忙
心を亡くす
漢字とはよくできたものだと、最近とみに思う。
表意、表音を兼ねた文字は機能的だと思う。
他の言語に詳しいわけではないが、あまり多くはないだろう。
覚えるのが大変な反面、非常に有用な伝達手段だ。
さて、今回は漢字のことを語りたいわけではない。
漢字の成り立ちから考えた、自分の振る舞いについてだ。
忙しい、と感じることは多い。
その状態は、心を亡くす、と書く。
言い得て妙だと思う。
心を亡くした状態というのは、あまり良い状態だとは思わない。
忙しいこと自体が悪いというわけではない。
心を亡くした時の振る舞い、考えに問題がありはしないか、ということが懸念だ。
そういう時ほど、信じられないミスをしたり、他人に失礼なことをする。
普段ならしないことをやってしまうものだ。
その言い訳を、忙しいにしたくない。
だから、心を亡くしたくないと思う。
忙しい方の振る舞い
悪気はないのだろうが、その人が出るな、と思うことも多い。
忙しくなると、全体的に大雑把になって、自己中心的になりがちだ。
それは、自分だってそうだろうなと思っている。
なりたくはないが、なってしまわないか、が不安になることも多い。
そして、無意味に忙しくしている人に、私は近づかないようにしている。
今まで、散々酷い扱いを受けてきたことが多いからだ。
そういう対人関係の課題に接したとしても、必要以上に人のせいにしたくない。
何故なら、何の問題解決にもならないからだ。
なので、近寄らないようにしている。
そうすれば、そもそも問題にならないからだ。
これだって解決になっているわけではないが、被害の拡大は防げる。
それで充分ではないんだろうか。
人の振り見て我が振り直せ
と同時に、距離を取ろうとする人の行動は観察するようにしている。
その人がどう振る舞い、だからあまり近づきたくないのか、知るためだ。
そして、そこから学び、自分はそれをやらないようにしようと思う。
人当たりが良い、とても感じの良い方でも、近づきたくない方もいる。
いざとなると、いい加減になったりするからだ。
そういった点を見逃さず、自分ではやらないようにしたいと思っている。
こういう信頼という感情は、亡くすとそう簡単に戻らない。
だからこそ、大事に育てていきたいなと思う。
下らない、些末な振る舞いで大切な人から信頼を無くさないようにしたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?