困難な成熟

責任を取るのは可能だろうか?

書名:困難な成熟
著者:内田樹
出版社:夜間飛行
発行日:2017年11月24日
読了日:2019年12月15日
ページ数:424ページ
12月 :2冊目
年累計:117冊目

さて、今日2冊目。
やっぱり読書📘って良い。
1回で咀嚼しきれなかったので
また来年、時間を置いて読もうかなと思います。

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そんなこちらの本。
大人になるとは。成熟するとは。深い…。

まず、この帯にある

「責任を取るということは可能でしょうか」

僕の答えはシンプルです。

「不可能です」

まず、この”責任を取る”とは何なのか?
これだけでも読む価値はあると思います。

最近、色々なところで責任を取れ❗️とか
責任をとりますってあるけれども
賠償する事が責任をとる事なのか?
職を辞す事が責任をとる事なのか?
そういえば、責任ってなんだ?っていう人
是非読んで見てください。

その他、私が印象に残った部分。

経済活動の目的は「金儲け」ではありません。
「人間の成熟」です。

取り越し苦労はしてはならない。

労働の本質は「生産」ではなく「制御」です。

この労働に関する部分は、新鮮でした。

”労働の本質は自然の恵みを人為によって制御すること”

労働は「安定的に消費できる」ことを目的に始まった。
生産する事自体が重要なのではなくて
安定的に生産して流通させる事。
つまり、管理・制御する事が重要。

会社で工場・ラインで働く事よりも
それを管理する部門。
いわゆるコスト部門・非プロフィット部門の方が
労働という意味での本質的な役割をしているという事。

こんな一文があります。

現代の生産構造では、「無から有」を作り出すような労働をする人々が最下層に格付けされ、何も作らず、ただ「ありもの」を右へやったり左へやったりするだけの人が最上位に格付けされている。

確かに、直接現場で働いて、生産している人よりも
資金を提供している金融機関だったり、商社の方が
賃金は高いですからね。

これが実態でもあり現実でもあるとは思いますが
管理部門だけでは社会が回らないので
現場部門の人には感謝の念は忘れてはならないですね。

あくまで役割が違うだけで
そこで働く仕事自体の価値に大小はないかなって思います。

もう一つすごく印象に残ったのが

「努力ができるのも運のうち」

世の中、すべてを努力で解決できる
という風潮がある気がします。
私自身も、怠けている人を見ると努力不足では?とか
もっと頑張ってる人は世の中いるよな?って
思っていた人間の一人です。

努力の大小に違いはあれど、私自身は努力してきたつもり。

ただ、それも運がよかったという面も大きい。

まずは努力できる環境がある日本に生まれたという事。
また経済的にも不自由ない家庭・家族に恵まれた事。
そうした環境があって努力ができていました。

努力ができる生得的な才能があったのかもしれない。
そういう風に思うようにしています。

努力してなんとかなる場合もあるし
そもそも努力の余地がない場合もある。
すべての人間的達成を全部「努力の成果」であると
みなすのは危険である。

すごくここに関しては納得しました。

私自身、まだまだ未熟で
昨年作った資料やアウトプットを見て
恥ずかしい、こんなのだったのか…と思う事も多々あります。

こういう本に出会えるのは
自分自身を見つめ直す機会でもあるので
すごくよかったです!

また少し成熟した時にまた読みたいなって思います★

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