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土を踏む

直に触れることの意味

田舎育ちが比較的長いせいだろうか、自然に触れるのが好きだ。
その影響か、直接触れることを大事にしている。

昨今、リモートで出来ることが増えた。
それはそれでとても良い事ではあると思う。

今までわからなかった事、出来なかった事が出来る。
時間の短縮が出来、効率も良くなった。
得られたものも多い。

反面、それによって失われたものも多い。
直に触れるとわかる事が沢山ある。

それを感じたことが簡単ないだろうか?

空気感、感覚的な問題だが、重要な点だ。
場を共有しなければわからないことも多い。

デジタル化される過程で省かれたものだ。
具体的に何か、と言われると説明出来ないところが情けない。

ただ、感じたことはないだろうか。
電話か、直接会うかで違うと言うことが。

触るだけが触れることではない

具体的に考えてみよう。
スポーツ中継が良い例ではないだろうか。

例えば野球など見たことがあるだろうか。

テレビで見ると、すごく迫力がある。
最近は画像が綺麗になったこともあって、皆アップで映る。

一方、球場に行ってみるとわかるが、選手が思ったより遠い。
テレビで見た方がよく見えるじゃないか、と思う。

みる、と言う観点ではそうかもしれない。
ただし、共有している空気、熱気は違う。
迫力なんかも全然違う。

直接見ると、同じものを見ているのに、伝わるものが違うのだ。
スピード感、臨場感、圧力そのもろもろ。

これは体感しないと絶対にわからない。
この違いの理由、ご存知の方がいたら教えていただきたいくらいだ。

こう言った経験を経て、私だなるべくのことを体験することにしている。
完全には無理でも、少しでも触れたいと思う。

楽しい歴史、悲しい歴史、これらも同様だ。
だから、神社や戦跡を巡るのが好きなのかもしれない。
知識だけでは絶対にわからないものがそこにはあるのだ。

偽物なら、偽物とすぐわかるけれど。

日常でも同じか

大切なことは、きちんと向き合って話したい。
何故か、大事だから。
伝わるものが違うと思うから。

時に鬱陶しくもあるだろう。
ただ、面倒だからと手間を省くと、大切なものがなくなる。

わかってもらえないことも多い。
効率化の社会の今、仕方ないかもしれない。

ただ、効率的でないことが、結果効率的なこともある。
その辺りも知ってほしい。

だから、私は子供達に面倒を時に強いる。
嫌がられても良い、後から分かれば。
今わかるのは無理だと思っている。

アスファルトに囲まれた日常、庭もないのにいつ土に触れる?
雪も降らないのに、いつ雪で滑る?
川もないのに、いつ流れを感じる?

頭でっかちではない、物に触れられる人になってほしい。
1人の人間として、子供に対してそう思う次第。

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