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【トイレ史⑨】戦後嫌われた日本式トイレ

太平洋戦争終戦により日本に進駐してきた連合軍は、日本の不衛生さに驚いた。特にトイレはその象徴とされ、汲み取った屎尿を積んだトラックや荷車などをハニーカーと呼び、街中を走り回るのを不衛生の象徴として嫌っていた。
その一方で、終戦後昭和20年代後期に米国から化学肥料がもたらされると、農家は扱いやすく、寄生虫問題もなく、また速効性の高いこの肥料に飛びついた。その結果、屎尿は農地という処分地が減少し、その行き場を失ってしまった。
昭和30年代に入ると経済は急速に成長しはじめ、都市への人口は急増につぐ急増という状態となった。問題は移住してきた人たちをどう受け入れるかであった。これを深刻に受け止めた政府は日本住宅公団を創設し、団地を造成して人々の受け皿としたのである。公団住宅の目玉は、内風呂、システムキッチン、水洗トイレを備えたことであった。これは、米国式の生活に憧れていた日本人が、ようやく近代的な生活スタイルを手に入れるきっかけとなった。

『参考資料』
https://pixta.jp/photo/19994671

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