見出し画像

【蝦夷幽世問わず語り】エペタム

ひとりでに動き、敵を斬る妖刀。名は【貪る刀】を意味し、しばしば【人喰い刀】と邦訳される。上川(旭川市の近隣)のアイヌ伝承が有名。

〈容姿〉
見た目は普通の刀そのもの。

〈性質〉
常に血に飢えており、然るべき封印を施さないと飛び回って無差別に人を斬りまくる。

〈備考〉
上川の伝承によると、とあるコタンの村長の家にこのエペタムがあった。野盗が多い戦乱の時代はコタンを護る為に獅子奮迅の活躍をしたが、やがて平和な時代が訪れると、エペタムを操る為の口訣を知る古老が亡くなった事も相俟って誰の手にも負えなくなり、夜な夜な飛び回っては村人を屠った。
困り倦ねた村長は頑丈な箱を作ってその中にエペタムを仕舞い、物識りの「餌を与えればおとなしくなる」の言に従い定期的に石を与えていたが、一度血の味を覚えたエペタムは石では満足せずその後もコタンの人々を斬り殺して戦慄たらしめた。
頭を抱えた村長が天に祈ると夢にお告げがあり、オトイパウシと言う場所にあるアサムサクトと言う底無し沼に投げ込めば良いと教えられた。村長はエペタムと供物を携えて示された場所に行き、祈祷をあげると沼の水面がざわざわ波立ったので、沼のカムイに「この刀を永遠に預かって欲しい」と頼んでエペタムを投げ入れた。すると波は静ったが、良く見ると波とばかり思っていたのは実は無数の蛇だった。
そうしてこの日以来、エペタムは二度と現れなくなった。
この時祈りを捧げた大岩は【エペタムシュマ】と呼ばれるようになり、今も旭川市の神居町にその威容を残している。
エペタムの噂は北海道各地に伝わっていたようで、日高や二風谷にもコタン同志の争いの際に目釘の緩んだ山刀をカタカタ鳴らし、エペタムの存在を匂わせて敵襲を防いだ、と言う内容の伝承が存在する。


参考資料
日本の民話 第1巻・北海道(研秀出版株式会社)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?