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社会的距離拡大と人々のストレスーー仮想空間で人類は幸せになれるか?

緊急事態宣言や自粛要請によって人々の間に距離が生まれ、急激な感染拡大のピークを抑えるための努力が各地で行われている。

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社会的な距離の拡大は、人との対面での接触機会を減らし、孤独と不安感を生んでいる。「孤独」を感じることそれ自体は、社会的な営みへとヒトを誘導する働きとして有効に作用するが、一定以上の孤独を感じると「」を生じる場合がある。

>参考:人間の生態に反している社会的距離拡大の厳しさ
「祖先の時代において一人になることはサーベルタイガーの昼食になることを意味した。」
https://www.washingtonpost.com/science/2020/03/17/coronavirus-social-distancing/ 

人々はこの状況を、オンラインでの関係性を保つことで対応している。オンラインでの話し合いの難しさというテーマは差し置いて、直接対面せずとも画面越しに接することで孤独感は解消されるのだろうか?という疑問が湧いてくる。

画面越しであろうと、人と対面しているという錯覚を脳に認識させることは可能だが、対面でのリアルタイムな呼吸、距離感、瞳孔の開きなど、多くの情報は抜け落ちてしまう。その違和感はじわじわと深層意識に到達し、不満感という影を落としていくのではないだろうか。

ヒトではなくモノが動く時代を想定したスマートシティ構想はコロナ以前から議論されていたが、実装していく過程を踏まずに強制的にその状況がつくられてしまった。

強制的ではあったものの、ヴァーチャル空間における人間関係について考えるきっかけを与えてくれた。身体的接触を極限まで少なくした世界で、人類は幸せに生きることができるのだろうか。

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今までのIT化はリアルの層にヴァーチャルの層を追加するという時代の変化だったのに対し、これからは仮想空間に現実世界を融合させることが重要になる。現在のヴァーチャルは、あらゆる分野で現実を超えた役割を持つが、未だ人間の感情を受け止められるほど完全ではない。

物理的な関係というリアルが無くなっていく中で、仮想空間に求められるのは現実を内包することではないか。そのためには人間の脳が何を現実と錯覚するかの理解が必要で、感情を切り離しては考えられない。

現在目の前にある孤独感は、今までもそうであったように、人々が気づかないようなスピードで技術的に解消されていくように思える。孤独を感じさせないような情報が絶え間なく供給され、無意識的にそれに依存するようになる。この点は現在のSNS社会と構造が全く同じだ。

人間の本能が生み出した「社会」や「技術」は人間の本能を抑え、コントロールするように "進化" した。哲学者の森岡正博によると、「人間は、みずからを家畜化することによって、文明を立ち上げた。」という。

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# 自己家畜化現象
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自己家畜化現象」とは、人類が野生生物とは異なり、自らつくる文化的な環境によって身体的にも特異な進化を遂げたことをいい、自己をあたかも家畜のごとく管理する動物であるとの認識から生まれた人類学上の概念です。 
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快適な生活を求めて作り上げた文明社会によって、生物としての耐性を衰弱させられていく人類…。ひとたび家畜となった動物は、自然に戻しても生きていけないことが多い。
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出典:尾本 恵市 (国際日本文化研究センター教授)

現在我々の生きる現実が自己家畜化の上に成り立つものであったとしたら?我々の感情は本物ではなかったのだろうか?いや、確かに人間はリアルな認識として現実を感じている。そう思えるならばこの世界は現実なのだ。

そのような視点に立つと、ヴァーチャルな世界の到来は人間にとって不自然なことではなくなる。人類が文明を作り上げてきたように、新たに生み出した自己家畜化された現実の中で、幸せを探すことは可能であるはずだ。


(寄稿 北岡直紀 twitter:@nanmowakara_n)

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