見出し画像

ステージホスト 木許裕介様インタビュー | 形式への叛逆とは

こんにちは。TEDxUTokyo実行委員会です。
いよいよ明日4月30日(日)に、東京大学本郷キャンパスにてTEDxUTokyo 2023 “どくどく” を開催いたします!
今回はイベントにてステージホストを務めてくださる、木許裕介様にインタビューをさせていただきました。

木許裕介様
(2022年夏、フランスの国際音楽祭にて)

木許 裕介(きもと ゆうすけ)様 プロフィール

指揮者、エル・システマジャパン音楽監督

指揮者であり文筆家であり研究者であり教育者であり、分類不能なアーティスト(Artiste inclassable)として評される異才。2018年、BMW国際指揮コンクール第1位優勝。以降、世界各地から指揮者として招聘され、グローバルな活動を展開。著書に『ヴィラ=ロボス -ブラジルの大地に歌わせるために-』など。東京大学大学院総合文化研究科修了、修士(学術)。
昨年6月に開催したイベント、TEDxUTokyo 2022 “Patchwork” ではスピーカーとしてご登壇いただいた。(昨年のトーク動画はこちら)

ステージホストとは

イベントにおける司会のような役割。スピーカーの方によるプレゼンテーションの後、スピーカーの方と、質疑応答などの掛け合いを行う。
様々なバックグラウンドをもつステージホストの方をお呼びすることで、スピーカーの語るアイデアの新たな一面が照らされるような対話を実現する目的を持つ。


昨年の振り返り

ー木許さんには弊団体が昨年6月に実施したイベント、TEDxUTokyo 2022 “Patchwork” にご登壇いただきました。そのときのトークの反響等はいかがでしたか。

ブログにも書きましたが、「Resonance 共振/共震」ということをめぐって、かなりパフォーマティブなトークをしました。それは、音をまったく使わず指揮することが出来るかという賭けでした。そして、話していること自体、つまりレゾナンスをその場に生むことが出来るかという挑戦でもありました。ありがたいことに、トークのあとに「痺れた」という声を沢山頂きましたし、あれから一年経った今でも、あの時の空気感が忘れられないと言って下さる方に出会えるのが嬉しいですね。こうして皆さんからステージホストとして再びお声がけ頂いたのも、皆さんとある種の共振が起こったゆえかと思います。

ー「共振」がタイトルでしたが、最後に述べられた「君でなければならないのか」というメッセージが昨年のトークの大きな要素だった、むしろそのためにあのトークがあるといっても過言ではないのかなと感じたのですが、そういったことは普段の指揮者としての活動の中で考えられているのですか。

常に考えています。というより、「君でなければならないのか」に応えられなければ指揮者ではいられない。指揮者って毎日新しい人たちの中に飛び込まなきゃいけないんですよね。明日は大学のオーケストラ、明日はプロのオーケストラ、といったように。
その都度50人、100人の新しい人の中に飛び込んで、1人でその前に立って仕切る。しかも扱う作品のほとんどは過去に何万回と演奏されてきた作品です。相手がプロならば、指揮者なんていなくても演奏することは出来てしまう。だから「君でなければならないのか」に応えられないようでは、わざわざ来てそこに立つ意味がない。「君でなければならないのか」に応えられることは、指揮者として在るための前提条件だと言ってもいい。

ブラームス「交響曲第I番」リハーサルの様子。
2023年3月に福島県相馬市で開かれたエルシステマの音楽祭にて。

これは指揮するだけでなく、全てにおいてそうだと思っています。たとえばトークにおいてもそう。TEDは翻訳の関係もあって、事前にスピーチ原稿を作りますよね。でも、それをそのまま暗記して読むことはしたくないと思った。なぜなら、原稿として練り上げて文字に固定した段階で、それを語ることは今ステージに立つ自分でなくてもできるから。

つまり、「君でなければならないのか」を語るのに、過去に書いた自分の原稿を読んでいては、それは「(今の)君でなければならないのか」という、自分の問いかけが自分に反射して返ってくることになる。文字として固定した瞬間から、そこから脱するように在らねば自己矛盾する。だから、原稿を活かしながらも、その場で降りてくるものを捕まえて話したかった。共振/共震を語りながら、オーディエンスに生じたさざなみに反応するように言葉を紡いでみたかった。それがオンラインではなくリアルの場を拓く意味であり、膨大な苦労を重ねてわざわざリアルの場を作り上げたみなさんへのレスペクトになると思った。

演奏もまったく一緒です。再現ではなくて生成するんです。入念な準備の先に未知がある。自分の外側、つまり他者や、自分でも辿り着いたことのない自分と共振することに一期一会の愉しみがあるのです。

