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【周期とデレマスのこと】雑記.20201220

日付と投稿日時が全然合ってないのは、何の気無しに寝かせてたからで深い意味はない。


相変わらず忙しくて、趣味全振りの創作活動はできない状況にある。最近公開した『オンパーズ!!!!』という架空のゲームに関連した作品群も、実は学校の課題のために描いたものだったりする。

オリジナル曲をあげたのはすごく久しぶりだった。厳密にはわからないけど、確実に半年以上は開いているはず。

これには僕の中のある周期が関係していると思う。といってもそれは大したものでもなく、何もしたくない時期や絵を描きたい時期、ゲームがたくさんしたくなる時期、そして今のように文章を書きたくなる時期が不規則に切り替わっているという感覚がある、というだけの話だ。他人に聞いてみたことはないけれど、おそらく僕以外の人にもこういった周期を持った人はいるんじゃないだろうか。
そしてここからが問題なのだが、僕のこの周期の中には「音楽を作りたくなる時期」がない。多分、これは僕が今までに作曲に費やした時間があまりにも短すぎるからだと思う。そもそも作品数が少なすぎるし、一つの曲に対して1ヶ月以上の時間を費やしたこともないから、作曲を習慣化する、あるいは好きになるという工程を積んでいないのだ。だから「暇だし曲作るか〜」みたいな感じになれない。
これからも曲を作っていくとすれば、これを何とか修正する必要があるかもしれない。


最近、「アイドルマスター シンデレラガールズ」(デレマス)にハマっている。僕が以前からプレイしていた「アイドルマスター シャイニーカラーズ」(シャニマス)は非常に完成度の高いシナリオが魅力として挙げられることが多いが、デレマスにはまた違った魅力がある。中でも強く感じられるのは、アイドルたちの持つ極端な個性と、楽曲の多様さだ。

まず一つ目に関してだが、なにしろデレマスはアイドルが190人いるので、殆どのアイドルが埋もれないような強烈な個性を持っている。双葉杏と諸星きらりは顕著な例だろう。シャニマスのアイドルはそれぞれ一人の人間としてのリアリティを特に重視している印象があるが、そういった点で両者はキャラクターの作り方としてかなり差別化を図っているのが感じ取れる。

こう書くと短所のようにも思えるがそうでもない。多様な個性を持ったキャラが大量にいることによる大きな利点、それは「絶対に刺さるキャラが見つかる」ということだ。その上、これはデレマスの方が歴史が長いと言う影響もあるが、それぞれのキャラを掘り下げるシナリオや色々な組み合わせでのシナリオもかなり充実しているので(シャニマスはユニット毎での会話が主体のシナリオが中心だが、デレマスはアイドルがユニット毎に明確に分けられていない)、刺さるキャラをしっかりと好きになることができる。そしてその好きなアイドルと関連性の深いアイドルも好きになっていったりする。シャニマスがちょっと狭いけどその分とんでもなく深いコンテンツであるとするなら、デレマスはとんでもなく広くそれなりの深さのあるコンテンツと言える。


二つ目に挙げた楽曲に関してだが、一つ目の理由に付随する形でデレマスの曲は膨大な量が存在する。ゲームに実装されているだけでも200曲に及ぶほどである。そして当然それらは先述した個性的なアイドル達に付随したものになっているわけで非常に多彩だ。王道なアイドル曲もあればゴリゴリのEDMもあるし、和ロックやヘビメタ、演歌にも及んでいる。これまた繰り返しのようになるが、やっぱりそれだけあると刺さる曲が確実にある。また、それぞれの曲がアイドルの個性を強く反映している分、楽曲がアイドルを好きになる引き金となる可能性を持っているというのも強いポイントだと思う。実際僕は『秘密のトワレ』と『クレイジークレイジー』、そして『バベル』を聴いて、一ノ瀬志希というアイドルにずぶずぶとハマっていってしまった。これは決して全体に当てはまる話ではないが、シャニマスの楽曲がアイドル達のリアリティを補強する役割を担っているとすれば、デレマスの楽曲はアイドル達の個性を楽曲を通して強調することを重点に置いているというように感じる。書いた後思ったが、これはシャニマスとデレマスというよりはユニット曲とソロ曲の違いと書いた方が明確かもしれない。シャニマスの23人のソロ曲も来年出るし尚更だ。

図らずして軽い比較記事みたいになってしまったけど、どっちが良いとかではないとは思う。ただ、シャニマスはシナリオに力が入っている分、コンテンツを摂取するのに体力を使ってしまうという面があるから、最近少しだけ敬遠してしまっているというのが現状だ。少し前、「ちゃんと作られたものはちゃんと見なきゃいけないから疲れる。私たちは『ヒルナンデス!』みたいなものを求めている」みたいな内容のツイートがバズってるのを見たが、シャニマスはまさしくその「ちゃんと作られたもの」じゃないかなと個人的に思っている。

でも、デレマスだってヒルナンデスだってちゃんと作られたものには変わりはない。明確に違うのは情報量ではないだろうか。シャニマスのシナリオは「理解するぞ!」という姿勢を持っておかないと意図を汲み切れないんじゃないかという風に思うことが多いし、実際そういう風に作ってあると思う。こればっかりは好みというか、コンテンツの特性みたいなものだから仕方ない気はする。

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