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"期待"という実態のない重荷


「期待しているよ」

誰しも人生で一度は投げかけられた言葉ではないでしょうか。

言葉ではなくとも、"期待"という空気感を感じる場合もあるかと思います。

ただ、期待は時に人を縛る鎖になりえます。

このnoteでは、期待について考えていこうと思います。

1. 期待とは

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いつものように、コトバンクパイセンに伺いました。

あることが実現するだろうと望みをかけて待ち受けること。当てにして心待ちにすること。
~ コトバンクより ~

上司から

「今日のプレゼンは期待しているよ、ヒロシくん。」

と言われたり、

学校の先生から

「試験に合格することを期待しているぞ、ヒロシ。」

と言われたり、

先輩から

「ヒロシ、可愛い子との合コンを期待しているぞ!」

と言われたりする。(※ヒロシは架空の人物です。)

生きていると、誰しも一度くらい期待をかけられたことはないでしょうか?

なかった場合はごめんなさい。

ただ、そんなあなたは幸運です。

人に期待なんてされないほうが良いですし、逆に、人に期待もしないほうが良いです。

なぜ、期待はすべきではないのか?

次項で考えていきたいと思います。


2. 期待は実態のない重荷だ

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期待は実態のない重荷です。

英語だって練習すれば話せるはずだし、

数学だって問題をたくさん解けばできるようになるはずだし、

歴史だって参考書を読み込めば覚えられるはずだ。

仕事だって教えればできるはずだし、

資料作成も早くなるはずだし、

営業成績も数をこなせばできるはずだ。


要するに、こちらの願望を相手に押し付けているだけです。

自分ができることを、他人もできると期待するのはただ傲慢なだけですし、上手くいかなかった場合は、期待をかけた側もかけられた側もストレスがかかります。

だから、そもそも人に期待することはやめましょう。


とはいえ、期待しなくても誰かに仕事を任せたり、成長を促さないといけない機会は当然あります。

期待ではなく何をすべきかということを、次項で考えていきたいと思います。


3. 信じて見守る

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シンプルな結論ですが、

"期待する"のではなく、"信じて見守る"ことが大切だと考えています。

自分の望む成果を初めから期待するのではなく、その人が取り組んでいるプロセスを見守るのがいいんじゃないかなあと。

期待はプレッシャーに変わってしまうので、進捗が芳しくない場合、受け手は自分からヘルプの声を上げづらいですし、トラブルが起きても隠すようになります。

信じて見守り、手助けする姿勢を見せるが、期待はしない。

このスタンスを持つだけで、

期待する側だった人も、

期待される側だった人も、

不要なストレスから開放されるんじゃないかなあと信じています。

人間の成長には、ストレスが必要な側面も当然あります。

しかし、必要なストレスは期待からくるストレスではなく、

「自分でやり遂げる。」

という責任感からくるストレスなのではないかなあと思います。

期待を押し付けるのではなく、信じて見守ろうぜ。





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