見出し画像

「餌を与えないで下さい」

※随分昔にmixiで書き連ねた文章の再掲になります。再掲に当たり若干加筆しました

動物園に全く出向いた事のない方と言うのもそうそう居ないのでは無かろうか。ある統計に曰く、ヒトは一生の内に4度は動物園に足を運ぶ機会があるそうである。
子供の頃、親に手を引かれて一度。
青年淑女になり、恋人と共に一度。
結婚し子供が出来て一度。
そして、孫を連れて一度。

それは兎も角、動物園に良く行く方々には、これからワタクシがつづる徒然が少しでも理解出来るのではないかと期待する。そして「出来ない」と言う方には今からがっつり理解して頂くとしよう。

「餌を与えないで下さい」


動物園に行くと、必ずと言って良い程見かける看板のひとつである。

動物園の動物は園内で栄養バランス、適切な量、そして野生での食生活を考慮した餌をキチンとあてがわれ、それを食べて命を繋いでいる。
なので、その食事に加えて外部から勝手に食事を与えると言う行為は、栄養バランス的に不適切である…これは説明不要であろう。人間だって過剰な食事をあてがわれたら肥満が深刻になる。

だが、動物園の動物に「餌を与えてはいけない」のにはもう幾つか理由がある。

先ず、観客が与えた餌に味を占めてしまい、動物園で与える餌に見向きもしなくなる事。これは猿やアライグマなどの雑食動物に多く見られる傾向である。観客が投げ与える餌は大抵お菓子や人間向けに濃い味付けがされた食品が多いので、一度その味を覚えてしまうと普段の餌の味が不味く感じられるらしいのだ。最もコレは動物園に限った話では無く、アメリカのある国定公園で生ゴミを漁る内にバーボンの味を覚えてしまい、それが原因で野生復帰できなくなったアメリカグマの話もある。

ある動物園では…レッサーパンダに観客が飴玉やお菓子を与えすぎた所為で、本来の食事である笹の葉やタケノコを全く食べなくなってしまい、挙句の果てに虫歯になってしまったと言う例もある。この虫歯のレッサーパンダは当時ニュースにもなったが、周囲の反応は「動物園が衛生管理しないで適当な餌を食わせたからだろう」と酷く理不尽且つ冷ややかなものだった。
因みに飼育係さんの苦労の甲斐あって、最終的には完治したそうだ。

もうひとつは、観客に与えられた餌が原因で動物が消化器不全を起こしてしまう事である。これは特に、野外では乏しい植物を探して四六時中移動を繰り返す植物食動物に多いように思われる。
植物食動物は野生で培った本能の為に、喩え満腹であっても目の前の餌に食いつかずには居られないと言う性質がある。
競馬の世界では特にこの習性が問題になる事があり、調整中のサラブレッドが寝藁や厩舎の床に敷かれたチップを食べてしまったり、「ぐいっぽ」と言って空腹と口寂しさを空気を過剰に飲み込む事で紛らそうとしたりする。もっとエスカレートすると自らの排泄物を食べて空腹を紛らそうとする事も…。
こうした要因に拠る消化器不全だけでも相当深刻な被害と言わざるを得ないが、もっと酷い場合その動物は死に至る。
明治時代、初めて上野動物園に搬入されたキリンは来日後短期間で死んだ事が知られているが、その死因は「観客がミカンの皮を無理に食べさせた事」に拠る消化器不全だった。

後、これ…無法な餌づけに関連して多いのが「ヤギは紙を食べる」と言う俗信を鵜呑みにしてヤギに紙やスナックの袋を食べさせる手合いである。「餌を与えないで下さい」の叫びに反する行為の中で、これほど悪辣なパターンも無いのではなかろうか。
ヤギが紙を齧るのは喩えて言うなら「歯が生えたての赤ん坊が違和感から何でも噛んでみようとする」行為に近い。元々ヤギは木の葉を主食にする動物なので、本能的に歯応えがあるモノを噛みたくなる事があるようだ。スナックの袋はそれに加え、付着している塩分がヤギを惹きつけるらしい。
然し…スナックの袋は言うに及ばず…昨今巷に溢れる紙は全て薬剤の満漢全席である。とてもヤギの消化力で対応しきれるモノではない。

