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こまんか日記6【つくって食べる】

ぺやんぐは食べる事が好きだ。

食べる事が好きだから、料理を作るのも好きだ。美味いものをコスパよく食べたいしってのもあるけど、周りの人に美味しさや楽しさ、愛情を共有(押し付け)出来る方法のひとつだとも思う。割と音楽やる理由と近いのかもしれない。連続で書くか分かんないけど料理シリーズで何本か書いていこうかなと。

今日は実家にいた頃の、食いしん坊ぺやんぐを育てた、贅沢な環境について書く。

ぺやんぐが物心ついた時祖父は1人他界しており、母方の祖父母と父方の祖母がいた。その祖父母の家では野菜、米を育てていて、ニワトリも飼っていたので卵もあった。いつも“つくる”工程から身近にあったってかんじ。それぞれについて思い出と共に振り返ってみる。

まず畑はあって当たり前。恐らくほとんどの家のひとが敷地内にガッツリ畑を持っていてお裾分け・物々交換は日常茶飯事だった。ウチも祖父母の家、実家それぞれあって、直前にその日使う野菜を収穫して料理する。スーパーやコンビニに買いに行くように畑から収穫するという感覚かもしれない。

そして米については祖父母の田んぼの米作りを毎年手伝って、できたお米を貰っていた。手伝いはぶっちゃけめっちゃダルいのだが、田んぼの静かで青々とした景色に囲まれて食べる祖母と母お手製のお弁当が最高に美味しいので、その為に手伝っていた。既にぺやんぐは食いしん坊としての才能を発揮していたのである。軽トラの荷台での休憩のちょい昼寝も最高。このイベントを経てお米が貰えるのだ。毎日そのお米を食べてきたので上京後初めてドン・キホーテ最安のお米を買って食べた時の風味の無さに驚いた。恥ずかしながら24歳でようやく贅沢なお米を食べていることを自覚した。

祖父母は山も一部持っていたので、しいたけを原木で育ててもいた。山から切って持ってきた木に穴を開けて菌のついた杭をその穴に打ち込んで山の中に置いておけば、しいたけが生えてくる。
しいたけは雷雨が過ぎると大きくモコモコと生えてくるので、雷雨の翌日は必ず山へ行って原木を見に行き収穫していた。ついでに原木の周りに野いちごがないか探索しながらしいたけを収穫する。純粋に楽しい。そしてその採れたてのしいたけを天ぷらにするのがお決まりだった。肉厚ジューシーでちょっと甘いしいたけの天ぷらは何もつけずそのままでも旨み十分、塩で食べれば風味が引き立つ。残ったしいたけは干して保存する。この干ししいたけもまた、煮物などの出汁を取ればうまみ爆発、しいたけ茶にすればしいたけの風味を存分に味わえる。

関係ない話だけど、この祖父母の山のてっぺんには「たのかんさあ(田んぼの神様)」が祀られていて、一度だけ祖母とお参りへ行ったことがあった。右も左も分からなくなりそうな整備されていない山の中だが、祖母はまるで自分にだけ道が見えているかのように鎌で草木を払い除けながら一切迷う事なく登って行き、あっという間に到着した。
今では祖父は他界、祖母も寝たきりになり、お母さんもこの道は知らないので、同じ山の他のエリアを所有してる他所のおじいちゃんおばあちゃんに教えて貰わない限り行く事は出来ない。山は本当にスピリチュアルな意味でも危険なので、家では祖父母以外はお父さんとお母さんさえも1人で入らない決まりだ。

話は戻るけど、もう1人の祖母はニワトリと烏骨鶏を飼っていたので卵はいつもお裾分けして貰っていた。夏休み祖母の家に泊まりに行った時は、小屋のアミアミの隙間からつついてビビらせてくるようなイナヤンニワトリ達の小屋の掃除を手伝った。祖母はニワトリに容赦なく、素手で持ち上げたりするので祖母が来た途端ニワトリ達は小屋の隅っこにギュウギュウに逃げる。そんな相手を見て態度を変える中々なニワトリ達と穏やかな烏骨鶏達が産んだ卵を有難く頂戴し、貰った日には烏骨鶏の卵でたまごかけご飯を食べていた。

こんな感じで野菜やお米、卵をつくる工程込みで美味しく頂く生活をしていた。ただおバカな事にこの“つくる”工程については当時興味が無くてただ手伝う事しかせず教わる事をしなかった。その事は中々に後悔している。もうすぐ冬がやって来てしまうところだが、来年くらいからベランダで野菜を育てるところからスタートしたい心持ちである。

あんまりオチもクソもない事書いたけど長くなったので終わる。
杉さんにも自分の地元のこと書いてもらいましょか。ほな。

Teenager Kick Assは現在3ヶ月連続ワンマン中です。
次回最終回11月17日(水)、新代田FEVERでお会いしましょう。

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