【ブックログ】 The 24 solar term
私の手元には、ウィリアム・モリスの「いちご泥棒」を表紙に用いた書籍が2冊ある。そこに新しく加わった本のことについて書いていきたい。
立春から始まるこの物語は、季節に合わせて四人の登場人物が現れる。いいえ、現れるのではなく、その登場人物たちが季節を作り出している。
The 24 solar termとは二十四節気のこと。立春の場面では冬の賢者と春の女神が邂逅する。春の女神と聞くとエストレのことを思い出す。イースターの語源になったとされる女神だ。この物語に現れる春の女神は、その姿を彷彿とさせる美しさを持ち、我儘で奔放だ。虫たちを無理やり起こし、暑さ寒さに文句を言う。
私は一度ページを閉じ、今年の春はどんなだったかな、と考える。寝込んでいたことを春のせいにしたかな、と思う。でも、ここ数年に比べて気持ちのよい日が多かったな。初夏の日差しの中に、ずっと春の風が吹いていて心地よかったな。
梅雨の季節は春の女神と夏の王の共同作業。降る雨に春の気配があるのならば、傘と長靴を準備する気持ちが変わる。私は、これから雨の中に夏だけではなく春の息吹も覚えよう。確かにそう、季節は連なっているのだから、湿度に気を取られて憂鬱になるばかりでなくてもいいのだ。
生真面目な夏の王は、ままならない自分の力を憂いているみたいだ。少し肩の力を抜いた方がからっとした夏になるんじゃなくて。私は春の女神の気持ちがちょっとわかる気がする。
秋の騎士は律儀だ。確かにここ数年の夏は潔く終わりを迎えているような気がする。それが秋の騎士の促しなのかと思うと面白い。正々堂々としているのに陣地を少しずつ掠めてゆくような。それでも意外と夏の王はしつこく滞在し続ける。その季節のせめぎ合いが、騎馬同士の手合わせのようにも思えてくる。天馬に乗っている騎士が「後は俺にお任せください」と言う。十分に夏の王に仕え、束の間残された自分だけの時間は、実に色づいている。
そして季節は冬の賢者を迎える。賢者が扉を開く。私はこれから夏になろうとしている季節にいる。冬のことはうまく想像できない。何度も繰り返していることなのになんだか不思議だと思う。最近、朝の習慣に水に顔をつける、ということを始めた。洗うのではなく、しばらく水に浸る。浸水反射を利用して心を落ち着けようと試みている。その時に思い浮かぶのが冬の景色だ。
冬の賢者は「僕はただの、冬の番人なのに」と言う。冬の番をすること。そこに知性が必要なことをどこかでみんな知っているような気がする。気を抜けばたちまち死に近づくのに、春のための活力の準備もしなくてはならないこと。エネルギーの巡り方の不思議を思う。確かに賢者の仕事だろうと思う。
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「The 24 solar term」は副題に「二十四節気の物語 2022」と付けられています。昨年のことを思い出しながら読むと、より季節たちの振る舞いが理解できるような気がします。あの日の天気はこんな掛け合いのもと生まれていたのだなあって。
この物語は、こちらから全文を読むことができます。
作者の古賀千冬さんのTwitterで連載されていたものとなります。更新されるのがいつも楽しみでした。その楽しみは今も続いています。
このようにインターネット上で読むことはできるけれど、本にまとまったものを手元に置くのは、また違った喜びです。期間限定で販売されているので気になった方はぜひご注文を。素敵なおまけもついてきます。
そして、私の部屋のいちご泥棒たち。私の部屋は木の実で満たされることになるよ。
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