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麻道日記⑦

 ひとりのアーティストを追ってみると、ある愕然とした事実が見えてくる。

そのアーティストを見て聴いて、最高に震えた体験をしても、同じ感動はもうその瞬間以降得られないという事実だ。

なぜなら、アーティストは人であり成長する。技は磨かれ表現力も高まる、ゆえに年齢を重ねるごとに作品のテーマも変わるだろう。


前のような作品をもう一度、と言われても多分無理なのだ。あの作品はあの年齢で、あの熱量があったから出来たのであって、それを再現しても、それは全く違うものになるだろう。

そんなことを考えながら、マイルス・デイヴィスの自伝小説を読んで過していた。


検察から戻ったら、また留置場での生活が始まった。最大1ヶ月で、その間に調書をとる。
刑事からの呼び出しを待つ生活だ。

昼間はただひたすら時間がある。寝たら夜寝れなくなるから、昼寝も出来ない。
漫画だと進みも早く、俺は俺なりの計算でマイルスを手に取った。


「ヤクザのおじさん出たんですか?」

と、じいさんに聞いてみたら、

「懲役いったべ」

と、あっさり返された。
刑務所なのか拘置所なのかは分からないが、そうらしい。

その代わりに、見るからに堅気の線の細いサラリーマン風の男が部屋の隅にいた。

俺が検察に行っていた朝に入ってきて、
じいさんが何を聞いても、唇を震わせて何も答えなかったらしい。

「多分酒か痴漢なんかじゃねえか?」

じいさんはわざと聞こえるように言っている気がする。


俺は昨日朝の掃除当番を免除だったから、今日は便所掃除だ。掃除は毎日朝5分くらい行われ、部屋の者で分担する。

最初は便所掃除なんてと思っていたが、みんな丁寧に磨きあげる。素手で触れるまで磨く。刑務所入ったやつかどうか、これですぐに分かる。と、じいさんは言っていた。多分これはあるあるの初歩だ。

俺もその日磨いていたら、その男は檻のコンクリの壁に頭を打ち付け始めた。

うう、という唸り声が口の端から漏れていて、この人こんな声してたんだと、変なことを考えてしまった。

「看守さーん!看守さーん!」

じいさんが格子越しに若い看守を呼んだ。

若い看守はサド看守を連れて、
慣れた動きで、檻の鍵を空け、その男を檻から連れ出した。

「ダメだよ、お兄さん。額割れちゃうよ。」

と、言いながら檻に鍵をかけた。
じいさんと俺は何となく目が合った。


 それからその男を見ることはなかった。翌朝の運動にもいなかったから、独居か釈放か。

「まあ、何にしろこれで懲りたろ。」
と、じいさんはタバコを美味そうに吸った。


その部屋に、その後ガチャピンが入ってきた。ガチャピンは、顔がガチャピンに似ていて、愛嬌のあるヤツで、まだ若いのに、出たり入ったりを繰り返している様子のやつだった。

じいさんに会った時、じいさんとガチャピンは顔馴染みだった。俺が収監されていたところが南千住で、その地域の馴染みなのか、俺にはよく分からなかった。

ガチャピンは、また入っちゃいました。と、言ってケロリとして、俺にもどうも、と言った後、ゴロンと寝転んだ。


結果的に俺が檻を出るまで、この3人が、俺の人生の主要登場人物となる。
偶然の他人で、ただ一瞬通り過ぎていく影に過ぎない。それを知っても尚、俺の記憶に強く残っている。その、理由はこの檻を出る時に分かるのだか、今はまだ知らない。






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