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【技術史】保存

『すぐれた食品保存法を考えだした者には賞金1万2000フラン』という告示が1795年に出されたが、誰も名乗りをあげないまま14年の歳月が流れた。そしてついに、ニコラ・アペールが調理済みの果物、野菜、肉などを瓶詰めしたあと、中の細菌が死滅するまで熱湯に浸ける『保存技術』を発表した。


 煮沸消毒し気密性を高めても、瓶はもちろん割れやすい。当時は激戦の最中であり兵士たちや、険しい地形を乗り越えて進む探検家たちが持ち運ぶうえでの悩みの種になった。
 
1810年、ロンドンの商人ピーター・デュランドは、食品を「ブリキ缶」に入れて保存する方法を発見し、ドンキンが「食品の保存処理工場」をロンドンに設立、ブリキ缶にスズメッキをほどこした缶が大量生産されるようになる。当時はイギリス陸軍の軍人たちに自家製の食料を供給するすぐれた手段として期待された。しかし、このころは食べ物を腐らせずに保存する目的ばかりに注意が集まり、缶から食べ物を取り出す方法は考えられていなかった。そのため、兵士たちは缶詰の食料をナイフや銃剣、はてはライフルまで使って開けなければならなかった。さらに缶の厚みは中身の食べ物よりも重いような状態だった。
 
初期の缶は、食品の保存にこそ成功したが、いつでも食べられる状態の食品を各家庭の食料品収納棚に保存するという意味では、この重さ・開けにくさは明らかな欠点だ。
こうした欠点の解決しようと、より薄く、軽く、製造と解体が容易な缶の製法を追求した発明家がいる一方で、缶をあけるための特別な道具の開発に専念した発明家もいた。
 
1850年代には、鉄の代わりにより強度の高いスチールが使われるようになり、缶は薄くなったが、スチールは柔らかいので、強化するために上下の底面を本体に取り付けるために、リムをつける必要があった。(現在、スチール缶の多くは、紙ラベルをはがしてみると波状の凹凸がついている。こうして薄い側面が強化されている。)
 
1858年にエズラ・ウォーナーが画期的な缶切りを発明して特許を取得した。これまでは、缶に最初に穴をあける際、先のとがったものを強く打ち込んでいたため、中の液体が飛び出していた。ウォーナーの発明は、衝撃を加えることなく缶の上面にd点を押し入れて穴をあける構造になっている。

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