見出し画像

千羽鶴

新年早々、石川県能登半島付近で東日本震災に匹敵する規模の地震が起きた。
能登半島沖を震源とする地震で遥か離れたワタクシの在所(千葉県北西部)まで揺れたのだから相当な規模である。
現地の写真を見たら道路は寸断され、観光名所の見附島が崩落していた。改めてとんでもない規模の被害を目の当たりにして言葉を失った。
被災地の方々の心情を思うと胸が苦しくなるし、非被災地にお住まいで御屠蘇気分でなくなった方も大勢居られるのでは無いかと思う。

時至れば、然るべき機関が募金を開始するだろう。その時は協力を惜しまぬ所存である。残念ながら一介の凡俗にはそれ位しか被災地に力添え出来る手段がない。歯痒いところではあるが、先ずは機が熟するのを待とう。

ところで、これは東日本震災の時にも特に顕著だったのだが、何故か近頃大規模な天災に見舞われた地に千羽鶴を送る御仁が多く居る。
災害の折り、送りつけられて被災地が一番扱いに困るのがこの千羽鶴だそうである(次いで古着と、慰安の皮を被った自己満足の野外コンサート)。
然しそれも当然と言えば当然である。そもそも要不要以前に、千羽鶴を被災地に送りつけるのは、個人的には大変失礼な行為だとワタクシは考えている。

元々【千羽鶴】と言うアイテムは、病床にある方への快気を願い祈りを込めて作るものだった。
起源は江戸時代に遡るらしく、日本最古の折り紙の手引書【千羽鶴折形】には既に【一羽の鶴に千の寿あらば千の鶴には百万の寿あり】と記載があり、寿命が長いとされた鶴にあやかり、長寿を願う縁起物として千羽鶴が存在していた可能性がある(尚【千羽鶴】と名があるからと言って本当に1000羽の折り鶴が必要な訳ではないようである。これは今回軽く調べて初めて知った)。

これが、はっきりと病床にある人への快気を祈願するものへと変化したのは戦後の話である。
1945年、長崎県と広島県に原子爆弾が投下され、多くの死傷者が出た。この大規模空爆の余波で放射能を大量に浴び病床につく事になったひとりの少女が、自らを蝕む病が不治のそれである事を知らぬまま、自らの延命を千羽鶴に託し、然しその願叶わぬまま天に召されるに至った。
この悲しい出来事は絵本などで瞬く間に全日本に知られる事となり、以来、千羽鶴は病床にある人の平癒を祈願するアイテムへと変わって行ったのである。

恐らく、そんな【病状平癒祈願】のアイテムだった千羽鶴がいつの間にか被災地への激励に用いるアイテムとされるようになったのは、広島の原爆記念館や平和記念公園に毎年大量の千羽鶴が日本の津々浦々から送られる事も関係しているのであろう。
因みに広島県では、長年全国から集められた千羽鶴をお焚き上げしていたそうだが、近年、千羽鶴をリサイクルして再生紙を作る試みを始めているそうだ。ただ、お焚き上げにしてもリサイクルにしても、莫大な費用を必要とするのは論を待たない。

もうお気づきだろう。
災害で疲弊し、衣食住の保証も無く、不安な時を過ごす被災地に千羽鶴を送ったところで1ミリも被災者への励ましに繋がらないばかりか、下手をすれば被災地に余計な負担を強いる事になるのだ。いや、そればかりではない。例え送った当人にその意識が無くとも、被災地の人々を面前と病人扱いしているにも等しい行為なのである。あなたがいきなり見知らぬ誰かに「お前は病気だ」と言われて良い気分になるだろうか?想像してみて頂きたい。

もしも今、この記事を読んでいるあなたが、被災地に千羽鶴を送ろうと少しでも思っているなら。

絶対に思い留まって欲しい。


千羽鶴を折る折り紙用紙を買う為の金子をそのまま募金箱に投じた方が余程被災地にとって救けになるし、何なら折る前の折り紙用紙を、被災地の状況が落ち着いた頃に他の荷物と共にそっと送るだけでも良い(被災地の子供にとって、折り紙は良い娯楽になるだろう)。

然し、中には「どうしても作りたい、作らないと気が収まらない」と言う方も居るだろう。そんな人に提案がある。作るだけ作って完成品は家にインテリアとして飾って置けばいいのだ。精神安定の為の作業療法としての千羽鶴は病院でも推奨するところがある。そうして気持ちが静まったら、改めて募金などの手段で被災地に対する一助を為そう。

以上、折り紙好きの一介からの提案である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?