ワタクシと言う人間が、今日に至るまで約40年近く、折り紙を嗜む事はこのnoteと言う場で再三述べた通りだが、そんな折り紙と言う趣味と向き合うに辺り、自らに課しているひとつのルールがある。それは、
幽世の生き物を折り紙で折る時は
必ずその日の内に仕上げるべし
と言うものである。
これには、過去のちょっとした経験が切っ掛けとして存在する。
今から25年程前の話である。
丁度世間には【100円ショップ】と言う存在が生まれ、折り紙用紙がそれまで以上に安価で、安定した数を入手出来るようになっていた。そして用紙が潤沢に存在する事で、ワタクシの創作活動も一段と活発化していた。
だが一方で、当時奉職していた職場がとんでもなく残業の多い会社だった。
連日、日付が変わる直前まで働き、帰宅時には家族は寝静まっている事もしばしばあった。勢い、創作活動は週末の限られた時間のささやかな楽しみとなっていた。
ある週末の話である。
ふと思い立ち、折り紙で麒麟(ジラフでは無くキリンビールのシンボルの方)を作ろうと思い立った。然しその日は疲れていて思うように作業は捗らず、ワタクシは作りかけた折り紙の麒麟を放置したままその日は寝床に就いた。
その夜、ワタクシは不思議な夢を見た。
夢の中で、見知らぬ子供がワタクシの顔を見て悲しそうにしている。
ワタクシはその子供に何かを問いかけた記憶がある(残念ながら質問の内容は覚えていない)。
すると、子供は目に涙を浮かべてこう言った。
「僕の服はまだ出来ないの?」
そこで目が覚めた。
見ると作りかけの折り紙の麒麟が、どうした拍子か机から枕元に転がっていた。
単なる夢と言われてしまえばそれまでである。
それにワタクシは左甚五郎や飛騨匠では無いので、作品に命が宿るとはとても思えない。
それでも、ワタクシは夢の中の子供と、作りかけた折り紙の麒麟を切り離して考える事が出来なかった。
その日が日曜日だった事もあり、ワタクシは大急ぎで麒麟の折り紙を仕上げた。
その後にあの子供が再び夢に出たらまた話は違ったろうが、残念ながらその後にあの子供が夢に出る事は無かった。
「新しい服」を得て満足したのだろう、と今は自分に言い聞かせている。
そしてこの時の経験を教訓として、ワタクシは幽世の生き物を折り紙で再現する際は、必ず十分な時間を確保し、その日の内に仕上げるように心掛けている。
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