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【技術史】和時計の発展

1623年に津田助左衛門が国産第一号の機械式時計を作ったと伝えられている。当時の日本は、ヨーロッパのように1日を均等に24時間に分割する「定時法」ではなく、昼と夜をそれぞれ6等分し、その一つを一刻とする「不定時法」が使われていた。したがって、同じ一刻でも昼夜では時間の長さが異なり、また季節によっても変動した。
不定時法は自然のリズムに合わせて生活できる時刻制度。江戸時代の不定時法には、時刻を子・丑・寅・卯・・・のように干支で表す方法と、九つ・八つ・七つ・・・と数字を使った呼び方があった。
その不定時法の夜明けの判断基準、その定義が面白い。「目の前にかざした手の甲のあらかたの筋が自然の光で見えるようになった時」となっている。
 


『参考資料』
https://www.kahaku.go.jp/research/publication/sci_engineer/download/31/BNMNS_E3101.pdf

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