板橋区の子供動物園で以前、ヤギが突然死した事があった。
不審に思った公園管理局がヤギの司法解剖を試みた所処、胃袋の中から大量の紙とビニールが出て来た。
死因は消化器不全に拠るショック死だったと言う。
以来、この動物園ではそれまで公然と行われていた動物の餌付けに大幅な制限がかかる事となった。

持ち込みは駄目でもこっちは大丈夫だろう…と思ってかどうか知らないが、植え込みの葉や花を毟って動物に食べさせる子供も居る。これも良くない。
植え込みの植物は虫除けの目的で農薬が散布されてたり、檻の内側から動物が食べてしまわないように敢えて有毒成分が含有されている植物を植えている事が多く、それらを無理に食べさせると農薬や有毒成分で動物が腹を壊してしまうのである。
江戸川区の行船公園でまさにそうした光景に出くわした事がある。植え込みのツツジの枝を折り、リスザルに食べさせようとしている中学生が居たのだ。「お前等そんなモノ動物に食べさせて、若し動物達が死んだら責任取れるのか」と厳しく注意したら悪態をついて逃げていった。

昨今、動物園は単なるお道楽では無く、稀少生物の保護や自然科学の啓蒙活動の場と言った学習施設的役割が大きくなっている。それ以上に、其処に暮らす動物達は飼育係さんにとっては家族同然の存在だ。
その動物達が、こうした心無い(?)行為で身体を壊したり、死んでしまったりするのは非常に悲しいし腹立たしい。

…随分長々といろいろ語ってしまった。

実は卒然こんな駄文を書き連ねたのには訳がある。

今から20年位前の話だ。
神奈川県・横浜市の野毛山動物園で、今回駄文に連ねたような内容を痛感せねばならない出来事があったのを思い出したのだ。

嘗て野毛山には「ハマコ」さんと言う名前のアジアゾウが居た。
戦後間もなく日本にやって来たと言う話で、勿論当時既に同園の最長老的存在であった。
やや気難しい所処はあったが、人懐っこく愛想の良いゾウだったと記憶している。

幾度目かの野毛山来訪の折の事だ。
ハマコさんをぼんやりと眺めているワタクシの横に、小柄なひとりの老人がよろよろとやって来た。手には大きなバナナの房を持って。
一瞬、嫌な予感がした。明らかにそのバナナは老人がひとりで食べるには量が多過ぎる。
…予感は的中した。老人はバナナの房から2本ほどバナナをもぎ取ると、何の躊躇いもなくハマコさんの鼻先にそれを差し出したのだ。ハマコさんは慣れた様子で老人の差し出すバナナを鼻で絡め取り、皮ごとむしゃむしゃと食べてしまった。
聊か憤慨したワタクシ、その老人に
「動物園の動物に餌与えちゃいけないって看板が立ってるでしょう?素人が動物園の動物に勝手に餌やっては拙いんじゃありませんか」
と声をかけたが、老人は胡散臭げにチラと此方を見ただけで、聞こえない振りをして尚もハマコさんに餌を与え続けた。
(こりゃ駄目だ)
…ワタクシはその場を大急ぎで離れ、その辺に飼育係さんが居ないか探した。飼育係さんに事の顛末を話し、老人の暴挙を辞めさせようと思ったのである。
然し、残念な事に手近に飼育係さんの姿は見つからなかった。
諦めてハマコさんの元へ戻ると、ゾウ舎の前にあるゴミ箱に、まだ食べられるバナナの房が無造作に捨てられているだけで、あの老人の姿は既に無かった。
恐らくワタクシの態度に自身のしでかした事が密告される事を踏んで逃げたのだろう。

その事件の少し後に、突然ハマコさんは死んだ。

後に、ハマコさんの死因は老衰による脚の弱化、そして呼吸器不全と公表された。

然し、ワタクシは今でも「あのときのバナナがハマコさんの身体にとって毒だったんじゃなかろうか」と思えてならないのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?