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宇宙開発

1961年2月17日

ガガーリンのボストーク打ち上げを遡ること二か月前、公式には発表されず密かにスプートニク宇宙船が1961年2月17日に発射されました。(これはいまだに公式記録としては認められていないのですが各国のレーダーに探知され公然の秘密ということになっています)ソ連政府は沈黙を守っていましたが各国に探知されていたこともあり無人機の実験に成功したと談話を発表しました。この無人機はこれまでの宇宙船とは違い、加速して月への軌道を取ろうとしたのですがロケットの推力が足りず地球の引力圏を突破できなかった。そしてこのスプートニクは非常に長い楕円軌道を描いて地球の周りを周回することになったのです。もちろん地球へと帰還することは出来ませんでした。

その日から世界中の様々な観測所で衛星からの電波がキャッチされるようになりました。数時間に一度「全て良好、我々の宇宙船は予定の高度を保っている」と発信されるそれはロシア語による男女の会話でした。このメッセージが1961年2月24日いきなり変化します。

「ダイヤルは見える。しかしシグナルははっきりしない。もう何も見えない」
「私が右手で支えています。こうすればバランスは保てます。今のうちに窓から外を見てください、あれを見てください」
「なんだあれは? 何かがある!」

しばらくして

「……もし我々が帰れなくても世界は何も知らないままだろう

機械の音声「ただいまモスクワ時間で午前8時です」という時報が流れる。

この音声を最後に謎のロケットからの無線は一切絶えてしまいます。宇宙飛行士はいったいを見たのでしょう…。(このテープは各国で録音され、その一部が流出して一頃YouTubeにも上がっていたそうです)


1961年4月12日

ガガーリンがボストーク1号に単身登場し人類初の有人宇宙飛行を成功させました。しかしその帰還確率は決して高いものではなく高度7000メートルに降下したところでパラシュートで脱出するという危険なものだったそうです。「地球は青かった」との名言を残したのもこの時です。

1961年5月5日

当時激しい宇宙開発競争を繰り広げていたアメリカはマーキュリー3号にアランシェパード氏を登場させ有人宇宙でソ連に追いつく。

1961年5月23日

イタリアの無線愛好家の兄弟が女性宇宙飛行士の声らしき通信を傍受したと主張し世間を驚かせた音声記録。

英デイリースター

「聞いて......聞いて! 応答せよ、応答せよ、応答せよ。話して! 話して!」「暑い! え? 45、50。よし、よし。息、息。酸素、酸素。暑い、危険じゃない?」「本当に......そう......これは? 何? 応答して! どう発信すれば。そう。何? 発信を開始。41。こうだ。できた。暑い。本当に......暑い。暑い。」「炎がみえる。炎がみえてる! 暑い。暑い。32。32。41。墜落するの? そう、そう。暑い。暑い! 再突入する。」

この音声データが事実であればソ連がガガーリンの直後に有人宇宙飛行に失敗し犠牲者を闇に葬っていたことになります。デイリースター紙は「この宇宙飛行士は地球の大気圏に再突入する際に技術的問題に見舞われ『消えた』とされる」と報道。ミッションが失敗したことでソ連はミッションの存在自体を隠蔽したとの見方があるのです。鬼気迫るこの音声は人々の興味を惹き、2014年には実際の音声をもとに事件を映像化した5分間の短編映像作品『Kosmonauta』が制作されました。


宇宙犬

1950年代から1960年代にかけてソ連は人間の宇宙飛行は可能かどうかを決定するために少なくとも57回、犬を宇宙空間に送りました。

そんな犬の宇宙飛行士「ライカ」を描いたドキュメンタリー映画【SPACE DOGS】がアメリカで制作されました。ソ連時代のアーカイブ映像を用いて、計画のために集められた犬たちが大気圏外でどれだけ長く生きられるか調べるための研究材料として扱われていく情景が描かれています。

今日ではイーロンマスク氏やジェフベゾス氏などが率いる民間宇宙企業も含めロケット開発の進展が華々しいですが、宇宙開発の裏でこういった犠牲も沢山あって、そういったことも含めての歴史なんですよね。


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