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アマチュア大喜利へのいざない~大喜利って芸人がやるもんだろと思う人にこそ読んでほしいこと~
そういえば書いていなかったことがありました。
最近はただ大喜利をやるということよりも「大喜利というゲーム」について考えることの方が多く、それはそれで、と自分では思っています。
大喜利は言葉を使ったゲームなので、それを実際にやることのみならず、それについて考えることもまた楽しみの一つです。また、必ずしもそれを考えることや、それについて議論することがただ一つの答えを生まないとしても、そういった
焼きたて海老のオイスターソース
何かを面白いと感じるためには、まず、その人や物に対して1%の好意がなければならないと思う。100%まじりっけなく嫌いなものでは、きっと笑えない。無関心でもいい。笑えるということは憎めなかったということだ。あるものを憎むことをあきらめた時に、きっと笑えるのだと思う。ということを最初に書いておく。
大喜利には、現時点では決して統一された形があるわけではない(ある程度、こういうものが大喜利だよね、とい
IPPONグランプリ第11回の解説
11回もやっていたんですね。前回の解説はニコ生で詳細に行ったのですが、ニコ生のプレミアムアカウントでなくなってしまったので、今回はブログで失礼します。
バカリズム(9大会連続10回目)(12S)
確実に積んでるエンジンと場数が違います、大喜利のエンジンがちゃんと脳の中にある。すべての答えが大喜利の公式によって導き出されているように感じる。逆にそこが弱点で、サドンデスになると途端に決め手の一撃に
キッチンにはもうかぼちゃしか残っていない
企画大喜利という分野がある。
ただ大喜利をするのではなくて、ある程度の定められた目標に向かってその場のメンバーが同じ行動をとるという物が多い。つまりただ大喜利をするということは、最初の段階ではどのような方向に向かっても良いわけである。笑いを取っても良いし、笑いを取らなくても良い。
もともと大喜利が大喜利であるための最低前提条件が「お題に対して応答しているとみなされること」であるので、応答したと
ポパイと夢のほうれんそう
遂にこのテーマを書いてしまう(僕の脳の中だけの“ついに”だけど)。
前々からというか、大喜利を始めた当初から思っているのだが、残念ながら僕は素人なので、大喜利には自信がない。自信がないというか、いくら面白いと言われようと(たま~にある)、少し票が入ろうと(たま~にある)、大喜利において自分に与えられた評価に、根拠のなさを感じてしまう。
お前が自分に自信がないだけだろと言われれば、そうです・・・と