ヤンデレVSツンデレ6

「お帰り」
 さも当然と言った様子で、八雲さんは言う。言葉を返すより先に俺は部屋を見渡した。
 いつもの居間、いつものソファ、いつもの我が家が、侵入したたった一つの異物によって非日常の世界に呑み込まれていた。野性を忘れた人間が長らく触れていなかった獣の世界だ。
「お帰り。北斗君」
「ただ、いま」
 野獣の気配に押されて俺は操り人形のように返す。うんうん、と満足そうに頷き返す八雲さんは、足元に散らばる写真の残骸に今気づいたとばかりに飛び跳ねて見せた。
「あぁ! ゴメン、いきなり散らかってたら戸惑っちゃうよね。今日帰ってくるって知らなかったからつい……」
「……」
「ほんとゴメンね? 私もあまりの事で何時もみたいに女の子らしく振舞えないの……君を刺しちゃった時は驚いたなあ、あの女の呪縛がここまで君を犯してるなんて思わなかった。案の定君の家を探してみたらほら、こんなにたくさん“匂い”が溜まってる」
 八雲さんはハサミを持っていない手で写真を掴み上げ、床の上に振り落とす。パラパラと、粉雪のように舞う僕と旭の写真を、八雲さんは埃か何かのように辟易した眼で見つめていた。
「やり口が汚いなぁ。物を使って無意識に訴えかけるなんて。サブリミナル効果ってヤツ? まあいいけど、もう効き目無さそうだし」
「……八雲さん。もうこんなことは――」
「もう、千歳って言ってよ。でもしょうがないよね、ずっとこんな呪いに毒されてたんだから、これから私と治していこ?」
「八雲さん」
「ねえだから許して? これも君のためだから。私たちの愛を見せつけてやるの、アンタの呪いなんかで二人の愛は終わりませんって」
「止めてくれ……」
「そのためには、イヤかもしれないけど、ツライかもしれないけど、呪いの道具は全部捨てなくちゃならないの、いけないの!」
「八雲!」
「千歳だって言ってんだろ!」
 間髪入れず、飛んできたハサミが足元に突き刺さる。フローリングを突き抜けるハサミの威力に俺の気力は一気にそがれ尻もちをつく。そんな俺を八雲さんは写真に向けたのと同じ視線を投げかけて、根元まで刺さったハサミを一発で引き抜いた。
 防衛本能に任せて体を起こす。が八雲さんの方が早い。彼女の左手一本で上体を抑えつけられ、俺は馬乗りになられてしまった。
「フフッ、ずっと引き籠って小説書いてる君が、バリバリ運動してるダンサーに勝てるわけないじゃん」
 そっと俺の胸を撫でていた八雲さんの左手が次の瞬間、俺の襟をつかんで一気に引き上げた。八雲さんのぐちゃぐちゃにかき混ぜられた瞳がすぐ前に迫る。
「やっぱり、君からも“匂い”がするなぁ」
 首筋に顔を寄せてきた八雲さんが、鼻をヒクヒクさせて言った。
「なんてイヤな女なの。私に北斗君を“キレイに”させようなんて」
「“キレイに”? 八雲さん、何を言ってるんだ?」
「しょうがないでしょう。君にもこんなにしつこく――」
 八雲さんは心底顔をしかめて見せた。
「“匂い”が残ってるんだもの。これじゃいくら呪いを解いても無駄」
 一転満面の笑みになった八雲さんがハサミを振り上げた。不気味に光る彼女の眼が、怯え切った俺を捉えていた。
「だから、“キレイに”しなくちゃ」
俺が覚悟を決める。
次の瞬間、その勝ち誇った八雲さんの笑顔がすごい勢いで横に吹っ飛んでいった。
 あとから響く、小気味いい打撃音。後ろを振り返ると、バットを持った旭の姿がそこにあった。
「旭! 何で来たんだ、危ないだろ!」
「危ないのはアンタでしょ、先輩。刺されたってのに、どうして一人で帰るかね……」
 本気で怒った様子の旭に抱え起こされ俺は何とか立ち上がれた。しかしほっとしたのも束の間、
「……イッテェな、女狐ェ!」
 投げつけられたハサミを旭がバットで叩き落とした。悪態をつきながら立ち上がった八雲さんは、ハサミを放った手を握り締め、今にも殴り掛からんばかりの気迫だ。
「しぶとい女だなぁ。先輩、ぶちのめしていいっすね? 殺人未遂犯だし」
「上等……その皮引っぺがしてやる」
「はッ、ダンサー程度が健康優良不良女子に勝てるわけないだろ。起き上がったの後悔させてやる」
「止めてくれ!」
 予期せぬ方向から呼びかけられた二人は動きを止めた。取り敢えず惨事は回避できた俺は、声が震えるのを耐えながら俺は静かに言った。
「八雲さん。酷い目にあったけど、それでも俺はまだ貴方がこれ以上罪を重ねるのは見たくない」
「……北斗君」
「場所を変えよう。武器は全部ここにおいて冷静に、話し合いで事を済ませたい」
「甘いなぁ……」
 呆れた様子の旭の肩を押しつつ、俺らは公園まで向かった。

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