当たり前ということ
私は、今までにを居候を2回していて、様々な人達と同居してきた。
(そう書くと、ヒモなのではと思われるかもしれないが学生なので違うと言っておきたい)
各家庭において、家ごとに様々な「当たり前」が存在する。
私にとっての「当たり前」は、相手にとっての「当たり前」でないこともある。
当たり前は当たり前でないのだ。
一つ上げるとしたら、家の清潔感について。
私が住んでいたある家では、自室に髪の毛が1本でも落ちていると注意される。とにかく住んでいる人たちがみな綺麗好きなのだ。
そこでは、毎朝起きたらベッドの布団をたたみ、ローラーでベッドの上に落ちた髪の毛などのゴミをとり、掃除機で床をきれいにする。
水回りはカビが生えたりしては掃除が大変なので、お風呂には換気扇を付け、風呂のフタは必ず立てて乾燥させる。
ご飯を食べるときはは必ずランチマットをひいて箸置きも準備する。
清潔感が第一とされていたので、様々な掃除方法やお掃除グッツを教えてもらった。
住み始めたころは、今までベッドの布団をたたみもせず放置していた私は、
(なんだこの綺麗さは…)
と驚き、毎日清潔感に気を配ることが苦痛だった。
でも、それも2週間もすればだいぶ慣れる。
習慣化させれば、何の感情もなく体が勝手に動いてくれるようになる。
そこでは約1年間お世話になったのだが、1年もたてば私もかなりきれい好きになった。
問題は、その次の家に引っ越した時だった。
次にお世話になった家では、清潔感というものが存在しない。
ご飯は食卓以外でも食べるし、食べこぼしは拭かないからかぴかぴになってこびりついているし、風呂場は1日中濡れているし、もう見渡す限り汚部屋である。
はじめは吐き気が止まらず、嗚咽を我慢してはこみあげてくるものを我慢し、1か月は臭いになれなかった。いや、1か月たっても家の匂いになれない。
だが、そこの家ではそれが「当たり前」。
普通なのだ。
だから、住民はなんの違和感も持たずに、のんびりと暮らしている。
私の感覚からすると、信じられない。
でもそれは、私の中の当たり前であって、彼らにとっての当たり前ではない。
当たり前って、恐ろしいね。
自分の当たり前でなくても、新しい価値観として、広い心で受け入れて。
いくら時間がかかってもいいから、許し認めることが大切。
自分の当たり前に反する人が現れないと、きっとその「当たり前」に気づかないから、新しい人との出会いも大切にして、自分の価値観をアップデートできるようにしたいね。
当たり前について考える。
あなたの当たり前は何ですか?
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