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短編 YUING AND YANG

 山手線に乗って、外回りを進む。
その丸い円を中央線が、真っ二つにして走っている。
神田を通りすぎると、下弦に入ったことになる。

 品川で京急に乗り換える。
東京生まれ、地方育ち。今また実家の東京。
会社が近いのよ、と、また家族で暮らし始めた。


 実際どんな会話があったかは分からないが、母は父を品川に残して、実家に帰った。当時まだ小学低学生だった私と双子のリオウを連れてだ。


パパの組合の仕事が忙しくなるの。

と母が言ったことだけ覚えている。
私たちは数年間は東京を離れるのだと分かった。

母の実家は、昔炭鉱で採れた炭を商材にひろく儲け、戦前から一財産を築いた一族で、地元では大きな家があり、そこにひいばあちゃんがいて、血の繋がってないユッコばあちゃんもいた。

その隣、というか同じ土地内に母の弟の家族4人が住んでいた。
従姉妹の子どもたちは歳も近く兄妹が二人増えた。私たちの食卓は賑やかで、おかずが沢山並んでいた。

 血の繋がった本当の祖母は、子供たちがまだ幼児のとき、つまり母とノリカツ叔父さんを残して男と出奔した。そこに後妻として入ってくれたユッコばあちゃんに母は育てられた。
ユッコばあちゃんの、元来人の良さから出る明るさが、母を救ったそうだ。

今でも、年末に実家に帰ると、母は父の前にも関わらず、ユッコばあちゃんに甘える姿をよくみせる。まじババアキモいって、とリオウと私は完璧なタイミングで声を合わせる。

 私たちが移ってすぐ、母はすぐに観光センターで働き始め、ユッコばあちゃんとカオリ叔母ちゃんで皆の面倒をみてくれた。みんな祖母に育てられたといっても過言ではない。




 品川の家に帰ると、母が父とリビングで揉めている。母が父を怒鳴っていた。

リオウに聞いたら、
リオウが、リビングでゲームしていたとき、家の電話が鳴って、母が出たそうだ。

しばらく無言だったが、突然母が、何かを叫んで受話器を叩きつけた。そしてさめざめと泣き崩れたらしい。

あんた、それでどうしたのよ。
え、声かけたって、一応。聞いてなかったけど。


母の怒鳴っている言葉の端々をかいつまんで聞くと、
どうやら本当の母が、何十年かぶりに電話をかけてきたそうだ。自分の住んでいる場所を話し始めたから、母は断った。そして、今母は、実の母への罵声を父に浴びせていたのだ。

人は、他の人の怒りを受け止めなければならないときがある。
逆に怒りがおさまらなくて、関係ない近くの人にあたることもある。

私たちはこうやって、陰と陽をまわしているんだ。
私は女でリオウは弟だけど、双子。なるほど、IN と OUTか。

肩を並べて母とみているリオウの部屋からは、こんな曲が流れていた。



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