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パンを珈琲に浸しながら

子供の頃に食事の面で厳しく躾けられると、大人になった時に反動で刷り込まれたタブーを破りたくなる瞬間がある。
我が実家は母方の祖父と祖母がそうしたテーブルマナー(?)に煩かった影響もあり、母が食事のマナーに大変厳しかった。
例えば、お茶漬けは「呑兵衛の食べ物だから」と言う理由で成人するまで殆ど禁じられて居たし、サラミソーセージは「鼻血が出るから」と言う理由で少ししか食べさせて貰えなかった記憶がある。所謂【三角食べ】をしないでご飯を持て余す事は、特に嫌った(詳しくは過去記事【ふりかけ】をご覧あれ)。

そんな中でも母が殊更嫌がったのは、パンをコーヒーや紅茶に浸して柔らかくして食べる行為だった。いや、今でも多分忌んでいるのでは無いかと思う。いつか里帰りした際に朝餉に出されたイングリッシュマフィンを「ホットミルクに浸して食べたい」と言ったら非常に嫌な顔をしていた。

ところが大人になって社会に出てみると、母が嫌った【パンを飲み物に浸す行為】は母が言う程下品な行為と見做されていない事が知れた。寧ろ、国によっては当たり前のようにパン…例えばクロワッサンなんかをちぎってはカフェ・オ・レに浸して食べるのだ。それを知った切っ掛けは確か開高健先生の名随筆【オーパ!】シリーズのどれかでは無かったかと思う。
人生の辛酸を舐め尽くした小説家の男性が、ひなびたカフェの片隅でクロワッサンとカフェ・オ・レを頼み、ちぎって浸しながらしみじみと食べ、物思いに耽る。想像するだけで画になる光景だ。

確信は後年別な媒体によって裏づけられた。
古代ローマでは既に【パンを飲み物に浸して食べる文化】が存在していたと言うのだ。確かギリシア神話関連の文献を読んで偶然見つけたのでは無かったかと記憶している。尤も古代ローマにはコーヒーも紅茶も存在しなかったから、浸す飲み物はミルクやワインだったそうだが。
当時のパンは【スペルト小麦】と言う原始的な小麦の全粒粉で作られるものだった(精白したスペルト小麦で作られた白いパンもあるにはあったが、貴族階級のみが食べられる贅沢品だった)。スペルト小麦の全粒粉で作られたパンは現代のパン小麦と比べるとグルテンが弱く、焼いてから固くなるまでの時間が短い。つまり焼き立てでもないと直ぐにボソボソになると言う事である。そんなパンを消費するには、ミルクやワインに浸して食べる方法はうってつけであったろう。

更に近年、留めの一撃を喰らう出来事があった。
歴史学者で文筆家でもある上橋菜穂子先生の長編小説【獣の奏者】シリーズに【ファコ】と言う雑穀の粉を練って焼いたパンが登場するのだが、このファコの賞味法として【焼いてから器に注いだミルクに浸し、蜂蜜を垂らして食べる】と言う描写があったのだ。
上橋先生は職業柄様々な国に出向かれたであろうから、もしかしたら何処かの国にファコのモデルになるようなパンがあったのかも知れない…等と想像を逞しくした。
因みに上橋先生は、登場人物がファコを食べるシーンを書き終えた後にいたく食欲を刺激され、イングリッシュマフィンをトーストしてバターを塗り、ミルクに浸して蜂蜜を垂らし、思うさま味わったそうである。
書いた御本人が食欲を刺激されるのだ。
況して読んで感動を覚えた人間ならば何をか言わんや。

それはともかく。
独り暮らしを始めて幾星霜、久々にパンを何かに浸して食べたくなったワタクシは、近所のスーパーマーケットでおつとめ品の食パンとカフェ・オ・レを買い、カフェ・オ・レをカップに入れてレンジで温めて、それに食パンを浸して味わったのだった。そして今、口の中にカフェ・オ・レの余韻を残したままこの記事を書いている。
…この記事は、母に読ませてはならないな、等と考えながら。

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