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服を選ぶ訓練ができてない日常

「センスがない」ことが昔からコンプレックスだ。

小学校低学年の頃は、姉のおさがりや、母が用意してくれたものを着ていた。

高学年になると、一部の女子がファッションを意識しだした。
私のときはナルミヤが流行っていて、エンジェルブルー辺りのブランドを着出す女子と、スポーツ一直線でカッコいいジャージを着る女子が目立った。

私は小学生の頃、少年漫画の見過ぎだったのか、ぼんやりと「男になりたいな〜」と思っていて、男の子っぽいファッションが好きだった。
スカート・ワンピース大好きな今の自分からは信じられないのだが、小学校の6年間で、一度もスカートを穿いたことがなかった。
(そういえば親にスカートを穿かされたこともなかったようだ)

歳の離れた従姉妹が偶然ナルミヤの関連会社に勤めていたので、たびたび服をもらっていた。
それを学校に着ていくと、お洒落な女子から「さりーの服いいなー!」と声をかけられ、少し誇らしかった。

でも、お洒落だから着ているとか、好きだから着ているとかではなくて、ただそこにあるから着ていただけだった。
唯一誇らしげに着れる服だった。

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中学生になると、制服になった。
うちの学校は中高一貫校だったが、中高も基本は変わらず女子はブレザーで、中学生はリボン、高校生はネクタイだった。(男子は学ラン)

秋冬に着るセーターも、カバンも、学校指定のものを選ぶ必要があった。
さらに私の部活はその中でも規則が厳しく、制服を崩して着てはいけなかった。

お洒落な子たちは、スカートを短くし、ブレザーのボタンを外して着崩し、カバンにディズニー等のマスコットを付け、個性を出していた。

思えば私は、こうしたいという意思がなかった。
ただ、お洒落でない自分が恥ずかしかったから「校則・規則通りに着なくてはいけない」という縛りがあることに、心底安心していた。
「好きにしていいよ」と言われることが、とても怖かった。

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私には3つ上の姉がいる。
姉は服が好きで、服飾系の専門学校に通っていた。

人間関係を築くのがあまり得意ではない姉で、私のことを羨ましいと言ってくれたことがたびたびあるが、いつも自分の好きなものを選び、それを愛し続けていられるところが、私には昔から羨ましかった。

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大学生になると、服装も持ち物も何もかも自由になった。
入学早々の4月、真っ白いトレンチコートを着て行ったことがあった。
あれは今思い出してもダサかった。

大学ではいつも女子4人組で行動していた。
その内の1人がとてもお洒落で可愛らしく、男子からも人気だった。
あまりバンバン話すタイプではなかったが、好きなものや好きな世界がはっきりしている子だった。
お兄さんが美容師をやっているらしく、そういうところもお洒落だなぁと思っていた。

始めの頃は、服屋に入ることすら怖かった。
何を選べばいいのか、何と合わせるべきなのか分からなくて、店員さんも周りにいるお客さんもなぜだか怖く見えた。

しかし、だんだん回数を重ねると服屋に入ること自体慣れてきた。
他の子の服や雑誌を見るようになり、こういうのが着たいなぁという思いも徐々に湧いてきて、買い物に行くことが楽しくなった。

社会人になり入った会社は、割と服装規定が緩い方だった。
それでも仕事に行くのだからと、なるべくオフィスカジュアルっぽい服装を選ぶよう努めた。

だが、会社用にキレイメな服装を、休日用にカジュアルな服装を別々で買うのは面倒だった。
始めのうちは休日もキレイメな服装を着るようにしていたが、だんだん会社にも慣れてきて、カジュアルな服装で会社に行くようになっていった。

会社の同期で、人生でこんなに仲良くなれる人が大人になってからもいるのか、と思えるような、親友との出会いがあった。
この子もまたお洒落な人だった。

彼女が一人暮らしの時に住んでいた部屋は、所狭しと物が並べられていて、一見ごちゃごちゃしているのだが、すべて彼女の好きな物で溢れていた。
私の部屋はいつも殺風景で、何か物を集めたい願望もなかったので、彼女のこともまた羨ましく感じていた。

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コンプレックスがあると、周りが本当はどう思っていようが、無駄に人の目が気になる。
たとえば太っていると「私のことをデブだと思ってるだろうな…」と被害妄想してしまうように、「私のことダサいと思ってるだろうな…」と勝手に考えてしまうのだ。

そんなに気になるのなら、調べて経験して学んだらいいじゃないか、と思うのだが、さらに厄介なのは、失敗も怖いのだ。
結局、自分で選んで成功も失敗も経験する、ということをなるべく避けてきてしまった。
だから、自分の意思で何かを決めることがとてつもなく怖いのだ。

そんな性格も相まって、かなり時間は要してしまったが、幸いお洒落な友人が周りにいたこともあり、昔よりはいくらかマシな服装になったかな、と思える程度にはなっていった。(と思う)

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だが、ここ1〜2年でまた危機が訪れている。
コロナ禍で「服を買う必要がなくなってしまった」のだ。

始めの頃は軽く考えていて、落ち着いたら服買いに行こ〜と思っていたが、全く落ち着かない状況になった今、もはや買い物に行かないことが普通になってしまった。
実際、外に出かける機会を必要最低限にしているし、手元にある服で全シーズンが賄えるので、まぁそこまで問題じゃないか、と思っていた。

だが。
先日久々にショッピングモールに行く機会があり、ウインドウショッピングをした。

その時に気が付いてしまった。

「服が選べなくなっている!!」と………。

さすがに服屋に入ることが怖い、とは思わないのだけど、昔の自分に戻ってしまったように「とりあえず手当たり次第に服を見てみるけど、何が正解か分からない、何もビビッとこない」状態になっていたのだ。

元々好きなお店も数軒あり、それ以外も何軒か回ってみたが、まったくビビッとこずに終わってしまった。

服は、生きていく上で不要不急ではないかもしれない。
もちろん素っ裸でいいわけないが、ある程度の見栄えを気にして、シーズンにあった服が何着かあれば、ボロボロにならない限り、追加は不要とも言える。
だからこそ、私の直属のお客さんたちはアパレル業界で、大打撃を受けているのだ。

しかし、私個人で考えた時に、これはあまりにも衝撃的な状況だった。
そして気づいた。
「服を選ぶということも、訓練を重ねていく必要があったんだ」と。
コロナが終われば買い物だー!と安直に考えていた私にとって、強烈な危機感しか持てなかった。

***

相変わらずセンスがないなぁと感じることは日々ある。
服以外にも、メイクや、インテリア等。

センスがない!センスを持ちたい!
と常々ずーーーっと思ってきたが、
やはりそれには訓練が必要なようだ。

まずはWEARやInstagramでいろいろな人の服を見て、自分の好きな服ってどんなだっけ?というところを思い出し、失敗しつつ、センスを磨くために日々「自分で選ぶ」訓練をしていこうと思う。

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