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遠くの親戚より近くの他人とはよく言ったものですが

私には自分が20数年住んできた家とは別に、いわゆる"おばあちゃんち"が2つある。
1つは父方、1つは母方。
お互いご近所で、車で回れるくらいの距離だ。

父と母は当時にしては晩婚で、近所の紹介という、半ばお見合いのような形で結婚したと聞いている。
どちらも、これこそ田舎というべき、旧い大きな柱が埋め込まれた平家に住んでいた。そこが私の"おばあちゃんち"だ。夏は網戸で風がよく通り虫が多く、冬は死ぬほど寒くて顔が凍りそうだった。

父の方は、父の兄=叔父夫婦がまだその家に住んでおり、母の方もやっぱり母の兄=叔父夫婦が住んでいるのだが、リフォームしてすっかり綺麗に改築されており、もはや当時の面影はない。

父方の祖父は私が生まれる前に、父方の祖母と母方の祖父は私が小さい頃に、そして3年ほど前に、母方の祖母が亡くなった。

母方の祖母は私が唯一きちんと記憶のある「おばあちゃん」で、90を超えての大往生だった。ご近所にも愛された、朗らかで料理上手で気の利く女性だった。おばあちゃんのナス味噌炒めとおはぎが大好きだった。

毎年、盆暮れ正月に母方の親戚一同で集まる習慣があった。他の親戚たちは近所から来るのだが、私たち家族だけ遠くから向かうため、毎回小旅行の気分だった。夏休み、冬休みの一つの家族イベントに指定されていた。

おばあちゃんが亡くなってから集まりがなくなり、それに伴って遠方の私たちは、あまり親戚と顔を合わせなくなってしまった。両親の気持ちも尊重した結果だった。なんというか、もう実の両親がいない遠くの場所へわざわざ顔を出すのは、母も気が引けるところがあったのだと思う。祖母の初盆や他の行事で両親だけが出向くことはあったようだが、すでに実家を出た私にわざわざ声が掛かる事はなかった。

そんなこんなで実に3年半近く、私単体では親戚に誰にも会うことなく時が経過していたのだ。

今年の7月。
突然の焦燥感に駆られ、「おばあちゃんち行こう」と母にLINEをした。

しばらくお墓参りをしていない
このままでは、親戚づきあいの輪から外れる

そういうのが、なんとなく怖かったのだと思う。
私の一言で、今年の夏は祖父母の家へ家族で墓参りに行くことになった。私が声を掛けなかったら今年も家族では行かなかっただろうと、母が小さく呟いていたのが聞こえた。

実質半日で、父方の叔父夫婦2組、母方の叔父・叔母夫婦3組、従兄弟1人とその子供たち2人、母方の祖母の妹(なんと合計14人!)に会い、それぞれの墓参りを済ませた。

叔父や叔母は、もう70代だらけだ。
会う前は、みんなどんなに老化してしまっただろうと心配していたが、杞憂だった。
今回会って思い出したのだが、ものすごくパワフルな人ばかりなのだ。未だに仕事を続けてる人も多いし、よく孫たちの相手もしている。物忘れも増えてきたみたいだが、まだまだ頭も体もしっかりしている。母の兄に至っては「恋人岬という名所もあるんだ。行ってきたらどうだ?」といらぬお節介すら挟んでくるほどだ。

従兄弟はほとんど私の10個上ばかりで、人生の先輩ではあるのだが、みんな気さくで優しい。よく喋る。自分の好きな世界がある。
昔は遊んでくれるお兄さんお姉さんという存在だったが、今では私も同じ社会人だ。対等に話せる内容も増えた。それが嬉しかった。

自分はなんだか大人の仲間入りを果たしたのだと、親戚の人と会うたびに思った。
挨拶の仕方とか、自分から声を掛けられるようになったりとか、互いに仕事の話をしたりとか。社会人としてやってきたことの自信がそうさせたのかもしれない。

あと甥が小6で160cmあったりとか、Switchの使いこなし方が半端なかったりとか、姪が11歳でアイカツにハマっていたりとか。もうおばあちゃんの家でいっしょに隠れんぼしたり、電車のおもちゃで遊んだりすることはとっくになくなっていた。

今までなんとなく見てきたものを改めて認識する機会も多かった。山や地域の名前を知ったり、両親の通学路を知ったり、老舗のお菓子屋さんの社長が父と同級生だったことを知ったり。

それは単に時代が移り変わったというだけではなくて、自分の中の「見え方」も変わったのだと思う。

そして、変わらない風景もそこにはあった。

街並み、古い平屋、牛小屋、お墓までの坂道、ほおづきの実、栗の木、広がる田畑、おじいちゃんとおばあちゃんの写真、お線香の匂い。

そこから呼び起こされる、記憶。
おばあちゃんがいた時の集まり。
お酒を飲んで早々に寝る父。
お喋りが止まらない母。
小さい頃の、自分。
そこにいるだけでなんとなく楽しくて、安心してた、自分。

別に毎日会うこともない。
下手したら1年に1回会うか会わないか。
積もり積もった話があるわけでもない。

それでも、「家族は家族」なんだな。

特に何かを持ち帰った訳でもないのだけど、

会えてよかった。
行ってよかった。
楽しくて、安心した。

いまの私の毎日は、ほとんど「近くの他人」で構成されている。
大好きな他人たちに、囲まれている。

それでもやっぱり、「遠くの親戚」も、私にとっては失くしたくない大切な繋がりだと実感できた。

よき小旅行であった。
実家の涼しいフローリングに寝そべりながら、祖父母のいた地に想いを馳せる。

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