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麻道日記⑥

 検察庁に着いたら、総合病院の待合室のような、無機質な部屋へ通された。そこへ錠をしたまま座って待つように指示があった。

 とんでもない大きな部屋で、それもそのはず、48時間以内に逮捕された都内の男の容疑者が全員連れてこられているのだ。その人数はゆうに1,000人は超えていたように思う。

これが毎日のことだと思うと、警察官や検察官に少しだけ同情した。

 色んな人間がいた。みな容疑者というくくりでしかないが、どこか投げやりな雰囲気は皆共通していた。

私語も禁止されていたため、検察官に呼ばれるまで、俺たちは待合室でただ、まんじりと時間だけを浪費していた。そこで3時間くらいは経過しただろうか。

  一人の男がいきなり立ち上がった。
金髪のホスト風の若い男だ。何か強い意志を持って立ち上がったわけではなく、ふらふらとあたりを歩きだし、何かを探し、近くの白い壁までいくと、ないはずの引き戸の取っ手を探していた。明らかに眼が虚ろだ。

すると、刑務官が男のそばまで行って、ここは扉じゃないぞと、指導し、椅子まで戻した。男は、すいません、すいません、と何度も頭を下げ、席につく。

クスリが切れて、幻覚を見ているのかもしれない。

また、しばらくすると立ち上がった。
そのときは、隣の50がらみの男が、
お兄ちゃん、と、止めてやっていた。

そのやり取りが何度かあり、突然、
隣の男が、この野郎!と叫んだ。

刑務官が駆け寄る。隣の男はその金髪の男から遠ざかる。

男のズボンの染みがみるみる大きくなってくる。小便を漏らしたのだ。

刑務官が男を連れていった。

皆がその光景を知ったふうにみていた。地獄だな。と思ってみていると、目の端に知った顔を見つけた。

浅川だ。

浅川も俺と同じタイミングで捕まったから、ここにいるのが当然だ。今までそのことに頭が回ってなかった。

何とか浅川とコンタクトがとりたい。
できれば、口裏を合わせたい。

浅川も同じことを考えていたらしく、ようやく気づいた俺と目が合った。

浅川は、口許に人差し指をたてた。
それで全てわかった。余計なこと喋るなという符号だ。

そして、続けて、
ナ・ベ、と口パクをして、親指で首を掻っ切った。

言わずもがなだ。
結果的に俺や浅川はナベさんに密告されたようなものだ。俺はナベさんを知っているが、浅川は完全に事故で捕まったのだ。

その後刑務官が、列を進めるよう言われ、そこで浅川とは離れざるを得なかった。
浅川は最後、首を降って笑った。

印象的だったのは、それが余裕の笑いに見えたことだった。


 朝に出て、検察官の部屋に呼ばれたのは夕方だった。

ジョークみたいな大きいデスクに座っている担当検事は、40代後半の仕立てのよいスーツ眼鏡をかけた男だった。

俺は目の前に用意されたパイプ椅子に座らされる。なるほど、支配する、される構図がはっきりと演出されていることに気づく。

俺はどこからどう見ても哀れな羊だった。

 検事は事務的に事件のあらましを説明し、間違いないか、と聞いた。

いえ、なんの事か分かりません。
と、しらを切る。

すると、検事はニヤリと笑い、これだけメールのやり取りが残ってる。と書類を手にしてその厚さを俺にみせた。

綻んだ口許から金細工を施した1本の前歯が見えた。俺はそんなもの生まれて初めて見たし、この人が急に恐くなった。

その部屋にいたのは、5分にも満たなかったと思う。

話すまで、勾留を延長します。と、検事は告げて、俺はあの留置にこれから約1ヶ月勾留され、取り調べを受けることが決まった。


 長い一日が終わった。帰りの護送車の中から見る外はすでに日が落ちていた。

後ろに子どもをのせた自転車を母親がこぐ。

隣のレーンのバスの中には、たくさんの帰宅を急ぐ勤め人。

自転車で並走する高校生。

外が急に恋しくなった。俺はこれから耐えられるんだろうかと不安になった。

頭にあのホスト風のお兄ちゃんが浮かんだ。多分もう一生会うことはないが、無事を祈った。



檻に戻ったら、ヤクザのおっさんがいなくなっており、新しく背の高い若い男がいた。



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