小沢健二"LIFE"はムロツヨシ

 下駄を鳴らして奴が来る。邦楽オールタイムベストとかいう企画が立ち上がると大体食い込んで来る。ベタ中のベタ。洋楽ソウル・ファンクを大胆に引用し、それをドJ-POPに落とし込むことで批評家からも一般層からも支持を受ける絶妙な匙加減で心のベストテン第1位。90年代邦楽アルバム界の藤井聡太。既に2兆人が感想を述べているので今更付け加えることはほとんど無いんですけど、少しだけ。

 タイトルロゴがSly & the Family Stoneの”LIFE”そのまんまだとか、「ドアをノックするのは誰だ?」がJackson 5の”I Will Find A Way”のカバーかと思うくらい引用されてるとか、そういう「元ネタ探し」してキャッキャする記事は各所で腐る程書かれて実際腐って発酵までして納豆になっちゃってるのでそういうのが読みたい人は納豆食べてください。
 じゃあ何について話すのかというとこのアルバムの持つ「普遍性」について。一見するとこのアルバムってまっっっっったく普遍性の欠片も無いんですよね。一箇所も共感できない気がする。特に周りの人間がバンプとかエルレとか聴いてる時代に教室にすみっこでニヤニヤしながらNirvanaとかDinosaur Jr.とか深夜ラジオとか聴いてたような奴は絶対共感できない。誰だよ。偶然ですけど私はNirvanaとDinosaur Jr.と深夜ラジオ大好きです。

 ちょっと話は変わるんですが、このアルバムじゃ無いんですけど、タモリが後に小沢健二の歌詞について言った名言がこちらですね。

「あれはつまり生命の最大の肯定ですね。 そこまで俺、肯定できないんだよね。」

オザケン:東大卒、渋谷系の王子、二十歳そこそこで大成功。
タモリ :イグアナの真似、ハナモゲラ、赤塚不二夫と全裸で抱き合う。

 そりゃそうでしょ。こんな人生で肯定出来ないなら人間向いてない。モアイ像とかになった方がいい。つまり自己肯定感マックスまで振り切った人間のLIFEなんですよこのアルバムは。WANIMAとかナオト・インティライミに近い。光のオーラが凄い。ヴァンパイアに聴かせたら灰になるんじゃ無いか。

『いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて生きるのさ』
『ナーンにも見えない夜空仰向けで見てた そっと手をのばせば僕ら手を繋げたさ』
 (from 「愛し愛され生きるのさ」)

うわああアアアアア灰になるウウウウウ!!こんなもんに1ミリも共感できるわけねえだろ!ハゲ!死ね!

『けどそんな時はすぎて 大人になりずいぶん経つ』
 (from 「愛し愛され生きるのさ」)

……ん?

『ふてくされてばかりの10代をすぎ分別もついて歳をとり 夢から夢といつも醒めぬまま僕らは未来の世界へ駆けてく』
 (from 「愛し愛され生きるのさ」)

健二……お前……
ラブソングばかりで現在進行形ハッピーハッピーなタピオカTik Tokアルバムかと思ったら実際はそれを俯瞰していた……?いつから鏡花水月を使っていないと錯覚していた……?
 まぁ他の歌詞なんかを見ていくと現在進行形頭ハッピーセットな歌詞ももちろんあるんですけど、それで埋め尽くさないでこういう「隙」を見せてくるんですよ。そこに我々はまんまと騙されてしまうんですね。「合コンで親近感を持たれる究極のモテテクニック!」みたいなクソみたいな記事に書かれていることとやり口が一緒。
 あと普遍性に大きく関わってくるものとして時代性が挙げられるんですが、要するにその時代を象徴するような物を歌詞に使ってしまうと後の世で聴いた時結構キツイ時が多いと。「電話ボックスに忘れたカセットで」とか、「ファミコンやってディスコに行って」とか、もう令和の世に再生するとジュラシックパークかよ……こいつらウー博士かよって……若干スッと引いちゃう瞬間が出来ちゃうじゃないですか。このアルバムもまぁいかにもな90年代的空気感はパックされていて、固有名詞なんかも登場するわけです。で、特に印象的なラインがこれ。

『10年前の僕らは涙流して愛しのエリーなんて聴いてた』
 (from 「愛し愛され生きるのさ」)

 ズルいですよ。このアルバムが発表された昔も今も愛しのエリーは懐メロだったわけでそこで普遍性が損なわれることはない仕組みになってる。10年も20年も変わらんでしょ。これが「今の僕らはパラパラ踊りながらBOY MEETS GIRL聴いてる」とかいう歌詞だったら終わってた。
 その結果、今もなおメディアでヘビロテされ続け、新たな層がアクセスし続けているわけですよ。

 で、このような普遍性を持たせる仕組みを仕込まれた結果、あまりにも日常に溶け込みやすいアルバムになっているんですね。Lifeとはよく言ったもんですね。なので何か流しときたいな〜って時にかけとくには全然邪魔にならないんですよ。右から左に流れていく。じっくり聴かないことって決して悪いことじゃなくて、そうやって邪魔にならずに聴けることって結局長く聴かれ続ける理由の一つになりうるじゃ無いですか。すごい熱量を持った愛情のこもった名盤ってまぁ思い入れはあるんだけど再生される回数ってそうでもなくなると思うんですよね。何故なら聴くのに体力を要すから。
 なので、愛情や思い入れとは別の次元で、「なんかこれ、再生したくなるんだよな〜」と人の心にスッと入り込んでくる人たらし、ムロツヨシみたいなアルバムがこれです。ムロツヨシ万歳!ムロツヨシの大ファンです。

 あと最後に。こういう風に普遍性を持ったアルバムだとホントいろんな人に届くのでこのアルバムがもう心の底から好き好き大好き愛してるって言わなきゃ殺すな方々が読むと「全然違うだろボケ!チェーンソースターター一気に引くぞ!」と思われかねないので、ここまでの文章は全部私が言ってたんじゃなくてムロツヨシが言ってました。悪いのはムロツヨシです。いい加減にしろよムロ。


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