フリムンシスターズでげらげら笑ったあと、いろいろ考えたこと
松尾スズキさん作・演出の舞台『フリムンシスターズ』を観た。おんもしろかった。3時間半あって話がものすごく緻密でいろんな人の背景が描かれて交わって、そんな構成の話より何よりひとつひとつの台詞がいちいち面白くてげらげら笑ってた。
「酔いたぁい。」から始まる夢みたいな1幕。「照明も音楽も、だいぶ、いい!鳥貴族にこんな照明ある!?サイゼリヤでこんな音楽かかる!?」といきなり外側から物を言うオカマと、付き人らしき男性。どうやらこの二人が物語の語り手らしい。そして登場人物たちは舞台の外にある現実も認識していて、ときどきこちら側っぽい発言をすることで笑いを誘う。そんな前提、この舞台の楽しみ方をわたしたちはなんとな〜く理解して、彼らの不思議な佇まいを受け入れる。
語り手がいる舞台はよくある。主人公の声や、読み聞かせのような大人の声。でもノブナガは語り手にしてはどきつすぎる風貌とユーモアで私たちの第一印象をかっさらっていったし、二人のいる世界が物語の終着点だったこともしてやられたすぎて震えた。
そして始まる中身の話。
たまきちひろの独特な訛りと、船を漕ぐ謎の2人、意味がわからないバスタオルおじさん。冷蔵庫には拳銃。
生活感のありすぎる舞台の上に、生々しさとフィクションが入り混じり、不協和なコーラスも相まって、この女、何者?と不気味ささえただよう。圧倒的大女優長澤まさみだったのが救い。
死んだように働くちひろを「コンビニ幽霊さん」と名付け慕うジョージも、かなり不気味である。首吊りしすぎて皮が分厚くなったんです!と嬉しそうに喚く栗原類が、もう根っからのそういう人にしか見えなくてドン引いた。
妹の夢を奪い精神を病んだかつての大女優みつ子と、愛する男に裏切られ自分を偽り金をたかるオカマのヒデヨシ。
こう書くと、かなり暗ーくて陰鬱な登場人物ばかりに思えてしまうが、実際のところ観た時間の7割は大爆笑していた気がする。ほど良いタイミングでぶっぱなされるヒデヨシのメタ台詞も。ちひろの破天荒かつ物怖じしないどストレートさも。店長の奥さんの、クオリティ低い桃井香織も。物語のあちこちにボケとツッコミが散らばってて、漫画読んでるみたいだった。
オカマへの偏見、身内の殺人、米軍と先祖、じっとり重めな今っぽいテーマが根っこにはあるんだけど、それを面白くわかりやすくポジティブに叫ぶ喜劇。だれの目も気にせず無神経に笑わせ笑える場所は、もう舞台くらいしかないんじゃないか。
責任というものをとってみたいんです
たまきちひろは、魂の中に芯がないから店長の言いなりだし奴隷みたいに働いている。癇癪も起こさず奥さんのいびりも受け流す。底辺生活の普通を生きる、31歳の女。
そんな彼女を変えたのは、みつ子・ヒデヨシとの出会い。気のふれた、フリムンなシスターズの出会い。ちひろは、たべっこどうぶつチョコビスケットをみつ子に万引きさせてしまったが故に、「責任を取る」喜びを知る。生きる目的のなかった彼女に守りたいものができた、印象的なシーンだった。基本的に誰も責任なんて取りたくない世の中だけど、自分が責任を取る必要のない世界って、要は自分がいなくても成立する世界。背負うものがないのは楽だけど、「あなたに任せます」って言葉はやっぱり原動力になる。と言いつつ、なんでもかんでも任せられたらたまったもんじゃなくて、そのバランスをとるのにみんな苦労している気がする、自分含め。
「「ヘラヘラ笑いながら、自由を差し出すのは、うんざりだ!」」
そこで改めて思い起こされる、終盤に彼らが叫ぶこのフレーズ。ちひろが夢の中で唱え、ヒデヨシが拳を突き上げ繰り返した台詞。
お金をもらってるから、食わせてもらってるから、そんなニンジンをぶら下げ諦め走り続ける愚かさ。といいつつも怠けものな私には拳を突き上げるだけのモチベーションがなく、「まあそんなもんよ」を繰り返すしかないのだ。だからこうして私より、闇も不安も傷も深い彼らが天真爛漫に歌って踊るラストシーンには晴れ晴れとしたし、なんかどうでもいいや!ハッピーに生きたい!という気持ちで終わる舞台は喜劇として最高。でも撒き散らされた毒は今も残る。繰り返される「後ろからズドン」、がちの首吊りシルエット、米軍と寝る全裸女、目を背けていた現実は生々しい残像として今もちらつく。ああ原体験がお幸せすぎる自分には到底描けない。描いたところでうすーいあさーい社会風刺風になること間違いなし。でも考えるのはタダだし自由だからね、誰かの目を気にしてヘラヘラ中途半端なもの作るより、自分の目的を全うすることに自由を使いきるぞと改めて思った。
大阪まで行って2回目観たい気持ち。DVD販売もしくはアーカイブ配信を切に願います。
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