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承認欲求


自分でも以外だった感覚

今のところ、自分ではさほど承認欲求は高くないと思っている。
それでも、人から認められるということは嬉しいものなのだとわかった。

というのも、実はしばらくnoteの更新が止まっていた。
それに関して、自分が考えたことをまとめて発信してみた。

そうしたところ、今まで以上に皆様からリアクションをいただけた。
正直、とても驚いた。

と同時に、自分の感情にももっと驚いた。
思った以上に、嬉しいと感じた。

お会いしたことがあるわけでも、お話ししたことがあるわけでもないのに。
いいね、を押されると嬉しいという感覚がこれなのだろう。

実は、SNSにハマる人の気持ちはあまりわからなかった。
ただ、こういう経験をすると少しわかる気がする。

一方でのリアルの大切さ

ネット経由であれ、承認をしていただけるのは本当に嬉しいものなのだ。
それは間違いない。本当によく理解できた。

でも、ネットにハマりすぎるというのも、今でも理解できない。
ネットが不要だという意味ではない。
その世界しかないというのは、やはり理解できない。

リアルの世界は、絶対に大事だ。
最後は、リアルに勝てるものはないと信じている。

さまざまな観点での温もりというものもあると思う。
ネットに温もりがないわけではないが、綺麗な部分だけ見ようとしていないか。

正直、リアルは面倒だと思うことの方が圧倒的に多い。
ネットの方が、さらっと付き合いやすい。
深煎りする必要もないし、うまいことやりやすい気がする。

でも、それだけで良いのか。
ネットで知り合って、それで認めてもらうだけで良いのか。
それは、忘れてはならない感覚だと思う。

今の時代(?)の関わり方

自分では、ネットの発信をしているではないかと言われそうだ。
それはごもっとも。だが、リアルで発信をしていないわけではない。

私は趣味でバドミントンをやっている。
素人というほどではないためか、教えてくれと言われることも多い。

コーチを出来るレベルでもないので、無償で教えることも多い。
そうすると、嫌なことを言われることも多い。

うまくいかないじゃないか、できない、など、責められることの方が多い。
だったらやらなければ良いとも思う。
でも、私はこうやって多くの人に助けていただいた。

だから、私も出来る限り受けた恩を返す形で動きたいと思っている。
承認されなくても、やらなければならないことがあるのかな、と。

嫌な思いもするけれど、認めてももらえないけれど。
それでも、リアルでの人付き合いは続けられるようになりたいと思っている。

これってやはり承認欲求なのかな。
自分ではよくわからない。


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