トークに置き換えれば、それは自分でも知らないことを話すということです。これは東大大学院時代の師匠の小林康夫先生(哲学者。専門は現代哲学、表象文化論)が常々おっしゃることでした。小林先生は、自分は授業で自分の知らないことを喋っている、と言っていました。たとえばこの哲学者について自分が知っていることはあの本に書いた、だからそのことについて知りたければその本を買って勝手に読んだら良い。授業という、時空を共にする場では、君たちを前にしてしか言えないことを喋らなければ意味がない、と。

だから、先生の大学院ゼミ(「道場」とおっしゃっていました)では、ちょっと調べたら分かることをパワーポイントにして纏めたりしようもんならめちゃくちゃ怒られましたね。「そんなことはいいから、この一枚の絵が君にとって何であるのか言ってみろ!」と。その手つきは今でも大切にしています。

TEDxUTokyo 2022 “Patchwork”での様子。


形式への叛逆

ー例に出されていたように、たとえば大学の授業であれば教師と生徒の相互のやりとりがあると思うのですが、TEDでは会場が暗い分、観客の表情などの反応が分かりにくいかと思います。そんな中で観客からのフィードバックを取り入れることなどはされていたのでしょうか。

むしろ、それをキャッチして話そうと思っていました。暗いかもしれませんが、客席の気配は激しく感じられるものですよ。私がTEDという形式に対して持っていたある種の違和感にもつながるのですが、皆さん立て板に水のごとく流暢に喋っていて、ちょっと圧倒される(笑) めちゃくちゃ限られた時間の中で話さなければいけないので、情報密度を増やすためにそうせざるを得ないことも十分に分かる。私も講演とか講義とかする時は結構バーっと喋ることもあるのですが、今回TEDで自分がそれをするのは、何か違うなと直感的に思った。

なぜか。考えてみると、それは今回自分が、共振という言葉を通じて、指揮とは何であるかを語ろうとしたからです。指揮はGiveの行為ではなく、オーケストラとの超高速Give&Catchラリーといってもいい。こちらが出したインフォメーションに対して、オーケストラという生身の人間の集まりから音で応答が成される。それを聞いて、また打ち返す。この「聞く」ということがとても大事。こうした応答を捨てたら、それは指揮ではない。指揮について話すのであれば、指揮するように、つまり指揮に大事な要素が顕在化するようなやり方で話さねば、内容と矛盾すると思ったのです。

だから、ステージでは、そこで降りてくるものを捕まえて喋って、それがオーディエンスにどう響いているかを観察して、その振動を受け止めながら次の言葉を紡ぐ、ということをしたいと思ったんです。制限時間内でこれをやるのは至難でしたし、流暢に喋ったほうが後から動画映えもすると思うのですが、そんなことはどうでもよかった。リアルで開催するということを大事にして、その一回性に賭け、ときに詰まりながら話すということを敢えてしてみたかった。

ーたしかに、トークはすべてアドリブで話されていましたよね。

ある程度は原稿の内容に添っていたと思いますが、本番ステージに身を置いてみて決めたことは多かったですね。たとえば、指揮棒を投げ捨てるとか(笑) なぜかそうしたくなる、という直感的なものをしっかりキャッチして反映させたかった。トーク内容を事前に一緒に練ってくれた学生スタッフさんたちが私の考えを本当に良く共有してくれていて、この人たちとなら、急遽アドリブっぽく切り替えても大丈夫だろうという確信が持てたことも大きかったですね。アドリブは、信頼関係がないと出来ないことですから。

ー以前から不思議に思っていたのですが、TEDトークには先ほど仰っていた話でいうパワーポイント的な側面があって、既にスピーカーの方がご存知のことを分かりやすさに終始して伝えているように感じています。さきほどの「観客からのフィードバック」という質問で応えて頂いたこととも重なるかもしれませんが、知らないことを話す、とは対極にありそうなTED、TEDxという場において、木許さんは「共振」「君でなければならないのか」をどうやって体現されていたのでしょうか。

サイレンス(静寂)かな。人間が1つの場所に、オンラインではなくリアルで集っているときに、一番強烈にエネルギーをかけている瞬間って、サイレンスではないでしょうか。何百人もの人が1つの場に集まって静寂を作り出すって、実はとんでもないことなんですよ。そこにはものすごいパワーと集中がある。良く知られたように、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」は休符から始まることによって、あのエネルギーと緊張感を生み出している。あるいはマーラーの第9番交響曲という長い旅の最後に訪れる永遠のような静寂....。

人が集い、静寂を共有することがどれほど奇跡的なことか。それを示したいという気持ちがありましたね。それは、コロナ禍を経て、私たち音楽家が肌身で改めて発見したことでもありました。


指揮者の日常。孤独に、ひたすら楽譜と向き合う。

そして、さっき話したみたいに、「指揮とは何か」、つまり「指揮の哲学」とでも言うべきものが立ち現れるようにするために、再現ではなく生成的なトークになるように心がけた。結果として、TEDという形式に対してある種の叛逆となるような、訥々と喋るスタイルで、かつアドリブという手法を取った。「形式に叛逆する」ということは「君でなければならないのか」を生むために重要なことかもしれませんね。

