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グレーに生きる


白黒ハッキリする、と言う。

あいだの色はグレーで、はっきりしなかったり曖昧な事柄についていう時、この色を使ったりする。時には悪事に限りなく近いけど、証拠がなかったり暗黙の了解で許されていたりすることをグレーゾーンと言ったり。

なんとなくもやっとするカラーです。

ただ、生きていくのに、グレーにしておく、ていうのもひとつの手な気がする。

白黒はっきりさせないといけないことって沢山あって、生活していくのって毎日毎時何かしらの選択をしてる訳じゃないですか。

やっぱり全部が全部はっきりさせていくのは疲れるし、たまにはグレーのままにしておくのも良い。

例えば、なんとなく気に触る棘のあることを言われて、あの人は嫌な人だから一生関わらずに生きていこう、て方法もあるんだけど、まあそれは置いといてとりあえずムカつかない距離感まで離れてみる。

(人って距離感が近くなればなるほど嫌なとこ見えてくるし。)

そういうのも柔軟性があっていいと思うんです。

逆も然りで、好きな人には身も心も捧げないといけないのか。

むしろ好きな人ってはっきり言える?別にそう言えなくても心地良い距離感でお互い居られる曖昧な関係性だって別に良いし、それはそれでエモいし。

肩の力を抜いて、ひらりと面倒ごとを躱して、つまり適当に、生きるのもいいんじゃないかって。

グレーに。

こんな時思うのは、昔気に入って買って、でも着てみるとなんとなくしっくりこなくてクローゼットに仕舞いっぱなしの服のこと。

そういうのってある時ふと思い立って着てみると、ぴったり馴染んで、よく似合ってびっくりするときがある。

だんだん人って変わるし、年齢とか趣味趣向とか気分とかそういうのが堆積して、似合う服の守備範囲が広がったりするんですよね。

アクが強くて着られなかった服なんかも、歳を重ねると自分にもアクがでてくるし(笑)、上手く従えられるようになる。

グレーにしておくって、そういう間みたいな感じもする。

時間が人を成熟させるし、上手に噛み砕けるようになるまで、グレーゾーンに大事に仕舞っておく。

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