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「見捨てる」が苦しい私に | Passions Worth Spreading vol.13

こんにちは!東大2年の山田望(やまだのぞみ)です。はじめましての方も、はじめましてでない方もはじめまして、はじめまして。

私は、TEDxUTokyo実行委員会という団体で副代表をしています。「東大でTED」以上の情報をお持ちでない方はこちらのイベント振り返りnoteを、中に他にはどんな人がいるのか疑問の方はこちらの前代表のnoteもあわせてご覧ください。


価値観に縛られていたあの頃

わたしは、大学に入る前は受験産業どっぷり人間でした。自分の認められるところが、ペーパーテストで点数が取れるところしかなかったので(悲しいですねシクシク)、点数が取れれば取れるほど、それが人間として素晴らしいんだと、そう思っていました。自分の友達や自分の価値を数直線上の点数で判断していました。

あるとき、テストの点数が良かったとき、友達に「えっすごい!仲良くなろ〜」と言われました。

そのとき、「仲良いと思ってたの私だけなんだ」というちいさな胸の痛みとともに、何か悲しい気がしました。仲良くなろうと思ってくれている、「良く」判断されていること自体はすごく嬉しいことではあるんだけど、それ以外の自分の要素が切り捨てられた気がしたのです。いっときのテストの点数がいいだけで、私は極悪人かもしれないわけで。逆もまた然りで、私はその点数よりも素敵な人かもしれません。自分も同じような思考をしていたのに、自分の要素が捨てられそうになった途端に、私にはもっといいとこあるよ!!点数だけで測れないところ、あるよ!と言いたくなるのです。

何かを判断するためには、目的を定めて軸を決めなくてはいけません。例えば、紙を買おうと思っても、家計簿にするのか、書道パフォーマンスに使うのか、目的が定められなければ、何が「いい」かなんて決められません。でも、それでは「人」を判断するにはいささか強引すぎます。軸を定めると特定の軸では評価できない人の部分を、見捨てることになります。簡単に判断するということは、簡単に人を切り捨てるということなのです。

ある軸以外の自分の要素が見捨てられることが悲しいのはもちろん、私にとって大切なひとも、「簡単な判断」を選んだ誰かに、いつか切り捨てられてしまうと思ったら、苦しくなります。そして、自分もまたそうした簡単に切り捨てる行為をしてきたのだと思うと、罪悪感を感じずにはいられません。

なんだか素敵なTEDxUTokyo

それでも誰かを見捨ててしまう今

丸の内の皇居に繋がる通りが好きです。ブランド品を売る店が落ち着いた様相で並んでいて、街路樹がちょうどいいぐらいの感覚で植えられていて、綺麗に都市計画された街で、すごく居心地がいいと感じます。歩いている人も落ち着いていて、せかせかしてなくて、本当かは置いといて「愛と慈悲にあふれてます〜」って顔して歩いてる気さえもします。この街の一角にテントを置いて住みたいとすら思ってしまいます。

でも同時に、あることに気づきます。本来世の中全般にはさまざまな人たちがいるはずです。街にはいろんな建物があってもいいはずです。それが世の中というものです。しかし、見回してみたら他にはあるような人や建物がありません。仮に、私が本当にテントを置いて住み始めたとしたら、「美しい街」のために、たちまち追い出されることでしょう。(シクシク)

私が見捨ててしまった人たちを、見捨ててできた街を私は居心地がいいと感じてしまう。あんなに誰かを捨象してしまうことを、自分が見捨てられることを、嫌に思っていたのに、「居心地」という感覚的な部分で今もなお、見捨ててしまっているということに気づいて苦しくなります。

苦しさを見続けて諦めない

ちょっと苦しい私は、大学1年生の4月にTEDxUTokyo実行委員会に入会して活動しています。学部人生の半分以上をTEDxで過ごすことになりますが、ここまで継続的に愛着を持てているのは、順張りで逆張りで順張りな、この団体で活動することが私にとって救いとなっているからなんだと思います。TEDxUTokyoは、正解は決めようがないことに自覚的で、だからこそ個人を大事にすることができるイベントでコミュニティだからです。

TEDxUTokyoは大学とTEDがコラボして、TED本部とは独立して開催されるイベントのひとつです。人が大学に行く意味は種々あります。専門性を高めたい、経歴がほしい、モラトリアムを長くしたいなどなど。一方で、大学側の使命ははっきり定めなくてはいけません。使命(存在意義)がぼんやりとしていたら、大学当局側に属するものも、存在意義から下ろして考えてできる授業の中身もどう決定していけばいいのかわからなくなるはずです。

私は、その使命を、「知という人類財産に報いること」だと思っています。大学含め私たち個人も「知」の恩恵を受けてきました。研究活動を通して知を増強することはもちろん、大学に関わるひとたちの集合知がこの財産に磨きをかけることで、恩に報いるのです。

私が通う東京大学はキャッチコピーとして「志ある卓越」をうたっています。場所/時代/立場/分野を越えて、あらゆる価値観から世界の知を磨こうとしています。その世界的な「知」は、どんな価値観の恣意性でも超えるからこそ、普遍性を有していると感じています。

一方、TEDxUTokyo実行委員会は 
あらゆるアイディアをあらゆる角度で届ける 
ことを団体のMission(我々が果たす使命)として掲げています。TEDxUTokyo実行委員会は、評価軸はないことに、そして正解がないことに自覚的だからこそあらゆるアイディアの受容体になりえます。その多様性は一見、大学の使命の先にある普遍性とは遠いように思えるかもしれません。あらゆる価値観や声たちを、あらゆる角度の中でもみくちゃにすると、時代/場所によらない普遍性を見つけられるのかもしれない。私はそんな風に思います。

私は、これまで特定の軸で人を判断してしまうことを苦しく思ってきました。きっとこれからも苦しい気持ちを感じ続けることでしょう。このMissionに奉仕し、評価軸がないことに自覚的になることが、私の苦しさを、誰もが抱えうる苦しさを、解消してくれると思います。

TEDxUTokyo2024はまだ始まったばかりです。私たちが作ったイベントに参加してみたいという方は11月にあるサロンイベントにぜひいらしてください。そして、私たちと一緒に活動したいという方は、ぜひ秋新歓にご参加ください!!みなさんとお会いできることを心待ちにしています!

2023年9月11日 山田望

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TEDxUTokyo 2024
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