ー形式に叛逆してみよう、とお考えになったきっかけなどはあるのでしょうか。

いつもそんなふうに生きているからかもしれません(笑) 。与えられたものにただひれ伏すのではなく、一から自分で考えてみたい。一方で、形式に叛逆するためには、形式を深く理解していないと出来ない。徹底的にリサーチしないと叛逆は出来ない。その意味で、形式への叛逆は、その形式や場自体への最高のレスペクトでもあると思っています。TEDで最もTEDらしくない講演をすることによって、逆説的に最もTEDらしくなる、ということができたら楽しいな、と...。


「どくどく」について

ー今回ステージホストを務めていただくイベントのテーマが「どくどく」なのですが、私たちは、トークにおける「どくどく」は3段階に分けられると考えています。

  • 1つ目は、人間のモチベーションを素直に言語化している段階

  • 2つ目は、1つ目が実は社会的な評価軸による産物だと指摘する段階

  • 3つ目は、社会的な評価軸にプラスした自分らしさが加わる段階

です。
木許さんの仰っている「君でなければならないのか」はこの3つ目にあたるのではないかと考えているのですが、じゃあこのとき、果たしてオーディエンスは何をすべきなのかが分からなくなっていて、でもその分からなささを提示することによって届けられるものがあるのではないかと思っています。

分からなさは、分からなさのままだからいいんじゃないですか?それを自分のものにしていく過程こそが学びだと思う。その場で分かることと、その場では分からず、後からじわじわと遅れて分かってくることの両方があっていいんじゃないでしょうか。

後者、つまり、その場では分からなかったことが後から自分なりに分かってくるという動きは、「君でなければならないのか」ということと極めて繋がっていますね。いつそれが分かるのか、どうやって分かるのかは、全くもって人それぞれであるという点において。

インタビューの様子。
木許さん(左)とTEDxUTokyo運営メンバー。

ー指揮者の場合ですと、これまでの音楽の歴史性や文脈性と、木許さんの人生がぶつかるところで「君でなければならないのか」が可能になるのかなと思うのですが、TEDトークの場合、その歴史性や文脈性の部分はどうなっているのでしょうか。

指揮者は「君でなければならないのか」に応えられることが大前提、という話をしましたが、これって別に指揮者に限った話ではないんですよ。たとえばTEDのスピーカーの方々は、「君でなければならない」ということに多かれ少なかれ応えている方ばかりのはずです。あえて言葉を用いて焦点化しましたが、「君でなければならないのか」という問いは、TEDというものが持っている精神の一つでもある。そもそもはInnovativeなIdeaを話す場ですからね。

TEDトークに出るスピーカーのことではなく、TEDトークあるいはTEDxUTokyoというもの自体が、これまでのTEDトークの歴史や文脈のなかでどのように革新的で在ることが出来るのか、という質問だとすれば、それは結構難しいですね。でも、単に社会的な評価軸に添ったものだけを取り上げるのではなく、疑いを持つことや思考すること自体を問うような内容にも視野を広げているのはとても素敵ですね。その意味では、今回の「どくどく」の構成は、型を踏まえつつもどこかで外れて自分の道を作っていく、という、守破離のようなニュアンスを内包していると思います。

ー実はテーマを「守破離」にしようかも悩みました。

どうして守破離ではなく「どくどく」になったのか。「どくどく」にしようとしたのか。これを徹底的に考える必要がある。君たちはもしかしたら論理的に「どくどく」を導き出したのかもしれませんが、その過程で、あるいはその結果として、「どくどく」をめぐって無意識に生まれているものが必ずあるはずです。そこを見つめてほしい。

私の直感的なことを放り投げておくと、「どくどく」というテーマを目にした瞬間、次なる単語として閃いたのは「加速」です。心拍数がどんどん上がっていく感じ、それから血液がどくどくどくどくと回っていく感じ、そしてどこかで血が流れ出す感じ。そういった加速と、母体から飛び出すような力感が「どくどく」にはあると思います。そうした力が充満する一日になると良いですね。

ー最後に、TEDxUTokyoのステージホストとしての意気込みをいただければと思います。

誰よりもどくどくして臨みたいですね。

改めまして木許様、ありがとうございました!


おかげさまでイベントのチケットは完売致しました!
明日皆様に4月30日(日) TEDxUTokyo 2023 “どくどく”でお会いできますことを心より楽しみにしております!

2023年 4月29日 鷲川紗弥

───────────────────
TEDxUTokyo 2023
twitter: https://twitter.com/TEDxUTokyo
facebook: https://www.facebook.com/tedxutokyo/
instagram: https://www.instagram.com/tedxutokyo/
公式HP: https://tedxutokyo-official.studio.site/page
─────────────────── 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?