ノーベル平和賞とナラティブ

「ノーベル平和賞を被団協が受賞」

このニュースが流れた10月、私はメディアの反響をよそにその意味合いにまだピンときておらず、ただ、あちこちの言論がSNSやメディアで流れるたびに、少しずつ、咀嚼しようとしていました。

数日後、新聞でノーベル委員会で最年少で委員長になったヨハン・フリドネス氏のインタビュー記事を読みました。「記憶の継承」ーー。このキーワードに、森ノオトのように非力なローカルメディアでも、ジャーナリズムの一端を担うことができるのではないか、静かな自信と確信が、私の内側に沁みてきたのです。

私たちローカルメディアがつむぐのは、地域の生活者の「ナラティブ」です。人々の体験、記憶をもとに語られた言葉は、一つひとつの「ファクト」を検証するのが難しいものです。ライターが集めてきた言葉を、我々編集者はどう読み手に伝える文章にまとめていくか、時に苦労しながら向き合っていきます。

ナラティブは時に大きな物語となって、人をよい方向にも、悪い方向にも導きます。SNSによって、特に悪い方の変化のスピードがあまりにも速く、破壊的な反応に胸を痛めることもあります。一方で、被団協の活動は、二度と核兵器による苦しみを次世代につながない、という体験者によるナラティブの集積であり、戦争を知らない私たちの世代はその語りを受け取ることによってその意義を知ることができます。今、被団協がノーベル平和賞を受賞したことは、我々の世代がそのメッセージをどう受け止め、語れる人が一人減り二人減るこの先に、どう「記憶を継承していくのか」という大きな課題を渡されたことでもあり、ノーベル委員会の強い意志でもあると思います。

子どもを通じてつながった友人の松村大さんが、写真家である父の松村明さんと一緒にSNSを始めました。新聞社でカメラマンだった松村明さんは、長崎で被爆者や遺構を撮影し、写真集も出版されているそうです。写真を通して被曝の実相を映し取ってきた父の仕事を未来に伝えていく親子のリレーは、また新たな形の「記憶の継承」と言えます。

10/11の朝日新聞の記事に書かれた、フリドネス氏の言葉を引用します。

「記憶を紡ぐカルチャーが強固なことは、国が前に、正しい方向に進むための前提条件になりえます。国際社会の正常な秩序を保つためにも、極めて重要です」

今朝のNHKのニュースで、ノーベル平和賞授賞式でスピーチを終えた田中熙巳さんが、未来世代に向かってのメッセージで「自分で考える未来」の大切さを訴えました。

私たちローカルメディアに関わる人間は地域の生活者一人ひとりの「生」と「語り」を受け止め、言葉につむいでいく。そのプロセスは、その人を通した社会に対する学びと理解であり、「自分で考える」力を養うベースになるものと実感しています。家族でニュースを見ながら語り合うことも然り。「メディアリテラシー教育は、主権者教育である」と私は常々発信していますが、子どもが日常生活の中で起こったことを帰宅後家族に話す、それだけの会話でも、自分が主体的に考え、行動する力につながっていくのだろうと思います。

大きなナラティブは舵取りによっては戦争を起こす力にもなりえ、それに対抗するナラティブの文化が必要です。個々人の、日々のコツコツとしたメディア活動の積み重ねが、よき未来をつくるものと信じています。私の中でふわふわと渦巻いていた言葉の群れは、この秋、親子でSNSを始めた松村さんにインスパイアされて、少しだけ形にすることができました。写真の力は、受け取る側の想像力が必要です。ファクトの描写ではなく、生き抜いてきた人の、その時の「今」に、何を私たちは読み解くのでしょうか。松村さんの写真をご覧いただくこともまた、私たちにできる「記憶の継承」なのかもしれません。

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