異物混入
「すいません。このスープ、髪の毛が入ってるんですけど。」
店内がピリッとした雰囲気になる。
一瞬の静寂と共に異物は取り除かれる。
数分後には何もなかったかのように、止まった時間が動き始める。
生きていると、自分が異物であると思う瞬間がいくつもある。
たとえば会議。意見が食い違う。その空気自体が嫌なんだ。
だけど、嫌悪感を抱くことより、相手を言い負かすことに皆の思考は傾いてる。
自分さえ消えれば、誰も嫌悪感は抱かない。
たとえば学校。周りの人間は努力ができる人間だ。夢を追い続けてる。自分には何も無い。やりたいことも、野望も、継続力もない。
自分さえいなくなれば、優秀な人ばかりが揃ったエリート校が完成するだろう。
反対に言えば、自分は足を引っ張っている。存在自体が迷惑なのかもしれない。
ある友人に相談したことがある。この世界は報われないって。
どれだけ辛い思いをして、どれだけ苦しんだって、得られるのは幸福でも何でもない。
嘲笑。あるいは同情。
努力しなくても、表面ひとつで評価も人生も決まってしまう。
何度やるせない気持ちになっただろう。
何度努力が叶わなかっただろう。
違う価値観を我慢して許容して、自分なりに努力した。苦しかった。でも頑張った。
それでも世界は冷たかった。何も報われない。
友人は黙り込んだ。
自分の相談、悩み、落ち込み。それが友人の負担になっていることを悟った。
他人に相談できなくなった。相談しても解決しない。相手をやるせない気持ちにさせて終わるだけだ。
ある他人は言った。
「お前は勝手に抱えて病んでくよね笑」
そんな小さな一言、小さな傷が積み重なって、疲れていくんだ。
何も感じない心があれば、どれだけ楽に生きられるだろうか。
自分なりに努力しても、誰かを頼っても、1人で抱えて落ち込んでも、結果行き詰まりじゃないか。
そんな世界に順応してる。他人たちは順応してる。
死にたい、消えたいなんて思ったことがない。
そんな感性だったらどれだけ幸せだっただろうか。
向いてないことを努力しても意味がない。
なら、人生が向いてないならいっそのこと辞めてしまえばいいだろうか
きっとレストランのように、一瞬の静寂のあと、いつもの日常が戻ってくるのであろう。
所詮、その程度なのだ。1人の人間なんて。自分なんて。
消えてしまえば、楽になれる。何かを責め続けなくていい。報われない世界を恨み続けなくていい。
もうこれ以上、誰にも負担を感じさせなくていい。迷惑かけなくていい。
自分が否定されることもない。
今が生死を分ける分岐点なのかもしれない。
それでも生き続ける理由が、あなたにはあるだろうか??
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