【技術史】不幸なヘンリー・コート
画期的な発明をしたコートだが、晩年は全財産を無くし、失意と恨みの中で亡くなります。
事の発端は、パドル法の普及でした。このプロセスが作り出す鋼の品質は、圧倒的でした。海軍省はコートの鉄がスウェーデン鉄に勝ると判定し、それまでスウェーデンから輸入していた海軍鉄材をすべて、コートの鉄でまかなうことに決定しました。コートは大量注文に応じるため、王立海軍財務局の主計官に、特許権と利益の半分を担保に資金を借りて工場を拡張します。ところが、主計官が急死し、借りた資金が海軍の公金だと判明します。その結果、資金引き揚げの上、担保の特許は海軍省に差し押さえになります。特許を正確にさていすれば、得られる莫大な利益ですぐに立て直せたのでしょうが、海軍省は特許の返却請求には応じません。工場は主計官の息子に預けられ、利益を生みますが、コートは放り出されたままです。特許の実施に特許料を支払いたくない同業者が口をつぐんだことも、コートに災いしました。
コートは特許料も年金保証もされることなく、破産状態で亡くなりました。
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