはもちろん、高岡でさえも灰野が発した日本語の歌詞は演奏中聴き取れなかったと思う。しかし即興演奏の中で言語を超越した三者のインヴィジブルなコミュニケーションが呼応し、三者が奏でる音に反映されていたのでは、と解釈したい。


アーティストを含む表現者たる者は、権力の横暴に対抗する存在だと思っている。権力者が不条理な力を行使する際、最も恐れることの一つは「真実を暴かれる」ことだ。真実を暴く、もしくは大衆に真実への気付きを与えるのは、ジャーナリズムであったり、表現活動であったりする。だから不条理な権力者はそれら活動を徹底的に封じ込める。これは歴史が証明している。だからこそ表現者は権力の横暴に抗うのが定めだと思っている。

今宵の、グローバルに活躍する三人の個性豊かなアーティストによる即興セッションが、音楽的に抜群に素晴らしかったことに喜びを感じつつも、現在足下で起こっている非常事態に対し、表現者として何らかのメッセージを発信してくれたことにも感動している。彼らはいつもそういうスタンスでやってるのであって、私がたまたま今日気付いただけかもしれない。もしそうであるなら、気付けただけでも収穫だ。本当に観に行って良かったと思えるLIVEだった。(敬称略)


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