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おとなの遠足in江ノ島

10年ほど前、父とふたり相模大野に住んでいた。小田急線が小田原の方に向かう路線と江ノ島の方に向かう路線に分かれる分岐点である相模大野。

20代半ばから40代半ばまでは家を出て一人暮らしをしていたのだが、70代後半に差し掛かり一人暮らしが不安になってきた父から戻ってこないかと言われたのと、自分もちょっと厄介な事情を抱えてしまったタイミングが重なり、久しぶりの父との同居に踏み切った。そんな風に書くと父親思いの孝行娘のように聞こえるが決してそうではなく、寧ろ父とはずっと折り合いが悪かった。

父はゴルフが好きで一週間に一回は必ずホームコースでプレーし、一年に一回、多い時は2回、若い頃駐在員として暮らしていた米国カリフォルニアに長期滞在してゴルフ三昧の日々を過ごし、豊かな老後を満喫していた。それが、80歳になるかならないかあたりでがっくり体力が落ちてしまった。運転免許は返納、ゴルフ会員権は売却、海外旅行は封印してしまった。それまではお互いにあまり干渉せず、ルームメイトみたいな感覚で暮らしていたが、いよいよそんなわけには行かなくなってきた。どんな状況の時であっても父の食事の準備が最優先となった。それと、父が病院に行く時の付き添いも必須となった。担当医との意思の疎通が今までのようにうまく行かなくなってきていたのだ。ただそれだけと言えばそれだけなのだが、いつまで続くともわからない状況、しかも時の経過と共に悪化することはあっても良くなることはまず望めない病状。ひとり娘が年老いた父親の面倒を見るのは世間的に至極自然なことなので逃げ出す事もできず、閉塞感を抱えて生きていた。

当時の私にとって一番の楽しみは毎週日曜日のお昼頃から数時間、夕飯の支度のため帰宅しなければならないギリギリの時間まで、小田急線を下ってしばしの遠足に見を投じることだった。行き先はいつも相模大野駅のホームで決めた。小田原行きが先に来れば小田原へ。片瀬江ノ島行きが来れば江ノ島へ。いずれの行き先になったとしても広い空と青い海が私を待ち受けていた。

今日はあの頃の事を思い出しながら久しぶりに江ノ島まで足を伸ばしてみた。曇が多い天気のせいか片瀬江ノ島の駅に降り立つ人はそれほどいなかった。

参道の入り口に立つ青銅の鳥居あたりも予想していたより人が少なかった。

あの頃は写真をパシャパシャ撮ってFacebookやInstagramにせっせとあげていたなぁと思い出しながら今日も撮影会。

トイレの手を洗うところに龍がいる。
水の出し方と止め方が日本語でしか書いてないので水が流しっぱなしになっていることが非常に多い。
岩屋洞窟 おとな入場料500円 
一歩中に入ると空気がひんやりしていて夏にうってつけ


カラッと晴れている日は空の青と海の青のコントラストがもっと鮮やかに撮れるのだが…
じふんちの住所がこれだったらちょっと嬉しいかも
崖っぷちのこの家、ずっと前から変わらずこの状態。
リノベしてカフェかレストランにでもしたら繁盛しそうなロケーションなのに…

週末毎に小田急線に乗って数時間の現実逃避をしていた期間は結局2年にも満たなかった。長引くだろうと思っていた父の病気は思いのほか酷い速さで父の命を奪っていった。

今まで忘れていたが、昨日8月7日は父の誕生日だった。生きていればちょうど米寿を祝っていただろう。

父は生前から自分が死んだら墓はいらないから海に散骨して欲しいと言っていたので遺骨はすべて横浜港から少し沖に出たところに撒いた。

今日、なんとなく海に導かれたのはあの世にいる父が誕生日くらい覚えていてくれよというサインだったのかもしれない。

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