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毒を持つ鳥

(ヘッダー画像はウィキメディア・コモンズより、"ピトフーイ"の一種ズグロモリモズ)

古代中国には、猛毒…いや劇毒を持つ鳥類の伝承がある。その鳥の名を【鴆】(ちん、Zhen)と言う。どのような鳥なのか、實吉達郎先生の【世界空想動物記】を中心に幾つかの資料を参考に解説してみたい。

先ずはその外見だが、大きさは小振りのサギ位になるらしい。羽色については紫黒色とする説と、緑色であるとする説がある。嘴の色は赤ないし銅色で、外見的な特徴は書籍により内容が異なり一定していない。ある資料ではフクロウのようだと言い、別の資料ではサギに似ると言う具合に(他にガンやキジが引き合いに出される事もある)。これは空想生物の中でも特に人命を奪う危険な存在に顕著な傾向であり、要するに【鴆を見て生きて帰った者が存在しない為、その姿が明らかでない】事を暗に示すのであろう。
複数の資料で一致するのは兎に角その毒が強力無比な事で、羽ばたいて羽毛の屑が落ちた場所は草木が尽く枯れて不毛の地と化し、主食である毒蛇や沙虫(いさごむし。現代日本語ではトビケラの幼虫を指すが、古代中国では人間に害を為す空想上の虫を指す)を口に加えれば唾液に含まれた毒で忽ち獲物が溶け、排泄物が石にかかれば毒により石が粉々になると言う有り様である。そして落ちている鴆の羽を拾って、飲み水や酒を掻き回せばその水や酒は瞬時に人命を奪う毒液と化す。
故に【鴆】の語は毒そのものを意味するようになり、例えば毒の密売買を【鴆を市する】、毒により人をあやめる事を【鴆殺】、服毒自殺を【鴆杯を呷る】、毒を盛った酒を【鴆酒】、そして毒薬を【鴆湯】と呼んだ。

鴆の毒を無力化するには犀(此処で言う"犀"は実在のサイでは無く幻獣としての犀の事である。サイは、古代中国では麒麟や獏と同じく空想上の動物とされていた)のツノを用いるしか無いと言い、後にこの巷説はヨーロッパに伝播して【ユニコーンのツノには解毒作用がある】と言う伝承を生み出すに至った。また、幻獣としての犀と実在するサイが混同され、解毒剤としてサイのツノが求められた結果、現存するサイ5種全てが近い未来に絶滅するであろうと予測された【近絶滅種】にカテゴライズされるまで狩り尽くされる事となった(アフリカのサイについては、アラブ圏の貴族による過剰な狩猟が更に追い打ちをかけた。サイについて語ると長くなり本題から逸れるので、一先ず置く)。

實吉先生は鴆の存在を真っ向否定し、致死的な毒やそれにより齎される命の終焉に対する過度な恐怖が鴆と言う幻獣を生み出すに至ったのだろう、と結論づけている…いやこれは實吉先生のみならず【世界空想動物記】発刊当時、全世界の大多数が「毒を持つ鳥なんか居ない」と考えていたと言い切っても過言は無いだろう。
だが、二十世紀も末に迫った頃にこの世界的見解をひっくり返す驚くべき発見があった。ニューギニアに棲息する鳥に、体組織にフグ毒に匹敵する猛毒を持つ種類が居る事が明らかになったのだ。

ニューギニアの先住民は、幾つかの似たような外見をしたハトより小さな鳥類をその鳴き声から【ピトフーイ】(Pitohui)と呼び、食べると中毒する事から【食べてはいけない鳥】として忌避していた。然し、それまで学壇では毒を持つ鳥類の例は知られていなかった為、先住民の知恵は顧みられる事が無かった。

1990年の事と言う。
ある研究機関で、1850年代に学術的に記載された"ピトフーイ"の一種、ズグロモリモズの標本を調べていた研究者が指先に痺れを伴う異常を感じた。その"異常"は、傷口が開いた指先で触れた際に生じる毒物に対する反応と全く同じであった。
直ぐに標本は精密な再調査をされる事となり、結果、ズグロモリモズの羽毛を含む体組織の殆どに摂取量によっては人間さえ死に至らしめる猛毒が含まれている事が明らかになったのである。

その後の学術的調査により、それまで暫定的に"ピトフーイ"と呼ばれていた、数種類の鳥を含む1グループが実は多系統(少なくともカラス上科に含まれる3つの科に再分類される)だった事や、ニューギニア以外の地域でも肉や羽毛に毒を持つ(事がある)鳥類が存在する事が判明している。
それを受け、鴆についても【今は絶滅したが、嘗てピトフーイに類似した毒鳥が中国に存在したのではないか】と言う再評価に近い意見が出ている。流石に古書の鴆の解説は白髪三千丈と見た方が良さそうだが。

最後に、ピトフーイ達がどのようにして毒を体に取り込んでいるのかについて触れてみよう。
毒を持つ生き物の中には、元々は無毒だが成長過程で毒を含む餌を食べる事により、その毒物を体に蓄積して有毒になるものが数多く存在する(フグはその典型。他にはヤマカガシ(ヘビ類)やヤドクガエルの仲間、ミノウミウシ等が居る)。
ピトフーイ達は、ジョウカイモドキ科に含まれるある種の甲虫類の幼虫を好んで食べる事が知られており、この幼虫が持つ毒物を体内に蓄積させている可能性があると言う。この毒は自身の命を守るのみならず、羽にシラミなどの寄生虫がつくのを防ぐ効果があるのではと推測されている。

生存競争は、時に小説よりも奇妙な事実を結晶させるものである。

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